maturimokei’s blog

俺たち妄想族

「羅生門論2」十三 光村図書出版 昭和五一年(1976)~五三年

光村図書出版 昭和五一年(1976)~五三年

 

 光村は五七年から三年間、再度採用する。計六年間となる。これは他の会社と比較すると短い方になる。 

 

 主題として

 「生きるためには盗人となるよりしかたがないと思いながら、その決心もつかずにいる下人が、死人の髪を抜く老婆を見て、一時は斬って捨てようという義憤に燃えるが、これも生きるがためのしかたがない所業だという老婆の言を聞き、彼もまた決然とその老婆の衣服を剥ぎ取るに至る、この下人の心理の推移を追求しつつ、生きるためのエゴイズムの実態をあばくのが、この作品の主題となっている。」(p65)

としている。これは吉田精一の「この下人の心理の推移を主題とし、あはせて生きんが為に、各人各様に持たざるを得ぬエゴイズムをあばいてゐるものである。」を表現もほぼ踏襲したものだ。「心理の推移を主題とし」はわかりにくい。心理は推移するものだ、という意味なら、小説は心理の推移を描いた物が圧倒的に多く果たして「羅生門」の主題と言えるのか疑問が生まれる。むしろ意志を変えない人物こそ主題になりうるが、揺れ動く心理が物語を支えるのは言うまでもない。

鑑賞として、

 「所々に青年らしいペダンチックな言辞を振りまきつつ、少しシニカルで、ニヒリステックなポーズをとることによって、当世風な味つけとするが、眼目は様式美であることを片時も忘れていない。」

と、主題よりも様式に「羅生門」の特徴があると述べているのは注目に値する。また、日本文学研究資料叢書中の「芥川龍之介の出発」という論文の中の小堀桂一郎氏の説を紹介し

「鷗外訳の諸国物語中の『橋の下』の主題が換骨奪胎されてこの作品に埋め込まれているもようである。」

と指摘している。『橋の下』との関連については、後で資料を添えて検証されている。また解説者は、ロダンの『地獄の門』の一部として制作された「考える人」と石段の上に腰をおろした下人のポーズとの共通点、さらに『羅生門』という題名にダンテの神曲の地獄の入り口の「この門を過ぐる者、一切の望みを捨てよ」の一節を見ている。言われてみれば、面白い指摘だと私も思う。パロディーは芥川が当時書こうとした「愉快な小説」に矛盾しないからである。

 『あの頃の自分のこと』については

「問題は恋愛や気の沈みになく、「愉快な小説」にある。『羅生門』がなぜ愉快な小説かと問う者には、知性の職人としての芥川の心意気がわからないということになる。こんな短い小説にこれだけの内容を盛り込み、しかもどこにも破綻を見せないできばえなのだから、書く間は大いに愉快であったにちがいない。いうなれば読者の鼻をあかす楽しみであり、山東京伝なら「一々御見物にはわかりかねます。」とただし書きをつけて悦に入るところなのだろう。」(p66)

と、様式美との関わりで述べている。しかも読者に「わかりかねる」ことを目論んでいたと言うのである。傾聴すべき意見だ。

「引き抜いた生肝を読者にぶつけることをもって迫力とする類の文学とは、つまるところ境を異にするところで芥川の文学は発生していたのだと思わざるを得ない。文学にもいろいろあって、楽しみ方もいろいろあるという時代に、今がなりつつあるのかどうかはさだかでないが、時間の経過に耐えて、文学作品が生き延びる一つの要素として、様式美があることを芥川の作品が示しているのではあるまいか。」

文学史からのアプローチでは、時代とは「境を異にする」と、吉田氏とは違う見解を示している。

 老婆の理屈について

「体験に根ざした確かさ、強靭さがあり、その点で説得力がある。それが下人を決定的に動かしたのである。」(p72)

として、下人が老婆の考えに同調したとしている。

「下人の心に起こる是非善悪の判断は、自己の主体的な、論理的または倫理的基準によるのではなく、外部からの刺激、他人の論理によってどうにでも変わり得るものとして描かれている。ここで下人の置かれている状況は一種の極限状況であるにもかかわらず、奇怪な老婆の言動に触発されないかぎりは、生と死、善と悪いずれを選ぶ勇気も決断力もわいてこない。下人を黒洞々たる闇の中に追い立てた勇気は、老婆のもつ論理に動かされて生じたものである。だから、盗人となった下人の行く手に何が待ち構えているかによって、彼の勇気は容易に変質したり消滅したりすることが予想される。」(p75)

