maturimokei’s blog

俺たち妄想族

「羅生門論2」十 旺文社昭和四八年(1973)

「高等学校現代国語1」旺文社昭和四八年(1973)~五〇年

 旺文社は昭和四八年から平成五年(1993)まで二十年間連続して採用する。最初の指導書を見てみよう。

 「投網」と「羅生門」を取り上げた「単元の構成」の中で、

「(「投網」との※筆者注)共通性に注意してほしい。それは青年の生き方の問題を提起しているという点である。「羅生門」の、右のほおに大きなにきびをもった下人は、まさしく青年であり、この下人は現代の青年に共通するエゴイズムの大問題を、身にあまる重さでかかえこんでいる。」(p67)

と、「羅生門」は、青年の生き方の問題を提起しているとし、エゴイズムが現代の青年に共通するとしている。

 主題については、

平安時代の一時期の荒廃した都を象徴する羅生門を舞台に、職を失った若い下人が示す人間としての極限の心理の推移と、それによって表わされたひとつの生の軌跡が主題。」(p78)

だとしている。吉田精一の「この下人の心理の推移を主題とし、あわせて生きんがために、各人各様に持たざるを得ぬエゴイズムをあばいているものである。」を踏襲していると思われるが、「極限の心理の推移」と「生の軌跡」というような、多くの小説に言える、抽象的な表現で果たして良いのか、私は疑問に思う。その解説として、

「生きるか死ぬかという極限の世界で、人間として当然の正義感も否定され、悪を行なう以外には生きる方法がない。そういう状況で露呈される人間の生の暗さを背景に、ひとつの生の選択がなされる経緯をおさえたい。また主人公が青年固有の心情によって彩られていることにも注目したい。なお、「羅生門」の魅力はこうした主題だけにあるのではなく、羅生門という舞台のもつ怪奇な雰囲気の描写にあることにも注意したい。(p78)」

としている。人間の生の暗さと、青年固有の心情として説明し、舞台の怪奇な雰囲気は主題ではないが魅力の要素であるというのだ。

 また「下人の心理」の項に、

「そういう知的な構成は、吉田精一著『近代文学鑑賞講座・芥川龍之介』の当該項で静と動の対比として説かれている」(p88)」

と指摘している。この表現では吉田精一の説のように見えるが、「静と動の対比」は、「レポートの書き方」(至文堂1952)の高校生のレポート中にあったものである。確認すると、「近代文学鑑賞講座11」(角川書店1958p40)に「私が、以前ある著書に紹介した一学生のきわめてすぐれたレポートがあるので、その一部を引用して考察に代えたい。」とあった。指導書は続けて、

「より重要なのは、この部分で明示されているように、人間そのものの持つエゴイズム、存在の暗さなのであろう。(この点で、あとで触れる老婆の論理は彼の中にも潜んでいるのである)今、一つの点は、この下人の心理の推移自体が問題なのではなくて、そうした揺れ動く心理の背後に、人間というものが人の思い込んでいるほど確固たる存在なのではなく、きわめて不安定な存在だという作者の感覚が浮かびあがってくることである。」(p88)

と、エゴイズムが明示され、人間というものがきわめて不安定な存在だという芥川の感覚があると指摘している。後者の読みを私も支持するが、「不安定な存在」論はこの後姿を消し、類型的な「青年論」と、「エゴイズム論」およびその内在する結果への葛藤に傾いていく。私にはこの解説者が、吉田精一のエゴイズム論を自分なりに理解しようとして苦慮しているように思える。

「もう一つ押えておきたいのは、下人の心理が、人間固有の不安定さを示すとともに、青年特有の、言うならば独善的なロマンティシズムを示していることである。下人は老婆の醜行を目撃して、「老婆に対する激しい憎悪」を覚えていくが、それがいつしか「あらゆる悪に対する反感」にすり変わっていく。この場合の「あらゆる悪」は、きわめて不分明な措定で、下人自身それについて問いつめられれば、おそらく答えに窮するであろう。だが、彼の中には、「あらゆる悪」ということばで呼んでみたい、壮大な悪、実体的な悪そのものへの怖い期待が存在する。それは、その対極に位する(と夢想される)至高な善美への期待と表裏をなす。このようなきわめて主観的で感性的な善感への仰望は、人間の人生へかける夢の大きさに比例し、そういう夢は、まさに青年の特権であろう。」

「悪への反感から一挙に正義派に転身するありようは、また、青年客気の然らしむるところと理解できるし、同時にこれは、芥川の関心の所在を鋭く示す徴表でもあろう。ほどなく下人は、自らのとりひしいだ悪が、きわめて貧しげで下世話な所業にすぎず、自らが行きつもどりつした課題に隣りあったものであることを知り、幻滅に追い込まれる。下人の興奮は、一場のひとり相撲にすぎなかったのであり、下人のこの経験は、彼を大人の世界へいざなう一階梯となる。「羅生門」にこのような、人生へかけた夢の幻滅、青春への幻滅の主題を読む論調は従来ないが、同時期に書かれた「老年」「ひょっとこ」などに共通する幻滅の主題を思うとき、「羅生門」にこのような理解を加えるのは失当でないと思われる。」(p89)

というように、青年と大人が別物のような理解のもとに「人生へかけた夢の幻滅、青春への幻滅」といった独自の論が進められている。解説者は、青年というものは理想主義で、下人も青年だから理想主義なのだと考えているように私には思える。また、「老年」「ひょっとこ」が幻滅の主題だというのは誤読だ。「老年」は一生を放蕩と遊芸とに費した老人の話で、彼「房さん」は身上を潰しても人生になんの悔いも感じていない。一人部屋で、猫相手に謡をする。「雪はやむけしきもない。」の最後の言葉が示すように、好きな芸事をやめるとは思えない。どこに幻滅があるのか。「ひょっとこ」は飲んでいつものように踊っていて脳溢血で死ぬ男の話だ。彼は酒によって人格が変わる。どちらの自分が本当の自分かわからない。これは「羅生門」に通ずるものがあると私は思う。しかしどこに幻滅があるのか。したがって、演繹すれば「羅生門」が幻滅であるわけがない。

 この後老婆の論理について、

「岩上順一に興味深い説がある」

「簡単に言いなおせば、生きるためにはすべてが許される、ということにほかならない。」

「老婆の論理はわれわれに決して無縁ではない。われわれは同じ論理を暗々にでも選択して生きている場合が多いのである。」(p90)

とする。岩上順一の論は、吉田精一平岡敏夫も相手にしていない考えで、私も「羅生門」とは無関係だと思う。ただ岩上を擁護すれば、彼は「かかるアナルヒスムは、それ自身の論理によってそれ自らを否定せざるを得ないではないかと芥川は考えた。」(「歴史文学論」中央公論、昭和17)とまで書いている。その資料を巻末に載せているのに、ここでは前半だけしか抜粋しない指導書の解説者は抜粋の客観性を欠くし、その結果この後、解説者自らが混乱を続けていく。比喩について川崎寿彦著『分析批評入門』を引き、

「老婆の生が、人間というよりは動物の境涯と同じ地点にまで落ちてしまっていることが、あるいはここに暗示されているのかもしれない。ともかく、老婆の論理にわれわれは従いたくない」(p90)

