maturimokei’s blog

俺たち妄想族

「羅生門論2」五 昭和25年の高校生のレポート

 

 高校生のレポートについては、文体や内容のレベルの高さに対して漢字使用の比率が低く違和感があった。原典である「レポートの書き方」(学生教養新書・昭和二十七年二月二〇日至文堂刊)と比較してみた。明治書院が検定上ひらがなに直したようだ。第一段落だけでも

いわれて←云われて

すなわち←即ち

欲求←慾求

板ばさみ←板挟

途方にくれて←途方に暮れて

いだく←抱く

押さえつけ←抑えつけ

意欲←意慾

現われ←表われ

飢え死にするからだ←餓死をする体

という←と云う

捨てぜりふ←捨科白

というようにかなりの書き換えが行われている。善悪分析のbの「独壇上」は、原典は「独壇場」と正しく書かれている。文体と漢字比率の違和感は解消された。

 次に私はこの高校生がいつの高校生なのかが気になった。「羅生門」のテーマは「普通エゴイズムであるといわれている。」と書いているのであるから、いつ頃には普通になっていたのか知りたかったのである。当然教科書の出版よりは前であり、「レポートの書き方」(学生教養新書・昭和二十七年二月二〇日至文堂刊)よりさらに前となる。明治書院の昭和三十二年~三十七年の教科書の指導書は教科書図書館にはなかったが、中央図書の昭和三五年~三七年版の指導書の中に、

レポート羅生門について 

1作者作品解説 

作者 このレポートの作者は(生徒作品)となっており、個人名が書かれていない。生徒とは、このレポートの出典とされている「レポートの書き方」によると「高等学校の学生」(同書五七ページ四行目)となっている。このレポートの紹介引用者は吉田精一氏である。

とある。吉田氏は「レポートの書き方」の中で、

羅生門のテーマは普通エゴイズムであるといわれている。」というのが、その「普通いわれている。」のは、だれがどこでいっているか、こういうためには、そういう書物を見ていなければならないのだから、それをあげるべきである。(略)それをひくのが礼儀である。

と批判しているが、吉田氏自身が、高校生のレポートを見ていなければならないのだから、だれがどこでいっているか、それをあげるべきである。礼儀を失している。高校生のプライバシーに配慮するとしても、この高校生のレポートだけ載せた書物が発行されたとは考えにくいので、なんという書物、研究誌に掲載されたかは明らかにすべきであった。はっきり言うと私は疑ったのだ。高校生のレポートとしてはレベルが高すぎる、しかも内容は吉田氏の考えに近い。どこか手を加えているのではないのか。だから、出典を明らかにしないのではないのか。疑り深い私は、そうした高校生のレポート集や感想文集、研究誌というものは現存するのかを加西市立図書館に相談すると、国立国会図書館に依頼してくれた。

 詳しい調査方法と調査結果について丁寧に回答をいただいた。感謝を込めて以下抜粋する。

 

 

 (調査方法)

ご照会事項から、キーワード「羅生門 吉田精一」で国立国会図書館オンライン(https://ndlonline.ndl.go.jp/)を検索したところ、芥川龍之介の著作である『羅生門』が多数ヒットしたため、調査対象を、芥川龍之介の『羅生門』に関する資料のうち、1979年以前に出版されたものとしました。

 

まず、キーワードを「国語 OR 教授 OR 研究 OR 教科書 OR 教材 OR 指導 AND 羅生門 AND 芥川」、出版年を「~1979」として国立国会図書館オンライン(https://ndlonline.ndl.go.jp/)を検索し、「大学教授」や「英語青年」、「支那語」等、条件と異なるものを除いて、国際子ども図書館所蔵資料またはデジタル化資料を確認したところ、「回答」(ア) (イ)の資料が見つかりました。

 

次に、キーワード「教科書 羅生門」で国立国会図書館オンライン(https://ndlonline.ndl.go.jp/)を検索し、以下の参考文献を確認したところ、「羅生門」が初めて教科書に教材として登場したのは、1956(明治31)年に発行された、明治書院『高等学校総合2』、数研出版『日本現代文学選』、有朋堂『国文現代編』であることが判明しました。なお、明治書院『高等学校総合2』についてはp.33に表紙及び本文の図版があり、『高等国語総合2』と記載されています。

 

教科書と近代文学:「羅生門」「山月記」「舞姫」「こころ」の世界

日本近代文学館編,秀明大学出版会,2021,6【KG311-M99】pp,30-33

 

