maturimokei’s blog

俺たち妄想族

ゆくすゑにかへる

「ゆくすゑにかへる」


          原作 スティーブン・スピルバーグ
          文語訳 maturimokei

 

 今は昔、男ありけり。地頭なるびふ、性狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、むげに男を責めけり。男、子を養ふ。名をばまあていとなむいひける。遊び、蹴板をよくしけり。
 庚丑神無月二十日あまり六日の亥の刻のことなりけり。友なるどく、ときわたりからくり作りたり。薪の料足らざりけるにや、からくりはたらかず。料を得んとてきこりどもをたばかるに、きこり腹立ちてあやめにけり。まあてい、胆消え、ときわたりからくりに隠れたれば、きこりども火を放てり。牛驚きて走りまどひて、からくりを引きて走る。速きこと馬のごとし。まあてい、倒るまじとて内なる手棒をとらふに、からくり、きと影になりぬ。きこりどもあさむこと限りなし。
 まあてい、からくりより下りたれば、ありしにもあらず。みそひと歳前の世なり。にはかに馬ぞいななきをどり来たる。道行く男え動かず。まあてい男を押して救へども身は傷を負ひにけり。馬の主、「あないみじ。な、いたづらになりそ」とてわびて屋に具したり。女、うち見るや思ひ初めにけり。女は若かりし母君なりけり。救はれし男は若かりし父君なりけり。母君、父君を垣間見奉るべかりけるものを、まあていを垣間見給ひてけり。かたへのまなこを閉ぢて身を寄せ給ひければ、思ひまどひけり。
 若きどく、あひたり。からくりならむこと知りて喜ぶこと限りなし。「神鳴る日にこそ来し方に戻るべけれ」と言ひけり。
 宴あり。びふ、母君に夜這ひたれど、まあてい、母君を救ひ、父君のわざとなしにければ、母君、父君とともに舞ひ給ひけり。まあてい、箏の琴をあはれに弾きければ、父君、母君の口をぞ吸ひ給ひける。喜びて、箏を立て身は仰向きて今様に弾けば、みなひと、あさむこといふもおろかなり。
 神鳴るに、牛驚きて走りまどひ、ときわたりからくりを引く。まあてい、どくを救はんと、庚牛神無月二十日あまり六日の戌の刻にもどりぬれども、はやううち伏して動かず。「あな、阿弥陀如来」とて泣きののしるに、つと立ちけり。「なむぢが消息により、内に鎧着たり」とて笑ふ。まあてい、神鳴る前に文書きしなりけり。
 帰るに、ありしにあらず、今浦島なりけり。屋光り満ちて、父君母君今様になりたまふ。びふ奴婢になりて「あが君、仰せ言賜べ。いかが奉らん」とて伏しをり。まあていあやしむに、空翔る車来たり。乗りたるどくいふやう「いみじ。いざかへらむ、行くすゑに」

 飛べ根治入道。