と、急に老婆と「われわれ」は距離を置く。再び川崎寿彦氏の指摘を引き、

「老婆は自身の論理によって敗れ、破滅する。」

再び、

「我々が生きることは、けっして悪と無関係ではありえない。我々はからすやさると同様に生命を与えられ、それを損ねずに守りとおして行こうとする本能を賦与されている。我々のエゴイズムの根源はそこにあり、時として人間が動物と同じ境遇に堕ちるのも、生きるものの宿命として止むをえぬことであろう。」

と言うかと思えば、

「といって、我々の社会がまったく悪に支配されているということもできない。」

と言い、下人のように同じところを何度もぐるぐる低徊した挙句、最終的に、

「人間社会が、異常時に、その実相をさらけ出す。若さゆえに、純朴な理想主義を抱懐する下人は、いまようやく、その夢想から醒める時を迎えたのである。言うならば、作者に一歩おくれて、人生行路をたどっていた下人が、老婆の論理にふれて、はじめて作者と並び立つところに到違したのである。」

「こういう暗い世界、虚無の潜む世界で、芥川は自分に生きよと言いきかせたかったのかもしれない。」(p91)

とやっと主題を表明したかと思うと

「そのようにして生きていった果てに一体何があるのか。」

とたじろぐ。それでは社会のためにはならないと解説者が思ったからだろう。ならば、なぜこんなアナーキーな作品を「青年の生き方の問題を提起している」として、高校一年生に学習させるのか、そこをこそ問うべきであった。現実を知ることは、未来を変える可能性を持つのであるが、現実の分析と理想の探究は次元の違うものであり、分けて考えるべきなのだ。だからこそ、まず目の前の作品の分析を虚心坦懐に行わなければならないのである。しかし、指導書の文体が示すように、解説者は自分の持つロマンチズムを芥川と下人に投影しているに過ぎない。

 

テスト問題の例が載っている。以下に示す。

〔三〕 発展問題(記述・論述式問題を含む) 〈計 25点〉

  次の文は、吉田精一氏の「羅生門」鑑賞の一部で、その著「芥川龍之介の人と作品」より抄出したものである。よく読んで後の設問に答えよ。

 

 作者(龍之介)は単純な原文の筋に、近代的な味を加え、盗人の代りに、主家から暇を出されて生活難に苦しむ下人を主人公にした。

 (中略)この下人のAを主題とし、あわせて、生きんがために各人各様に持たざるを得ぬBをあばくのがこの作の主眼であったのだろう。思うに、彼がみずからの恋愛に当たって痛切に体験した、養父母や彼自身のBの醜さと、醜いながらも生きんがためにはそれがいかんともすることのできない事実であるという実感がこの作をなした動機の一部であったに相違ない。もし理想主義の作家であったならば、下人が盗人となろうと思った心を、嫗の醜い行為の前に、翻然と忘れて義憤を発する所で巻をとじるか、あるいはそうした悪心を捨て去らしめて結論するであろう。しかし龍之介はかえって熱烈な正義感に駆られるかと思うと、やがて冷いBにとらわれる、善にも悪にも徹底し得ない不安定な人間の姿を、そこに見た。正義感とBの葛藤のうちに、そのような人間の生き方がありとし、そこから下人のエゴイズムの合理性を自覚せしめている。ここにとらえられた下人の心理の推移は、恐らく芥川の眼に写った人間が人間である限り永遠なる本質であった。したがって彼はこの人間性に対する最終的な救いや解決も与えていない。一番最後に「下人の行方は、誰も知らない」と言っているだけである。(初めて発表された時には、最後の一行はこれとちがい、「下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった。」とあった。)この人間に対するC感が、やがて後年の彼を自殺に導いたと見られないこともない。

 問一 文中の  ABに、文中に用いられた語句を選んで、各々適切に補え。                  〈4点〉

問二 文中の  Cに適切な漢字二字の語を入れよ。〈2点〉

問三 、問四 (略)

問五 ―線3「そのような人間の生き方」とは、前のどういうことをさすか。                  〈4点〉

問六(略)

  

とある。吉田氏の論を答えさせるものだ。しかし、よく見ると生きんがためにはそれがいかんともすることのできない事実であるという実感がこの作をなした動機の一部」(傍線筆者)と控えめにしか吉田氏は言っていない。さらに、吉田氏は芥川の『あの頃の自分のこと』に、

「自分は半年ばかり前から悪くこだはつた恋愛問題の影響で、独りになると気が沈んだから、その反対になる可く現状を懸け離れた、なる可く愉快な小説が書きたかった。そこでとりあへず先、今昔物語から材料を取つて、この二つの短編を書いた。書いたと云つても発表したのは「羅生門」だけで」

「この作の作意は、前にあげたやうに、失恋の気分を転換する意味で「現状とかけ離れた、なるべく愉快な小説」といふにあつたらう。しかし、舞台を現代に仰がずに平安朝の古にとつたことは、元来の彼の性情なり趣味なりにもとづくものであって、失恋による現実嫌悪や逃避の要求は、本来の気持ちを一層強く、一層直接に動かしたにすぎない」(「芥川竜之介三省堂1942p68)

と書いている。ここで言う「本来の気持ち」とは、文脈を辿れば「元来の彼の性情なり趣味」となる。失恋の気分を転換する思いが、彼が本来求めている異常な物語を書かせた、と言っているにすぎない。これが、エゴイズムが主題である証明だと、とても私には読めないのである。ではどこからエゴイズムは出てきたのか。吉田氏は芥川が新進作家として世に出た時代を、

「もつと人生の複雑性を認識し、単純な善悪観念を再認識して、個人の意識や生活をそれぞれその特性に即して理解することを、自由主義のより徹底した、しかしより限定された思想を、次の世代は希求したのである。龍之介等の出発した思想的地盤はこのやうなものであった。」(芥川龍之介研究・河出書房1942p25)

「個性に徹して、その底に個々人それぞれの自我主義、利己主義をつかまうとする彼らの方向は、同じ場所に普遍的人間性を見ようとする前時代の思想と正に反対の方角を指すものだつたのである。」(同)

と書いている。「彼ら」に注目したい。生い立ち、時代背景、交友関係を元に作家を理解しようとしている。それはその時代の普通のことだったろうし、もちろんそれらが重要な資料になることを私は否定しない。しかし、人はその内部に多様なものを抱えている。それを「彼ら」と、一つの法則で割り切って良いものでない。白樺派の理想主義に飽きたらぬからと言って、常に利己主義の話を書くとは限らないのだ。「おれもそうしなければ、飢え死にをする体なのだ。」確かにこれだけ見れば利己的な言葉だ。しかし言葉はどのような文脈で発せられたのかを考えるべきだ。直前に「きっとそうか。ならば恨むまいな」がある。条件付きなのだ。文脈を無視して意味は存在しない。

 

 

テスト問題が生徒に与える影響は大きい。生徒にとって正解は真理だからである。

ロシア軍と連続強盗事件実行犯

彼らに共通点は多い。まず、指示役がいること。情報収集、兵站、蛮行部隊に別れていること。報酬が保証され、逃げれば家族に危害が及ぶこと。彼らは、指示されたことをしただけだから、罪の意識は薄い。自分が考えたことではないのだ。そのようにするしか仕方がなかったのだ。

