昼を過ぎた頃、綾部駅の三本しかないホームは、三千人を超す乗客で、ごった返していた。いつもの一日の利用客の二倍以上の人数が集中し、しかもその乗客のほとんどが老人であるのは異様な風景であった。東日本からは京都経由で、西日本からは福知山線を乗り継ぎ山陰本線を経由して、日本各地から、老人たちは来ていた。舞鶴線運休の表示に老人たちは苛立っていた。
「電車を出せよ。」
詰め寄られた駅員の背中はぐっしょりと濡れている。
「みなさんご存知のように、高浜原発から半径五十キロメートルは避難命令地域になっています。舞鶴市は昨日全員避難完了しました。したがって、本日始発より舞鶴方面運休しております。再開のめどは全く立っておりません。」
「私が運転します。」凛とした声に、駅員は、驚いてふり返った。紺のスーツを着た老人がゆっくりと言った。
「キハ58なら、私は昨日も乗務しました。キハを貸して下さい。お願いします。」
駅員は、ほっとしたように、ため息をついて優しく答えた。
「電化されて、もう十六年経ちます。気動車は十年以上前に解体しました。」
老人は意外そうな顔をして、淋しそうに下を向いた。
「はいはい、こんなこともあろうと、用意しときましたわあ。皆さんこっちこっち。」
小太りの老人が手招きをした。駅前に、ぎっしり観光バスが並んでいた。
「恥ずかしながら社長しております。今まで儲けさせてもらった恩返しに、今日一日使うて下さい。つれも協力するって、ツテたどってバス集めてくれましてん。ええ旅行になるように私もお仲間に入れて下さい。」
「さすが、社長いつの間に。」
鉢巻をした老人が持ち上げた。
「わしやあらへん。玄さんがいうてくれたんや。明日なったら電車とまるんちゃいますかって。仕事は段取り八分てよういうたもんや。」
道は空いていた。対向車もなかった。信号は全て黄色の点滅だった。大型店舗の広い駐車場に、一台の車もないのは不気味だった。もちろん人影はない。突然先頭のバスが、スピードを落とし始めた。検問をパトカーが封鎖していた。警察官は言った。
「何をしてるんだ。帰りなさい。ここは立ち入り禁止区域だ。」
「わしら、行かねばならんのじゃ。通して下され。」
「危険です。帰って下さい。」
腹に響く低いエンジンの音が近づいてきた。
「ちょっと、ごめんよ、ごめんよ。」
鉢巻の老人だった。レッカー車を運転していた。パトカーに近づくと、あっという間に吊り上げた。警官たちは言葉を失った。
「さすが、プロや。真っ直ぐ平行や。」
「そこかよ、こんなこともあろうと乗ってきてたんだ」
にんまりする鉢巻の老人に、観光バスの社長は親指を立てた。
「段取り八分」
バスの運転手は、頬を紅潮させて細いのど仏を震わせた。
「死ぬまでに一度やってみたかったんだ。検問突破。もう思い残すことはない。」
バスは、スキール音を発しながら、尻を振って検問を突破した。
車内では、おにぎりが配られた。弁当屋の主人の計らいだった。「やっぱり日本人はおにぎりよのう。」途中で道を歩いている老人たちに出会った。どうやって検問を突破したのかを尋ねると、山越えをしたらしい。「なんも幹線道路つかわんでも、道はなんぼでもあるっさかいに。」言われてみればそうだ。乗り込んでくる彼らには、自販機の補給飲料を満載した保冷車を運転してきた老人から、オロナミンがサービスされた。
食べ物や飲み物の供給を受け、酒の飲みたい人はほどほどに、車内は明るかった。
「本日は平和観光グループ高浜原発観光ツアーに参加していただき、誠にありがとうございます。」やや鼻声の甘い声がスピーカーから流れてきた。「本日皆様方のお供をさせていただきますのはわたくし」
「いよっ、昔とった杵柄」、「声は若いぞ」、まるで旅行だった。
「おい、家族にいーめーる書いたか。」
「へ?eメール?」
「遺メールだよ」
「なあんも。おらあ残すような財産もないしね。身内で葬式さえ出してもらえればええとよ。あ、あれ、お坊さんも来こらしてるんだね。あれえ、アーメンさんと話してるよ。」
「んだ。なして、よその国さ、信心違うど、喧嘩すんだべが?」
目の前に陸上自衛隊中部方面隊第十師団が駐屯しているのが見えてきた。老人たちを乗せたバス、トラック、乗用車、ワゴン、軽トラック、オートバイ、レッカー車、長蛇の一大キャラバンが進んでいく。
「止まりなさい。止まらないと撃つぞ!」若い自衛隊員が叫んだ。
「軍隊が自国民を撃つのは、沖縄戦を最後にしろ!」老人が叱責した。戦車、ミサイルの間を老人たちのキャラバンは静かに通り抜けていく。銃を構えた自衛隊員たちは、呆然として老人たちを見送った。