また、調べ方案内「教科書の掲載作品を調べる」(https://mavi.ndl.go.jp/research_9uide/entry/theme-honbun-102275.php)に掲載している参考文献を確認したところ、以下の参考文献に「羅生門」が掲載されている教科書のー賢が見つかりました。

 

教科書掲載作品13000 : 読んでおきたい名著案内

阿武泉監修,日外アソシエーツ,2008.4【F1-J5】pp11-12

 

なお、調査対象を、当館で所蔵する1956年から1979年の間に出版された国語の指導書として、出版年を「1956~1979」、分類を「Y411」(小学校)、 「Y431」(中学校)または「Y451」(高等学校)として国立国会図書館オンライン (https://ndlonline.ndl,go.jp/)を検索しましたが、該当する資料はありませんでした。

 

(略)

 

 

 

【調査②】

 次に、Googleブックス(https://books.google.co.jp/)を「吉田精一レポートの書き方羅生門」で検索してヒットした2点の資料を当館の資料で確認したところ、出典についての情報ではありませんが、ご照会のレポートの作成経緯と関連する記述がありました。

 

 資料③ 増淵恒吉著.国語科教材研究.有精堂出版,1971【FC76-68】

 

 ○「単元学習の実際」(pp.284-305)内のpp.299-300

 以上は「短編小説の読み方」という単元指導案の一例を示したものである

 7 指導の実際

 わたくしは、本年一月から二月にかけて、この単元を高校一年で取り扱ったので、次に指導の実際をかんたんに紹介して批判を仰ぎたいと思う。

 まず、最初の話し合いで、資料としては、(1)鷗外の「安井夫人」(2)鷗外の「寒山拾得」(3)芥川龍之介の「羅生門」(4)モーパッサンの「酒樽」を、とりあげることにした。

 

 ○「あとがき」(pp.306-313)内のpp.312-313

  「単元学習の実際」

 国語科学学習指導研究協会編「国語科学習指導要領の実践計画中学校高等学校編 (昭和二十六年十月三十日六三書院発行)に掲載。二編とも、戦後の新しい国語科教育発足当時の筆者の考え方や実践の報告であり、多少の資料としての意義があろうかと思って、本書に採録した。

なお、「羅生門」担当のグループは、学習後レポートを作成した。それは、吉田精一氏の「レポートの書き方」(至文堂発行)に採録され、教科書にも掲載された。

 

 資料④ 増淵恒吉編.国語教育の課題と創造.有精堂出版,1984.2【FC76-527】

 

 ○増淵垣吉「VI 国語教育五十年」(pp.285-300)内のpp.296-297

 同年の10月中旬に、都立一高(25年1月H高校と改称)に移る。 (中略)

 翌25年4月には、新制中学の卒業生が高校へ進学して来る。その一年生には、「短編小説」という単元名の単元学習に取組んだり、三年生には、「文学の批評」の単元学習を、及び腰ながら試みたりした。いずれも、それらの実践報告は発表しているが、前者で取扱った「羅生門」については、あるクラスの担当班が、作品研究をまとめ、吉田精一氏の「レポートの書き方」に掲載され、更に検定教科書にも採録されたことがある。

 

  【調査③】

 資料③及び④の情報から、ご照会のレポートは、1951年1月から2月にかけて行われた東京都立H高等学校の1年生の国語科の単元学習「短編小説」の中で行われた学習内容をまとめたものである可能性が高いことがわかったため、ご照会事項を踏まえ、調査対象を「東京都内の高等学校の生徒のものを含む可能性がある読書懸想文を複数掲載している1951年2月~1953年12月発行の資料」と設定しました(資料②において、当該レポートは「都内の某高等学校の生徒の提出したもの」とされており、出版物に掲載されたのだとしても「レポートの書き方」が執筆・出版された時点においては、提出済みだが未掲載という状況であったことも考えられるため、「1953年1 2月以前」にまで範囲を広げました)。

 

 まず、検索条件を、資料種別「雑誌」、キーワード「高等学校OR高校OR中高OR生徒OR学生OR学年OR年生OR干代田OR東京OR関東OR全国OR日本」、タイトル「レボートOR書OR文ORコンクールORコンテストOR賞OR作品」、出版年「~1953」として国立国会図書館検索・申込オンラインサービス(https://ndlonline.ndl.go.jp/)を検索しましたが、設定した条件に当てはまるものは見当たりませんでした。次に、この検索条件を、キーワード及びタイトルはそのままとし、資料種別を「図書」に、出版年を「1951~1953」に変更して検索しましたが、設定した条件に当てはまるものは見当たりませんでした。