指示されたことをするのは悪ではない。だから、書類を捨てることや、改竄することなんて、人を殺すのではないから、もっと簡単だ。

兵士や実行犯は私たちの周りにたくさんいる。

 

 

「羅生門論2」九 昭和45年筑摩書房

現代国語Ⅰ 二訂版 教授資料」(筑摩書房) 昭和四五(1970)年~四七年(1972)

 

 筑摩書房は昭和四二年の改訂版から五九年まで十八年間に渡り「羅生門」を採用している。二訂版の「羅生門」の指導書は平岡敏夫氏によるものである。おそらく改訂版から使われ、筑摩書房の「羅生門」の最初のものと思われる。氏は、ウィキペディアによると1956年に東京教育大学大学院入学、吉田精一に師事、1982年に筑波大学文学博士号を取得している。エゴイズムについて吉田精一氏の論を紹介しているが、平岡氏は主題をエゴイズムとする考えに疑問を呈している。宇野浩二福田恒存三好行雄駒尺喜美の説をひき、最後に平岡氏の意見を述べている。また、「羅生門」の表現に関しても両手をあげて絶賛するのではなく、批評を加えている。以下抜粋する。

 

(面皰について)描写をいきいきしたリアルなものにしている」(『近代文学註釈体系芥川龍之介』)にせよ、昨日や今日ではなく、四、五日前に暇を出され、飢え死にをするか盗人になるかというぎりぎりの選択をせまられている下人であってみれぱ、このような精力的な感じのするイメージでは困るのではないか、という疑問も生じよう。宇野浩二ではないが、それこそ「上手の手から水が漏る」ということにもなる。さきの「きりぎりす」にしても、技巧を凝らしてのことであることはむろんだが、そのために一種のそらぞらしさが感じられてくるとしたらマイナスということになろう。(p82)

 

しかし、老婆が髪の毛を抜きはじめるにしたがって、下人の心には老婆に対する憎悪・反感が生じてきた。作者は、この「老婆に対する憎悪」を「あらゆる悪に対する反感」というふうに一般化してしまい、「なんの未練もなく、飢え死にを選んだことであろう。」(四一13)とする。さすがに「やや強引である」(前掲『近代文学註釈体系芥川龍之介』)とされるが、いかにもこれは極端である。今まで述べられてきた極限状況における下人にあっては、老婆が死人の髪の毛を抜くということに対して、これほどの「悪を憎む心」を持ち得るか、正義感・人間主義を抱き得るかは大いに疑問だろう。ここには明らかに意識的になされた誇張があるように思う。下人の場合、気分的、情緒的である上に、一貫した信念に基づいているのでもないから、極端から極端にうつり変わることになりやすい。「誇張」はそのためではないか。「下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くということが、それだけですでに許すべからざる悪であった。」(同・17)と言う。「なぜ老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。したがって、合理的には、それらを善悪のいずれにかたづけてよいか知らなかった。」(同16)のであれば、「許すべからざる悪」だと断定するのは合理的判断ではなく、気分的、情緒的なものであり、「この雨の夜に、この羅生門の上で、」という条件が付加されていた理由もわかるのである。「下人の sentimentalismに影響した」(三八・2)と言ってもよい。(p84)

 

そしてその失望と同時に、またさきの憎悪が侮蔑とともに生じてくるのだが、失望がなければそうならないはずで、下人の「悪を憎む心」が気分的、情緒的なものに基づくことはここでも明らかである。(p85)

 

たしかに老婆の論理をさか手にとったわけだが、それは下人の内部においては何ら論理性を有してはいない。老婆の平凡な答えに失望して憎悪と侮蔑を生じるということがなければ、この老婆の論理をさか手にとるということはしなかったかも知れないのである。下人は、老婆の論理をただちに自己の論理としなければならぬ理由はなかった。ただ、相手の論理を逆用することで引剥の口実としたのみである。(p85)

 

作品の主題 

 ここでこの小説の主題をめぐって二、三の意見をあげておきたい。「この下人の心理の推移を主題とし、あはせて生きんが為に、各人各様に持たざるを得ぬエゴイズムをあばいてゐるものである。」というのが昭和十七年の『芥川龍之介』(三省堂)以来変わらぬ吉田精一氏の把握であり、スタンダードなものとされている。主題は「下人の心理の推移」であり、それを通して人間の持つエゴイズムをあばいたというのである。宇野浩二は、筋だけ抜き出せば実にはっきりしたテーマ小説であるとし、「それで、当時の或る批評家は、この小説を『生きんがためのエゴイズムの無慈悲』を刳り出したものである、と云ひ、『生きんがための悲哀』を描いたものである、などと評してゐる。しかし、これは、唯物論にかぶれた評論家と概念的な見方しか出来ない批評家の云ふことであって、私などは、この小説をよんで、さういふ考へは殆んど全く浮かばなかった。」と言う。芥川の小説からテーマを概念的に抽き出す傾向については福田恒存氏も次のように警告している。

 「初期の作品を見てもすぐわかることは、人間の善良さとその醜悪さとを両方同時に見てとる作者の眼であります。ぼくが読者諸君にお願ひするのは、さういふ龍之介の心を味っていただきたいといふ一事につきます。『羅生門』や『偸盗』に人間のエゴイズムを読みとつてみてもはじまりません。(中略)多くの芥川龍之介解説は作品からこの種の主題の抽出をおこなって能事をはれりとする。さういふ感心のしかたをするからこそ、また逆に龍之介の文学を、浅薄な理知主義あるひは懐疑主義として軽蔑するひとたちも出てくるのです」(「芥川龍之介」)。(p86)

 

さきの吉田説を発展させたものと見られる三好行雄氏の見解では、この点がすっきりしていて、「彼ら(下人・老婆)は生きるためには仕方のない悪のなかでおたがいの悪をゆるしあった。それは人間の名において人間のモラルを否定し、あるいは否定することを許容した世界である。エゴイズムをこのような形でとらえるかぎり、それはいかなる救済も拒絶する。」(『現代日本文学大事典』)とあり、エゴイズム=悪、「人間に対する絶望感」としぼられて明快である。しかし、下人の「善」のほうはどうなるのか。吉田氏が「善にも悪にも徹底し得ない不安定な人間」というのは善をも意識しているからだが、それなら「エゴイズムの合理性の自覚」という点、つまり「悪」のほうにのみしぼってしまうことはできまい。「人間の善良さとその醜悪さとを両方同時に見てとる作者の眼」(福田)、「『善にも悪にも徹底し得ない不安定な人間の姿』を見ているのではなく、善と悪とを同時に併存させているところの矛盾体である人間」(駒尺喜美芥川龍之介論」)という見方とはどう違うか。(p87)

 

