増淵恒吉氏の授業
「レポートに書き方」に例として挙げられた生徒作品「『羅生門』について」は、十五年間にわたって高校現場に影響を与えた。その作品を生んだ増淵恒吉氏の授業はどのようなものだったのだろう。「増淵恒吉国語教室の実際 都立H(※本文は学校名明記)高等学校時代の国語学習記録」(山本義美、世羅博昭 編、渓水社2014年)から抜粋する。
⑴ 前期増淵恒吉国語科授業の実際
増淵恒吉氏は、戦後、アメリカのC・I・Eによって導入された経験主義にもとづく国語科学習指導を、「生徒の生活に即した、生徒の関心の深い話題を取り上げ、その話題を中心として、話す・聞く・読む・書くという言語による諸活動を総合的に組織し、実際にその言語活動を経験させる中で、生徒に必要な言語能力を高めていく学習指導である」と、基本的には考えていた。しかし、高等学校では、このような「生徒の生活に即した、生徒の関心の深い話題」を取り上げる生活単元による学習指導はなかなか実践できないとして、「国語科という教科に即した課題(たとえば、「短編小説の読み方」「随筆の読み方」「要点のとらえ方」など)を設定し、その課題の解決に必要な複数教材からなる単元を編成し、その課題の解決をめざして、生徒が意欲的、主体的に話す・聞く・書く・読む活動(言語経験)を展開する過程で、話す・聞く・書く・読む言語能力を育てる、教科単元による国語科学習指導を志向していた。
この実践例として、『国語料学習指導要領の実践計画 中学校高等学校編』(六三書院・昭和二六年三月)所収の「短編小説の説み方」(高一・18時間)の学習活動例を整理して紹介したい。
⑴ 《一斉学習》この単元で取り上げる課題を決める。
→「短編小説はどう読んだらよいのか」
⑵ 《一斉学習》 これまでどんな短編小説を読んだか、その作品についての感想をかんたんに発表し合う。
⑶ どんな作品をこの学習にとりあげるか、話し合う。
→話し合った結果、資料として、教科書教材の森鷗外「安井夫人」のほかに、森鷗外「寒山拾得」、芥川龍之介「羅生門」、モーパッサン「酒樽」をとりあげる。
⑷ 《一斉学習》各グループが担当する作品と課題を決める。
→第一班「安井夫人」、第二班「寒山拾得」、第三班「安井夫人」「寒山拾得」「阿部一族」などを中心とする鷗外作品、第四班「羅生門」、第五班「羅生門「鼻「芋粥」など芥川の初期作品の作風、六班「酒樽」、第七班「短編小説の性格」について担当する。
⑸ 《グループ学習》グループごとに次のような学習を行う。
① 次の論点に注意しながら作品を読む。(→第七班は別の学習)
〇 理解しがたい語句はないか。○ 筋や構想はどうなっているか。○ どんな人物が登場するか、それらの人物はどのように描かれているか。○ 表現の巧みなところはどこか。○ 作者の物の考え方、見方はどうか。○ どんな点を、おもしろい、またはすぐれていると感じたか。
② 発表の準備をする。
○ 担当の仕事を決める。○ 発表の事項を整理する。○ グループごとに討議の題目(→課題)を決め、あらかじめ学級全体に発表しておく。(→他のグループ全員の予習の課題となる。)
⑹ 《一斉学習》グループごとに研究発表をし、あらかじめ提出された題目(→課題)について討議する。
① グループごとに、作品中の難語句の解釈プリントを配布する。
② あらかじめ他のグループに示しておいた題目(→課題)について討議する。
担当班がいきなり説明してしまうのではなく、担当班が司会し、討議を展開する中で、担当班の案を提示させるようにする。
→題目(→課題)の二例を示すと、次のようであった。
○「安井夫人」の場介
一、作中の人物の動作や心持の細かい動きの表現されているところはどこか。
二、「ももの節句」はこの作品の中で、どのような役割をしているか。
三、この作品の筋の進め方の上で、すぐれていると思う点はどこか。
四、作中の主要な人物の性格は、どのように描き分けられているか。
五、この作品の主題は何か。
○「羅生門」の場合
一、作品の構成はどうなっているか。
二、下人の心理の推移はどうなっているか。
三、「蟋蟀」や「面皰」を点出したことは作品の中でどんな効果を持っているか。
四、「下人の行方は誰も知らない」という文には何か意味があるのか。
五、この作品の主題は何だろう。
六、文体の上で何か特質はないか。
③ 締めくくりの意味で、第七班は、短編小説の特質や性格をこれまでに読んだ作品をもとにするとともに、文学辞典や文学講座を参考にプリントにして発表し、質疑に答える。
このように、前期の国語科授業は、国語科という教科に即した諜題のもとに、複数の教材を取り上げて大単元を編成し、グループごとに教材を異にした複線型の学習指導が展開され、最終的に、全体の場でグループの研究発表と質疑応答が行われる。この一連の読む・書く・話す・聞く言語活動を展開する過程で、読む・書く・話す・聞く言語能力を育てる指導が求められるのである。このような実践を行うためには、教材開発力、教材編成力、単元構想力、単元展開力、グループ指導力など、教師の実践的な力量が大きく問われてくる。したがって、教科単元による学習指導を実践することは、なかなか容易なことではなかったようである。
とある。ここから、生徒作品「『羅生門』について」が生まれた過程がわかる。まとめると
①「羅生門」は生徒の話し合いで選ばれた。
②筋や構想、人物の描かれ方、表現の巧みさ、作者の物の考え方、作品のおもしろさやすぐれているところを論点にするように読むように、増淵氏から指導されていた。
③ 作品の構成、下人の心理の推移、「蟋蟀」や「面皰」の効果、「下人の行方は誰も知らない」の意味、作品の主題、文体の特質は班でまとめた。
④文学辞典や文学講座を参考にすることを増淵氏から指導されていた。
ということになる。その集大成が生徒作品「『羅生門』について」なのである。指導されたことは全て考察されているが、出典の明記については指導されていなかったようだ。
増淵氏のH高校への赴任は昭和25年とされているから、三六書院の発行年から考えると、この授業は25年と考えられる。27年発行の「レポートの書き方」に採用されたこととの整合性が取れる。当時発刊されていた雑誌「国文学 解釈と鑑賞」(至文堂 編)や雑誌「国語と国文学」(東京大学国語国文学会 編、明治書院)には吉田精一氏、増淵恒吉氏、土井忠生氏の名が寄稿者として何度も見える。彼らは親交があり、サロン的な場で生徒作品「『羅生門』について」は共有されていったのかもしれない。