 

最後に、以下の資料の目次で「生徒作品と講演」の昭和25~27年度の作品タイトル (pp.5-6)を確認しましたが、羅生門についてのレポートは見当たりませんでした。なお、「資料は主として「学友会雑誌」「星稜」等の校内諸誌に依った。」という記載があります(p.1)。

 

H高校百年史編集委員会編.H高校百年史中巻,H高校百年史刊行委員会,1979.3【FB22-847】

 

なお、今回の調査は国立国会図書館国際子ども図書館で閲覧可能な資料を用いて行いました。増淵恒吉氏に関係する以下の東京本館の資料は未確認です。

 

・増淵恒吉[著],山本義美,世羅博昭編著.増淵恒吉都立H高等学校国語学習記録昭和28-30年度.渓水社,2014.フ【FC76-M12】

・山本義美,世羅博昭編.増淵恒吉国語教室の実際都立H高等学校時代の国語学習記録.淡水社,2014.7【YH251-M326】

・増淵恒吉文庫蔵書目録(抄)について(特集増淵恒吉研究の現在)幸田国広,後藤志緒莉,勝見健史,坂本樹,藤波利奈,田中稜

掲載誌国語教育史研究(19):2019 p,18-50 【Z71-L565】

 

 (データベースの最終アクセス日:2022年8月27日)

 

 

 

 

ということであった。昭和二五年、増淵先生の指導のもと、H高校の一年生グループが作成したレポートらしい。私はH高校にメールを入れた。検定教科書に載る名誉なのだから校内の記録集に、増淵先生の発表資料とともに、もしかすれば原文が掲載されているのではないかと考えたのだ。お忙しい中丁寧なお返事をいただいたが、

保存について確認されていない、

個人情報保護の観点からすでに廃棄されている場合がある、

問い合わせの目的が学会や研究会等の学術発表ではなくブログであるため、本校規定では私的な発表には所蔵資料を開示・閲覧することができない決まりとなっている、

ということだった。

 次に、東京都高等学校国語教育研究会事務局にメールを入れた。

増淵恒吉の「羅生門」の記録は、東京の国語研究の関係者の多くに情報を求めたが、発見には至らなかった、

すでに退職している元幹部の中には、増淵先生のことを存じている者もいたが、当研究会には約30年前くらいまでの資料しか存在せず、当時の資料は残されていない状況だった

ということだった。そこで国立国会図書館が未確認としていた、増淵先生の学習記録データ渓水社,2014.を、国会図書館で閲覧した。これには、増淵先生の授業中の、板書のみならず全ての人の発言が姓とともに記録されていた。当番制で毎時間生徒が記録したのである。これに載っていればグループがレポートをまとめる過程もわかると、昭和二八年から三一年までの全てのDVDを見たが、残念ながら発見できなかった。昭和25年のものは記録がなかった。しかし、そこには増淵先生が遅れて来られたり、途中抜けられたことも、細かく記録されていて面白かった。記録を採るのは大変な労力で、文句を書いている生徒も何人かいた。生徒のプライバシーになるが、姓入りの発言を手書きで読むと、授業が目に浮かぶようで楽しかった。

 NDL ONLINEによると「国語教育のための国語講座 第8巻」朝倉書店, 1958や、「国文学 : 解釈と鑑賞」 22(7)(254)雑誌 至文堂編、には、増淵恒吉とともに吉田精一の名も見える。「理解と鑑賞のための日本文学史」金子書房, 1955 は吉田精一、増淵恒吉 共著である。二人は親交があったのだろう。増淵氏の生徒が書いたレポートが吉田氏に渡ったと考えるのが自然だろう。

 後日、H高校の偏差値をネットで調べて驚愕した。見たことのない数値だった。出身著名人百人を見て、驚きは次第に笑いに変わった。私が高校で教えていた文章の作者が次から次から出てくるのだ。考査の文学史の問題の答えの作者名が後から後から出てくるのだ。笑うしかなかった。高校一年生で「パンセ」はないだろうと思っていたが、「真理の貯蔵所にして不確実と誤謬の排泄腔、宇宙の栄光にして同時に廃物。」も早熟な彼らならそらんずることもあり得ると思った。卒業生の作品が教科書に載るのが日常茶飯事の学校に、よくも事実確認のメールを入れたと恥入った次第である。しかし、教科書に初めて採用される七年も前に、グループ学習で「羅生門」を研究させていた先生がいらっしゃったことを知ったことは幸いであった。