芥川は、「自分は半年ばかり前から悪くこだはつた恋愛問題の影響で、独りになると気が沈んだから、その反対になる可く現状を懸け娘れた、なる可く愉快な小説が書きたかった。」(別稿『あの頃の自分の事』)と言っており、これを引きつつ駒尺氏は、「徹底し得ないとか、不安定とかいう彼の胸の淋しさや、暗い眼つきはない」「当時の心の痛みや心情とはかけはなれたもの」「いささか得意でもあった、人間内部における矛盾の併存という命題によってかかれている」と主張する。エゴイズムの合理性を「愉快」になど書けるはずはなかったというわけである。(P87)

 

下人の行為に大正初年のアナーキズムの論理を見出し、経済的困窮を理由にして、暴力的に、非合法的に、他人からその所有物を強奪しようとする、その論理は、論理的に破滅せざるを得ない、という主題をひき出した岩上順一の見解(『歴史文学論』)もあるが、もはやそれにはふれまい。(P87)

 

昔や異常な事件はあるテーマ表現のための手段ばかりでなく、この「異常なる物」自体への興味、「昔其ものの美しさ」自体への傾倒としても意味を持っているのである。作品の主題を、悪にしぼりエゴイズムをひき出すか、あるいは人間における善悪矛盾の併存を見出すか、いずれにしてもこういう主題をうち出すために「異常な事件」そして「昔」が必要であるとせねばならぬほどに、芥川にとっては「昔」「異常な事件」が魅力的なものだったのである。諸家が抽出する主題なるものは、作者の概念的思考、平易に言えば理屈であって、それは作者の全存在をかけた深刻なものと見ることはできず、作者はむしろ失恋の傷手をいやすべく、「なる可く現状を懸け離れた、なる可く愉快な小説」の世界、言い換えれば、救いとして求めた情緒・雰囲気の世界の形象に自己をうちこんでいるというべきである。読者は、飢え死にをするか盗人になるかという、真にぎりぎりの極限に置かれた人間を、下人に見出す、あるいは自己自身も立たせられる、というふうにはいかない。これは、極限に下人を置くとしながらも、作者自身にその真の自覚はないからで、だから、下人は、読者をして他人事と思わせぬほどの必死さを持たず、老婆に対する反感が気分・情緒に支配され、「なんの未練もなく、飢え死にを選んだことであろう。」などと「やや強引である」どころか、四、五日食うや食わずにいたぎりぎりの人間としてのリアリティーを持たぬ心理に終始し、にきびなどをつぶしたりしているのである。作者がやや得意になってうち出した下人の心理の推移―老婆の論理を遂に自己の論理とするなどの心理は、枠組みであって、これが作者が全存在をかけて言いたかったこと、あるいは読者をして感動せしめることではあるまい。この作品の魅力は、この平凡な、どこか憎めない、しかも雨の夜の羅生門という舞台がその“sentimentalism " に影響するような男を視点に、髪を抜く妖しい老婆や死体を配しての、羅生門がかもし出す、王朝的、というよりかなりエキゾチックな雰囲気の世界それ自体にあると言えるのではないか。ここではむしろ羅生門が主役であろう。題名が「羅生門」となっているのもゆえなきことではない。(p90)

 

付記 以上試みた作品鑑賞は、その一例であって、生徒の主体的鑑賞を、具体的な文脈・場面をおさえることで成立せしめるための一参考にすぎないことは言うまでもない。(平岡敏夫

 

 平岡氏は、下人を善と悪とを同時に併存させているものとして捉える読み方を支持している。エゴイズムという悪のほうにのみしぼってしまうことはできまいと言うのだ。私もその通りだと思う。このことは、私が拙著「羅生門論」で指摘した、「自分は善と悪とが相反的にならず相関的になってゐるやうな気がす 性癖と教育との為なるべし(略)ボオドレエルの散文詩を読んで最もなつかしきは、悪の讃美にあらず 彼の善に対する憧憬なり 遠慮なく云へば善悪一如のものを自分は見ているような気がする也」と、書簡で芥川が善悪の相関を「性癖」と「教育」の為と書き、内在するものとして認めているのを、吉田は「負はされてゐる罪を通じてしか、神を認識しえない近代人の心情の懺悔であつた。醜を愛し罪を愛する心は、神への切ない愛慕であつた。しかも、常に悪との対話を試みることによつて、超自然の光明を欣求したのである。龍之介が呼んで善悪一如のものといつたのは、この間の消息を看破したものであつたらう」と、芥川が悪を感じることでしか善が認識できないと言っていると解釈したのと似ている。

 平岡氏は、制作時期から、芥川の「なる可く愉快な小説」の一つではないかと考え、それもエゴイズムを否定する論拠としている。平岡氏は、下人の行動が「一貫した信念に基づいているのでもないから、極端から極端にうつり変わることになりやすい。「誇張」はそのためではないか。」としているが、私は「誇張」は「愉快な小説」の技巧ではないかと考えている。

 もう一つ、「異常なる物自体への興味」を平岡氏はあげているが、主題とするかに関しては言葉を濁した感がある。おそらく概念として、「人間における善悪矛盾の併存」は新しさがあり、哲学的であるが、「異常なる物自体への興味」は、やや軽薄な響きがあり、主題としての物足りなさを説き伏せるまでに至らなかったのだろう。ただ、「異常なる物自体への興味」ならば、老婆の屍人の髪を抜く理由は異常であってほしい。髪の毛を鬘にするという当たり前の利用法に失望を感じたのは、芥川ではなかったかと私は思う。楽しんでいた「今昔物語」の異常な話への期待を、「羅城門ノ上ノ層ニ登リテ死人ヲ見タル盗人ノ語」で、見事裏切られたことこそが、創作のきっかけになったのだ。しかも、王道である死人の髪の異常な利用法に変えるのではなく、鬘のまま読者をあっと言わせる、その部分に芥川は力を注いだのではなかろうか。それが「主題」と言えるものかはともかく、小説の大切な要素であることは間違いない。

 昭和29年の東宝ゴジラ」の主題は核開発における科学者の責任の取り方だと私は理解している。まさにロシアの暴挙を目の前にした今、そのテーマは普遍的なものとして、私たちに迫っている。しかし、それで映画「ゴジラ」を語ったことになるのか。当時の日本において画期的だった特撮技術を抜いて「ゴジラ」は語れない。平岡氏が言わんとするのも、そういうことではないのか。主題至上主義と言おうか、主題を明らかにすることが小説を読むことだとする教育現場へ物足りなさではなかったのか。

 異常な世界を描くのに「未来はまれであろう」とした芥川をはるかに凌ぎ、CGを駆使した映像は、私たちに未来を見せてくれる。が、その映像に必要なのは細部なのだ。ティラノザウルスの瞳に人の姿が映ったとき、私たちは息を呑む。そうしたプログラムを組むのは「愉快」なことではなかろうか。芥川は想像を逞しくして異常な世界のリアルさを示そうとした。特殊な中に普遍を見出す、それこそが、評論ではなく、小説のできることではないのか。そうした視点で「羅生門」を振り返ってみた時、私はその映像美に感嘆せざるを得ない。

 「羅生門」が高校教材として定番化する前に、平岡氏が多角的に考え、正しい読みを提唱していたことに、私は大いに敬意を表する。吉田精一氏は「技巧とか構成とかいうことは、作者の精神や情熱や主題と離れてあり得ない。便宜上はなして考える場合にも、常にこの両面をにらみ、連絡させて考えなければならない。それが今日の文学批評や鑑賞の態度である。」と「レポートの書き方」で述べた。まさに、平岡氏は表現から主題を辿っているのである。