としている。私は、他者に動かされる人間という把握に同意するが、解説者が勇気を文字通り勇気ととったことには同意しかねる。芥川が勇気という言葉に皮肉を込めて使う例が「羅生門」発表時期に他に見受けられる(拙著「羅生門論」勇気について参照)からである。また、「羅生門」が「そういう問題はすべて捨象されたところに設定されているのであるが」という条件付きで、

「社会の最下層にあって、上層階級の権力や財力に全面的に隷属することを強いられて生きてきた人間の悲しさがそこにはある。」

と付け加えている。

 

 「羅生門」を鷗外訳の「橋の下」と比較して、

「その内面的構成を深く「橋の下」に負うている事情は明らかに看取できよう。」

と、場所が一定して移動しない、時間が数刻で終わる、筋が単一である、登場人物が二人で無名で、危機に立つ人物と示唆を与える人物である、という点を挙げている。また、結果が「橋の下」と「羅生門」とでは逆転していることをパロディー性と見ている。付け加えるなら、私は「橋の下」では、一本腕の最後の「いずれ四文もしないガラス玉か何かだろう。」(青空文庫より)の言葉がキーだと思っている。「世界に二つとない正真正銘の青金剛石」だという爺さんの言葉の真偽はわからない。おそらくガラス玉なのだろう。しかし、万に一つブルーダイヤモンドである可能性を残すところにこの作品の面白さがある。自分を納得させる合理化は、真実とは別のところでなされる。もし、芥川が「橋の下」から影響を受けたというなら、下人の「では、己が引剥をしようと恨むまいな。」も合理化であり、真実とは別のところでなされたと見るべきなのだ。

 

「読者は時間と空間とを超越した地点、たとえてみれば神の高みに立って小説世界の中をのぞきこむ。このような「安全」な地点こそ、実は本来的に小説読者のための視点であろう。これは小説が素朴実在論的なリアリズム文学の平面に立って作られているかぎり到達することのできない、物語というものに特有の視点である。青年作家芥川龍之介は「橋の下」の一篇を読んだ時、その炯眼を以てこのような物語の構造を見抜いたのではなかろうか。明治四十年代に文学の「本道」として確立したいわゆる風俗小説とは全然別の小説の方法がそこにあることを直観的にさとったのではなかろうか。」(p78)

「彼は「橋の下」を完全に消化し、その小説作法を自家薬龍中のものとした」

と、前時代の小説とは違う小説の方法で書かれた可能性を示している。

 

 以上まとめると、主題としては最初吉田説を踏襲したものを示すが、「鷗外訳の諸国物語中の『橋の下』の主題が換骨奪胎されてこの作品に埋め込まれているもようである。」という小堀氏の説の引用は明らかに矛盾している。『橋の下』は、行動を起こさない理由の合理化が主題だろうが、エゴイズムに関係しているとは全く思えないからだ。この解説には吉田説を理解しようと努めた形跡も見られない。吉田精一の名は、参考文献には出てくるが、解説文中には出てこない。出てくるのは小堀桂一郎氏の名であり、むしろ解説の大半は、様式美に力が注がれる。そして時代とは「境を異にする」小説だったとしている。「ここでは、テーマもまたストーリー展開のうえの〃相対的な要素〃以上のものではない。」というのが、解説者の真に言いたいことだろう。傾聴に値すべきだ。

 小説は「引き抜いた生肝を読者にぶつけること」を目的とすると固定的に考えるから、「極限状況におけるエゴイズム」などの言葉が出てきたのでは無かろうか。自死からの逆算もあったように思う。今ならナンセンスなどは当時の尺度で測れない価値観だろう。生まれるのが早すぎたために、誤解されて貼られた「羅生門」のレッテル。それがエゴイズムだと私は思う。

 では、相対的な要素に過ぎないエゴズムではなく、ストーリー展開によって生まれてくる意味は「羅生門」に存在するのか。パラドクスを扱うことが多い芥川が、主人公を下人から内供、五位、カンダタ、良秀に変えたのは意味がある。なぜなら、為手より受手にこそパラドクスの切れ味はあるからだ。受け手であるから、論理という個人を超えたものからの支配が強く迫る。下人は為手である。そして、受け手を支配する為手の論理が

moral”(at least, “moral of philistine")is the production of occasional feeling or emotion which is also the production of occasional situation.」(「defence for “rasho-mon”芥川龍之介全集』第二十三巻

だと芥川は言っているのである。