「止まって下さい。核爆発が起これば、生きて帰れません。」
「この距離では、あなた方も同じことです。厳しい任務、ご苦労様です。」
老人たち一行は自衛隊員の視界から消えていった。
それは、十月の最初の土曜の未明だった。数人の特殊部隊兵により高浜原発はいとも簡単に占拠された。土曜であり、高官との連絡に手間取った政府の初動に問題がなかったとは言えないが、最初は、国内テロだと政府が考えたのは無理もなかった。しかし、高浜原発沖合20キロメートルに、B国の艦船が十数隻集結しているのを自衛隊機P3Cが報告した時、これは戦争だと、わかった。沖合に停泊した艦船から、続々と兵士が高浜原発に上陸してきた。彼らは、原発の周囲を厳しく囲んだ。そして、ミサイルランチャーを原発敷地内にセットした。
舞鶴港に停泊していた「しらね」「すずなみ」を始め、海上自衛隊舞鶴地方総監部は最も早く反撃できる場所にいた。しかし、上陸した敵兵を攻撃することは出来なかった。敵は、核を占拠しているからである。建屋に当たれば、核爆発を誘発しかねない。では、沖の艦船を攻撃すればどうか、それも出来なかった。なぜなら、敵は、報復として炉心を引き抜き、メルトダウンを起こさせるかも知れないからである。敵は原子力発電所を人質にとったのだ。手をこまねいて見ているしかなかった。これは、陸自中部方面隊第十師団とて同じことだった。その中を、老人たちは、しずかに通り過ぎていったのだった。
「じゃあ、そろそろいきますか。敵さん刺激しちゃいけないから、ここからは、歩きましょう。」
老人たちは、車から降りて歩き出した。
「旗屋さん、お願いします。」
「やっと出番でっか。端はわてが持ってますんで、隣の人にあんじょう転がしてってや。」
白い布がくるくる巻き広げられた。
『こ』『ど』、横断幕が広がる毎に、一文字ずつ見えてくる。
『も』『や』『孫』、力強く、黒い文字が現れてくる。
『た』『ち』『に』『殺』『さ』『せ』『な』『い』白い布が、草原に靡く。
「やつこさん達これ読めるのかなあ。」
「徴兵で来てる若者は、結構日本のアニメ好きってテレビで言ってましたよ。日本語読めるんじゃないですか?」
横断幕は、自衛隊に向けても広げられていた。『あなたたちに殺させない』
風が、横断幕を握りしめる老人たちの白い鬢を吹いていく。
「殺されてやる」
「そんなに肩肘張るなよ」
「ああ、年金もらい損ねた。」
「もとは取れてないな、でも、いい人生だったよな。」
「いい仕事仲間にも出会ったし。」
「はじめて出会う、見ず知らずの人と心がつながっていたなんて、ここに来てはじめてわかった。来てよかったと思ってる。」
「あんたと来れてよかたい。好いとうと。」
「やめんね、人が聞いとうけん。」
「ごちそうさん。俺なんざ一人もんだから、さみしくいきます。」
「何言ってんだよ、若い恋人作ったからだろ。彼女に行くって言ったのかい?」
「言う訳ないじゃないか。俺は一人でかっこよく彼女の幸せを祈るのさ。」
二人のやりとりを微笑みながら聞いている老女の襟元から、かすかに小さな位牌がのぞいている。
高浜原発に置かれた前線基地でも、彼らは異変に気づいていた。デジタル望遠鏡には軍隊とは思えない大勢の老人が南から歩いてくるのが見える。特殊部隊にしては目立ちすぎる。あの幕の後ろに何か隠しているのかもしれない。新しい報告が入った。まだ離れているが、老人の集団が東からももう一つ進んできているようだ。南からの集団より人数が多いらしい。不安になった指揮官はレベル3にひき上げた。守備隊のPK16のトリガーロックが一斉に外された。照準の先に、白い横断幕が微かに見えた。
横一列になり、静かに歩みを進める彼らの頭上を、数機のドローンが通過した。BBC、CNN、ワシントンポスト、ロシースカヤガゼータ、フィガロ、FAZ、世界中のマスコミが中継を始めた。
「きれいに撮ってね。」
一人の老女がまぶしそうに顔を上げてウィンクする。
一人が歌を歌いはじめた。
うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川
歌声に気づいて老人たちは微笑んだ。また一人が歌い始めた。
夢は今も巡りて 忘れ難きふるさと
歌声は次第に広がっていった。
いかにいます父母 つつがなしや友がき
ついに歌声は野を包み、
雨や風につけても 思いいづるふるさと
空に響き渡った。
完