 

「羅生門論2」八 増淵恒吉氏の授業

増淵恒吉氏の授業

 

 「レポートに書き方」に例として挙げられた生徒作品「『羅生門』について」は、十五年間にわたって高校現場に影響を与えた。その作品を生んだ増淵恒吉氏の授業はどのようなものだったのだろう。「増淵恒吉国語教室の実際 都立H(※本文は学校名明記)高等学校時代の国語学習記録」(山本義美、世羅博昭 編、渓水社2014年)から抜粋する。

 

⑴ 前期増淵恒吉国語科授業の実際

 増淵恒吉氏は、戦後、アメリカのC・I・Eによって導入された経験主義にもとづく国語科学習指導を、「生徒の生活に即した、生徒の関心の深い話題を取り上げ、その話題を中心として、話す・聞く・読む・書くという言語による諸活動を総合的に組織し、実際にその言語活動を経験させる中で、生徒に必要な言語能力を高めていく学習指導である」と、基本的には考えていた。しかし、高等学校では、このような「生徒の生活に即した、生徒の関心の深い話題」を取り上げる生活単元による学習指導はなかなか実践できないとして、「国語科という教科に即した課題(たとえば、「短編小説の読み方」「随筆の読み方」「要点のとらえ方」など)を設定し、その課題の解決に必要な複数教材からなる単元を編成し、その課題の解決をめざして、生徒が意欲的、主体的に話す・聞く・書く・読む活動(言語経験)を展開する過程で、話す・聞く・書く・読む言語能力を育てる、教科単元による国語科学習指導を志向していた。

 

 この実践例として、『国語料学習指導要領の実践計画 中学校高等学校編』(六三書院・昭和二六年三月)所収の「短編小説の説み方」(高一・18時間)の学習活動例を整理して紹介したい。

 

  《一斉学習》この単元で取り上げる課題を決める。

  →「短編小説はどう読んだらよいのか」

⑵ 《一斉学習》 これまでどんな短編小説を読んだか、その作品についての感想をかんたんに発表し合う。

⑶ どんな作品をこの学習にとりあげるか、話し合う。

→話し合った結果、資料として、教科書教材の森鷗外「安井夫人」のほかに、森鷗外寒山拾得」、芥川龍之介羅生門」、モーパッサン「酒樽」をとりあげる。

⑷ 《一斉学習》各グループが担当する作品と課題を決める。

 →第一班「安井夫人」、第二班「寒山拾得」、第三班「安井夫人」「寒山拾得」「阿部一族」などを中心とする鷗外作品、第四班「羅生門」、第五班「羅生門「鼻「芋粥」など芥川の初期作品の作風、六班「酒樽」、第七班「短編小説の性格」について担当する。

⑸ 《グループ学習》グループごとに次のような学習を行う。

  ① 次の論点に注意しながら作品を読む。(→第七班は別の学習)

〇 理解しがたい語句はないか。○ 筋や構想はどうなっているか。○ どんな人物が登場するか、それらの人物はどのように描かれているか。○ 表現の巧みなところはどこか。○ 作者の物の考え方、見方はどうか。○ どんな点を、おもしろい、またはすぐれていると感じたか。

 ② 発表の準備をする。

○ 担当の仕事を決める。○ 発表の事項を整理する。○ グループごとに討議の題目(→課題)を決め、あらかじめ学級全体に発表しておく。(→他のグループ全員の予習の課題となる。)

⑹ 《一斉学習》グループごとに研究発表をし、あらかじめ提出された題目(→課題)について討議する。

  ① グループごとに、作品中の難語句の解釈プリントを配布する。

  ② あらかじめ他のグループに示しておいた題目(→課題)について討議する。

    担当班がいきなり説明してしまうのではなく、担当班が司会し、討議を展開する中で、担当班の案を提示させるようにする。

   →題目(→課題)の二例を示すと、次のようであった。

○「安井夫人」の場介

一、作中の人物の動作や心持の細かい動きの表現されているところはどこか。

二、「ももの節句」はこの作品の中で、どのような役割をしているか。

三、この作品の筋の進め方の上で、すぐれていると思う点はどこか。

四、作中の主要な人物の性格は、どのように描き分けられているか。

五、この作品の主題は何か。

○「羅生門」の場合

一、作品の構成はどうなっているか。

二、下人の心理の推移はどうなっているか。

三、「蟋蟀」や「面皰」を点出したことは作品の中でどんな効果を持っているか。

四、「下人の行方は誰も知らない」という文には何か意味があるのか。

五、この作品の主題は何だろう。

六、文体の上で何か特質はないか。

③ 締めくくりの意味で、第七班は、短編小説の特質や性格をこれまでに読んだ作品をもとにするとともに、文学辞典や文学講座を参考にプリントにして発表し、質疑に答える。

 このように、前期の国語科授業は、国語科という教科に即した諜題のもとに、複数の教材を取り上げて大単元を編成し、グループごとに教材を異にした複線型の学習指導が展開され、最終的に、全体の場でグループの研究発表と質疑応答が行われる。この一連の読む・書く・話す・聞く言語活動を展開する過程で、読む・書く・話す・聞く言語能力を育てる指導が求められるのである。このような実践を行うためには、教材開発力、教材編成力、単元構想力、単元展開力、グループ指導力など、教師の実践的な力量が大きく問われてくる。したがって、教科単元による学習指導を実践することは、なかなか容易なことではなかったようである。

 

とある。ここから、生徒作品「『羅生門』について」が生まれた過程がわかる。まとめると

①「羅生門」は生徒の話し合いで選ばれた。

②筋や構想、人物の描かれ方、表現の巧みさ、作者の物の考え方、作品のおもしろさやすぐれているところを論点にするように読むように、増淵氏から指導されていた。

③ 作品の構成、下人の心理の推移、「蟋蟀」や「面皰」の効果、「下人の行方は誰も知らない」の意味、作品の主題、文体の特質は班でまとめた。

④文学辞典や文学講座を参考にすることを増淵氏から指導されていた。

ということになる。その集大成が生徒作品「『羅生門』について」なのである。指導されたことは全て考察されているが、出典の明記については指導されていなかったようだ。

 

 増淵氏のH高校への赴任は昭和25年とされているから、三六書院の発行年から考えると、この授業は25年と考えられる。27年発行の「レポートの書き方」に採用されたこととの整合性が取れる。当時発刊されていた雑誌「国文学 解釈と鑑賞」(至文堂 編)や雑誌「国語と国文学」(東京大学国語国文学会 編、明治書院)には吉田精一氏、増淵恒吉氏、土井忠生氏の名が寄稿者として何度も見える。彼らは親交があり、サロン的な場で生徒作品「『羅生門』について」は共有されていったのかもしれない。

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10 高欄→黒、茶、銀系(1〜5から一つ)看板→(1〜4から一つ)

高欄・看板

 

11 高欄掛け→槍武者、白馬武者、黒馬武者、鯉取り、鷲取り、鵺取り、虎取り、観音(1〜22から四つ)

11 伊達綱→白、色(赤、緑)、刺繍

 

「羅生門論2」七 昭和38年中央図書出版社

 前述した、三省堂の指導書(昭和33〜37)に関して、付け加えることが出てきた。前述の「高校生のレポート」が、手引きの答えとして出典を明らかにしないまま指導書に使われていたのだ。もう少し具体的に言うと

【研究】

1 下人の心理の推移を中心にして段落を切り、その各段ごとに彼の心の状態をはっきりさせよう。(三三年度版p102)

1 局面の展開に従って段落を切り、下人の行動と心理状態を抜き出してみよう。(三五年度改訂版p141)

というように、改訂版では表現が若干違うが、

「三 研究の解説」に

「1a 雨やどりをしている所」(p93下10行)から「悪の実行となる。」(p94上18行)まで、abcdの表記までそのまま使い、三十行にわたり「『羅生門』について」から引用している。しかも引用したとは書かれておらず、参考文献にも「レポートの書き方」の名は見えない。高校一年生が書いたとも知らず、多くの高校教員が指導書の文章を読んでいたことを考えると、一種の爽快感を感じるが、100%引き写しなのだから出典は記載すべきであった。

 つまり、昭和三三年から三七年まで、明治書院三省堂の教科書を使う生徒に、この高校生は影響を与えていたことになる。

 

 

高等学校現代国語Ⅰ 教授資料」(中央図書出版社)遠藤嘉基・塚原鉄雄編 昭和三十八年一月二十日発行 500円

単元は、Ⅴ「短編小説を読んで、主題や構成を考える。」(p135)とあるように、「高等学校新国語 総合一」(三省堂)の「人間性」のような、単元目標をひとことで表したタイトルはついていない。「安井夫人」「羅生門」「レポート「羅生門」について」で9または10時間が当てられている。9時間の場合は「羅生門」を2時間でするとされている。現代の感覚では、3時間でも無理がある。注釈は一気に増える。67箇所について施されている。体裁や内容において、ほぼ現在の教授資料に近い。

 この教科書は、明治書院の「レポート「羅生門」について」を踏襲したが、明治書院とは違い、教科書本文に吉田氏の文章は掲載されていない。「レポート「羅生門」について」は昭和四七年まで採用されたので、昭和三二年から一五年間三つの教科書を渡りながら使われたということになる。

「レポート「羅生門」について」は、指導書p161に

1作者作品解説 

作者 このレポートの作者は(生徒作品)となっており、個人名が書かれていない。生徒とは、このレポートの出典とされている「レポートの書き方」によると「高等学校の学生」(同書五七ページ四行目)となっている。このレポートの紹介引用者は吉田精一氏である。

とある。この記述から、出典が明らかにされていないことに中央図書も違和感を持ったような印象を私は受けた。また、

 すぐれている点として

①「羅生門」を文章表現に即してきわめて緻密に読み取っていること。「文章表現を離れて文学はない」という根本態度をよく身につけて作品を精読していること。

②作者芥川龍之介についての知識や他の読書体験を効果的に生かしていること。

③人間もしくは人生についての理解力が高校生としては、非常にすぐれていて作品における人間性の解釈、下人の心理の読み取り方が的確で注意深いこと。

④読み取り、感じ取ったことをよく自分でかみこなし整理していること。

⑤レポートの書きあらわし方が整然として文章表現が正確であり、箇条書きや、表による表わし方などがよく工夫され、効果的であること。

⑥全体として極めて客観的に謙虚な態度で一貫され、高校生にありがちな安易な独断や、恣意的な感想や、知識の衒いがないこと。

物足りぬ点としては、

①参考資料をあげていないこと。(「レポートの書き方」に指摘されている。)

②まず「主題」について述べ、次に「文の構成および技巧」について述べられているのだが、後者を述べた上で再びそれを主題と連絡づける結びの章がほしい。

③主題に関連して作者龍之介と主題の関係についての筆者の考えが知りたい。

とある。②は吉田氏も指摘していることであり、私も大切な視点だと思う。

 

 では、この教授資料はエゴイズムをどのように扱っているのか。エゴイズムという表現を全て以下に抜粋する。

主題

 平安時代末期の、生活に追い詰められた下人の心理の推移を主題として、不安定な人間の哀れな姿を描き、あわせて生きんがために、各人各様に待たざるを得ぬエゴイズムをあばき出している

構想

 平安時代末期の暗黒の社会と、荒廃した羅生門の情景を背景とし、餓死をまぬがれんためには、悪を働く以外に道がない極限状態に、主人公たる下人を設定し、それに配するに醜い老婆をもってし、二者択一を迫られた下人の人間的迷いから、悪に対する衝動的な正義感の怒りへ、ついで、悪を肯定するエゴイズムヘの暗い傾斜・決断へ、更に、敢然たる悪の行動へと推移してゆく心理を克明に描写してゆきながら、人間の弱さと、抜きがたいエゴイズムを絶望的に描き出してゆく。

とある。また「下人のゆくえは、だれも知らない」について、

小説の結末をあらわす文である111ページ一行で、下人が夜の底へかけおりて去ったあとに、老婆の鬼気迫る描写が続く。その文章も作品を終局へ導く叙述であるが、そのあとにこの一文が置かれたことによって作者の深い感懐が、余韻として感ぜられる。生きて行くためには、現実の醜さを肯定し、結局はエゴイズムに走る人間を描き、虚無的な絶望的な余韻を残している。

とある。まず吉田氏の表現を使ったものから始まり、「エゴイズム」という表現は計四回使われる。三省堂の四二年度版「高等学校新国語 総合一」のように、「得意と満足」に関連づけることはなく、吉田氏と同じく「悪を肯定する」ことをエゴイズムとし、「抜き難」いものだとしている。

 参考文献には

芥川龍之介吉田精一 三省堂(昭和17)

芥川龍之介の回想」下島 勲 清文社(昭和22)

芥川龍之介」山岸外史 酣燈社(昭和25)

「芥川文学事典」(山田孝三郎 岡倉書房新社(昭和28)

「旧友芥川龍之介」恒藤 恭 河出文庫(昭和28)

芥川龍之介宇野浩二 文芸春秋新社(昭和28)

芥川龍之介の芸術と生涯」吉田精一 河出文庫(昭和26)

芥川龍之介吉田精一 河出文庫(昭和29)

芥川龍之介読本」高木 卓 学習研究社(昭和33)

「近代名作鑑賞」長谷川泉 至文堂(昭和33)

「国文学」芥川龍之介の総合探求 昭和三十二年二月号学燈社 

「文芸読本 芥川龍之介」荒 正人 河出書房新社(昭和昭37)   

が挙げられている。協力担当は相楽俊暁、とされている。

 また、参考資料として、

1「今昔物語第二十九巻、第十八の原文」として該当箇所の全文

2「或阿呆の一生 九」からとして「死体は皆親指に針金のついた札をぶら下げていた。」から「杏の匂いに近い死体の臭気は不快だった。」まで。医学部の死体解剖の立ち会った経験を記したものだ。

 「右の「王朝時代に背景を求めた或短篇」とは「羅生門」であると推測される。」と説明がされている。

3「澄江堂雑記から」として

「今僕が或テエマを捉へてそれを小説に書くとする。」から「不自然の障害を避ける為に舞台を昔に求めたのである。」まで。なぜ物語を昔に設定するかを述べた部分である。

4「吉田精一氏は「「芥川龍之介の芸術と生涯」(河出書房刊)の中で、右の文を引用して次のように述べている。」とし、

「①歴史的な小説の性格について」で「澄江堂雑記」の「古人の心に、今の人と共通する、いはばヒューマンな閃きを捉へた」という記述を芥川の他の歴史小説との違いとしている。「②羅生門の主題について」で吉田氏の意見「この下人の心理の推移を主題としあはせて生きんが為に、各人各様に特たざるを得ぬエゴイズムをあばいてゐるものである。思ふに彼が自らの恋愛に当って痛切に体験した養父母や彼自身のエゴイズムの醜さと醜いながらも、生きんが為には、それが如何ともすることの出来ない事実であるといふ実感が、この作をなした動機の一部であつたに相違ない。もし理想主義の作家であったならば下人が盗人とならうと思った心を嫗の醜い行為の前に翻然と忘れて義憤を発する所で巻をとぢるか、或はさうした悪心をすて去らしめて結局するであらう。しかし龍之介は却ってそこから下人にエゴイズムの合理性を自覚せしめてゐる。さうしたエゴイズムの醜さをのがれやうとすれば彼の生存を否定するよりほかはない。ここに龍之介の感じ且つ生きたモラルが見える。」を紹介し、「③芥川龍之介「今昔物語について」で芥川の文の抜粋を載せている。つまり、参考文献の半分は芥川の文章であり、半分は吉田精一の文章なのである。それ以外の人の文章はない。

 吉田の「羅生門」の解釈は、昭和26年の河出書房版「芥川龍之介」では、昭和17年の三省堂版「芥川竜之介」から若干の表現の変化はあるが、キーワードや言わんとすることは変わらない。中央図書出版社は、かなり細かく語釈を施し、参考資料も詳しく抜粋した。しかし、エゴイズムの根拠は、たったこれだけしか示せていないのだ。

 

 今まで、私は吉田精一氏に礼を失しないように控えめに述べてきた。しかし、今はっきり言う。彼の読みはあらすじ読みではないのか。餓死しそうな下人が盗みをした、から導き出したので、生きる為には悪いことも仕方ないよね、なんだろう。「俺も飢え死にする体なのだ」と言ったなら、作者も認めていることに果たしてなるのか。では、「かうなれば、もう誰も嗤ふものはないにちがひない。」と書いてあるから、鼻が元に戻った内供を笑うものは誰もいないとなってしまうのか。あまりに幼稚な読みではないか。今昔では登場しないインチキ商売女がなぜ「羅生門」に登場するのか。今昔では死体の着物も剥ぐのにその描写がないのはなぜか。今昔と同じ部分が主題だとするより、違う部分、芥川が作った部分の必然性を読み解くことこそが文学ではないのか。芥川の言う「古人の心に、今の人と共通する、いはばヒューマンな閃き」を、飢え死にしない為に盗みをするという、あまりに表面的なこととして吉田氏は捉えてしまっている。私は老婆の理由づけ、揚げ足取りの下人の理由づけに「今の人と共通する」ものを見るべきだったと思う。

 吉田氏は「彼が自らの恋愛に当って痛切に体験した養父母や彼自身のエゴイズムの醜さと醜いながらも、生きんが為には、それが如何ともすることの出来ない事実であるといふ実感が、この作をなした動機の一部であつたに相違ない。」と書いた。なぜエゴイズムという言葉を使ったのかについては、芥川が「羅生門」を発表した大正四年九月の半年前、三月九日井川恭宛の書簡に「イゴイズムをはなれた愛があるかどうか イゴイズムのある愛には人と人との間の障壁を渡ることは出来ない 人の上に落ちてくる生存苦の寂莫を癒すことは出来ない イゴイズムのない愛がないとすれば人の一生程苦しいものはない 周囲は醜い 自分も醜い そしてそれを目の当たりに見て生きるのは苦しい しかも人はそのままに生きることを強ひられる 一切を神の仕業とすれば神の仕業は悪むべき嘲弄だ 僕はイゴイズムを離れた愛の存在を疑ふ(僕自身にも)僕は時々やりきれないと思ふ時がある 何故こんなにして迄も生存を続ける必要があるのだらうと思ふことがある そして最後に神に対する復讐は自己の存在を失ふ事だと思ふ事がある 」(第十七巻p 252)で、「イゴイズム」の語が見られるからである。しかし、吉田氏は作品の表現の細かな読み取りから帰納したのではなく、当時の芥川の書簡から「羅生門」の主題を演繹しようとしたようにしか思えない。吉田氏は芥川の書簡の「周囲は醜い 自分も醜い」を「養父母や彼自身のエゴイズムの醜さ」と言い換えている。自分の醜さは、吉田弥生に婚約が決まったと知ることで、彼女への愛に気づいて、彼女や婚約者の戸惑いを顧みず結婚を申し込もうと考えることとしても、果たして「周囲」を「養父母」に限定してよいのであろうか。「生存苦の寂莫」と言い、「自己の存在を失ふ」ことで神に復讐するというのだから、とても重大なことが彼にあるはずだ。「養父母」だけではなく、私は実父母も含めて考えている。つまり、この書簡から龍之介が出生の秘密を疑っていた可能性を感じるのだ。「太宰と芥川」(福田恒存、新潮社, 1948 )に描かれたこと(p103)が真実か私にはわからない。しかし、吉田氏の指摘した書簡は、「羅生門」との関係を示すより、むしろ福田氏の指摘の可能性を示す可能性がある。大正四年三月九日井川恭宛のこの書簡は、私ならその半年前に書かれた「青年と死」に関連する書簡だと思う。「青年と死」は前半に相手不明の性愛、後半に死への願望が描かれている。少なくとも「愛」は関係しているが、「羅生門」に愛が描かれているか、死への願望が描かれているか、否としか言えない。「羅生門」との論理的な繋がりがないにもかかわらず、教科書会社が参考資料としてこの部分を出すことが、エゴイズム論をますます一人歩きさせてしまったのではないか。

 「芥川竜之介 改訂版」(三省堂、1948)の中で、吉田氏は、森鷗外の影響として「『jsnusといふ神様には、首が二つある。どつちが本当の首だか知つてゐる者は誰もゐない。平吉もその通りである。』といふやうに、ふいと横文字を交へ、博識をしめすのは、鷗外文章の顰みにならつたものといふべきである。」(p67)と述べている。私も初めて見た時は博識を見せるものと思っていた。しかし、今はそう思っていない。単に鷗外の形を真似ただけとも思わない。吉田氏が例として示した、二面性を持つ男を描いた「ひょっとこ」では左右を常に往復する「Metronome 」も使われ、「虱」では虱を殺さず飼う人には先駆者を意味する「Pre'curseur、」が、虱を食う人には宗教迫害者を意味する「Pharisien」が使われている。初期作品においては、原語表記は、単に博識を見せるのではなく、テーマを暗示しているのではないのか。とすれば、「羅生門」において、「Sentimentalisme」はテーマを示しているのではないのか。思想ではなく、周囲の状況や他人の言動によって動く感情に支配される、まさに下人をひとことで表現した言葉と言える。吉田氏の「この下人の心理の推移を主題とし、あはせて生きんが為に、各人各様に特たざるを得ぬエゴイズムをあばいてゐるものである。」の「あはせて」以降は言い過ぎであり、むしろ前半の、言葉足らずではあるが「心理の推移を主題とし」の方にこそ、「羅生門」の本質があると私は思う。インチキ商売女を登場させることで、自分の行動への免罪を他者に求める連鎖が完成する。その場限りの言い繕いなのである。

「羅生門論2」六 「レポートの書き方」

原典である「レポートの書き方」と比較すると

 

(これも)高等学校の学生としてはきわめてすぐれたレポートである。(前の「ロビンソンとガリバアー」が主として社会的観点に立っているのに対し、これは)作品に即してその内面的意味をくみあげ、美的価値を認識することを主眼としている。(全然ことなった行き方である。)この論文では非常に原文をていねいに読み、構成や技術をこまかに調べている所がよい。又人間性の解釈も中に深いところをついている。ただ(前の論文とくらべて目立つところは)参考資料をあげていないことだ。

 

というように、 「ロビンソンとガリバアー」を書いた学生と比較する表現が省かれているだけで、「終らぬように心がけなければならない。」までは同じである。至文堂の「レポートの書き方」ではこれで終わっているが、教科書の方はこの後、「さていっぱんによいレポートとは、」という後半が補足されている。この部分は、「文章講座」河出書房1955年(昭和三〇年)から採られたものか、加筆なのかは確認が取れていないが、「羅生門論2」において問題とする内容ではないので、これ以上触れない。

 

 では、本題に戻る。高校生のレポートで私が注目した部分を次に抜粋する。

1 「「羅生門」のテーマは普通エゴイズムであるといわれている。」

2 「普通にいわれているように、ただ人間のエゴイズムを描いているのではなく、善にも悪にも徹底し得ない不安定な、不確実な人間のあわれな姿を、悪に激しく反対する良心ーー正義感(後でもいうが、この場合の正義感は、世の多くの正義感と同様に、決して純粋なものではない。)と、他人を押しのけてもなんでも生きようとする強いエゴイズムとの葛藤を通して描いている」

3 「あまり強く社会のことを頭におかないほうが安全である」

 

 2の表現は、高校生のレポートの二年前、昭和二三年に出版された、吉田氏の『芥川竜之介』(三省堂)中の

「善にも悪にも徹底しえない不安定な人間の姿を、そこに見た。正義感とエゴイズムの葛藤のうちに、そのような人間の生き方がありとし」の表現に非常に近い。つまり、吉田氏の「だれがどこでいっているか、こういうためには、そういう書物を見ていなければならないのだから、それをあげるべきである」の「そういう書物」とは吉田氏の書物で「だれ」は吉田氏を指すことになるのだ。しかし、そのことは明らかにされていないから、最初に書かれた、明治書院の教科書の説明の「ここに一高校生のすぐれたレポートがあり、それについて吉田精一氏が適切な批判と注意を加え」と合わせると、明治書院を合わせて、まるで四人以上が、「善にも悪にも徹底しえない不安定な人間のエゴイズム」を支持しているように見える。「普通」に対する否定や疑問がない以上、主題をエゴイズムと考えるのが「普通」だと考えるのが「適切」だと教科書は言っているである。

 3については、同じく「レポートの書き方」を昭和三八年から採録した中央図書の教科書の指導書(p164~165教科書図書館所蔵)には【参考資料】として

 

吉田精一著「芥川龍之介の芸術と生涯」(河出書房刊)1951から

「この作品に対して別途の見解をもつ評論がある。岩上順一は龍之介のイデエを別の場所に見た。この作は「あらゆる人間は饑の前には暴力的な行為に狩り立てられるものであるといふこと」から、「当時の労働運動の根拠をこの下人の行為に設定し」「老婆の形象の中には暴力的行為の理論に対する否定が含められている」といふ。即ち経済的困窮を理由にして、暴力的に、非合法的に、他人からその所有物を強奪しようとする論理は論理的に破滅せざるを得ないー「この『饑』の論理は大正初年に於けるアナルヒスムの論理であつたのだ。芥川は下人の姿のなかに、当時のアナアキストの思想と行動とを表現した。しかしそれと同時に、かかるアナルヒスムは、それ自身の論理によってそれ自らを否定せざるを得ないではないかと芥川は考えた。」これがこの作のテエマでありイデエの本質的方向だ(歴史文学論)といふのである。然し、テエマとかイデエとかが、自覚的な作者の意図をさすものとすれば、このような考え方は「羅生門」のテエマとは云ひ得ない。龍之介を正確に理解しようとする我々はこのやうな見解をそのまま受け入れることは出来ないのである。」

を載せている。「芥川龍之介の芸術と生涯」は現在国会図書館に所蔵はないが、これより早く出版された「芥川竜之介 改訂版」吉田精一三省堂、1948のp72~73に同じ文章が掲載されていた。こちらには、最後の「龍之介を正確に~」という文の前に「もしこのやうな解釋が後世の評論家によつて行はれたと知つたならば、龍之介はさぞびつくりするにちがひない。それは作品に寓意的な意味を増す一個の面白い解釋には相違ないけれども。」という言葉があるのが違うだけである。

 というように、「あまり強く社会のことを頭におかないほうが安全である」も、吉田氏の考えに近い。言い方を変えれば、この高校生のレポートは、吉田氏の考えを広めるのに利用されたのではないか、根性の悪い私はそんなふうに考えてしまう。もちろん、「レポートの書き方」という書物に採用したのは、教科書を意識したものではなかった。だが、自分の論を引いたと思われる作品を、レポートの例として使うことはよく無かったのではないかと思う。結果としてその後教科書に採用され、しかも吉田氏の批評分析まで載ることになってしまった。私は、吉田氏の考えと同じであるテーマの部分にほとんどの文を割くのではなく、高校生の示した「動」と「静」との対照表現の分析をこそ、細かな批評の対象として欲しかったと思う。こうした作り手の立場に立った表現分析まで行うことは大切なことだからである。舞台裏を見せられたような、不審な思いも吉田氏に抱かなくて済んだだろう。

 こういう、吉田氏の論を支えるような教科書の編成ではなく、あえて違う視点の二つのレポートを紹介し、さらに別の見方はないかと迫る方法もあるはずだ。学習した生徒は、二つの違う見方を示された後と、一つの見方への支持を表明された後では、新しい発想の出る可能性が違ってくるのではないか。このように「羅生門」を扱った最初の教科書が、テーマをエゴイズムとはっきり示したことは、この後「羅生門」の解釈を限定したものに絞っていく。明治書院が採用をやめた昭和三八年には中央図書が高校生のレポートとともに採用を始め、昭和四七年まで(幸田国広氏の「定番教材の誕生」p15の年譜による)続いていった。