maturimokei’s blog

俺たち妄想族

「羅生門論2」十四 明治書院 昭和五一年(1976年)

明治書院 昭和五一年(1976年)〜五四年

 

 明治書院の教科書は、既に昭和三二年版を取り上げた。日本で最初の「羅生門」採用の教科書であり、吉田精一氏が選んだ高校生のレポートと、氏の批評も掲載されたものだった。教科書図書館に指導書が保存されていなかったが、吉田説が色濃いものであろうと想像していたが、五一年版を見ると想像は間違っていないと確信が持てた。明治書院三省堂とともに最も長く「羅生門」の採録を続けている。ちなみに吉田氏の「芥川竜之介」が昭和十七年に三省堂から出されたことはすでに述べた。

 参考文献には様々な人の名が見えるが、指導書の内容には反映していない。解説内容はほとんどが吉田説である。「「羅生門」の評価の変遷」と章立てしても(p144)、吉田氏と三好行雄氏の二人の説しか示されていない。他の教科書が、岩上説、宇野説、福田説、駒沢説、小堀説、などを紹介しているのに、たった二人は変遷といえる数ではない。しかも三好説は「この小説の主題が、下人の心理の推移を写しながら人間のエゴイズムの様態をあばくことにあった、という従来の指摘は正しいであろう。」とし、「生の我執は既に罪ではなく、人間存在のまぬがれがたい事実にほかならぬ」とエゴイズムは個人ではなく、人間存在の問題だとしているに過ぎない。変遷と呼べるものではない。

 教科書の【研究】の五の「作品の主題を二百字程度にまとめてみよう。」の解答例として、

 「人間は各自、利己主義者(エゴイスト)である。この場合で言えば、老婆は生きるために死人の毛を技いている。その髪の毛を抜かれている女も、蛇を切って干して、魚の干物だと言って売っていた。下人も盗人にならなければ飢え死にするので老婆の着物をはぎとってしまう。このように人間が極限状況に置かれると、ふだん隠れているエゴが露骨に出る。作者はそうした、各人の内に潜むエゴイズムをあばいてみせようとした。」

としている。さらに「参考として生徒に聞かせるのもよい。」として、吉田氏の根拠としている、「エゴイズムをはなれた愛があるかどうか。」から始まる例の書簡を示し、「芥川は大正三年夏、初恋を経験したが、芥川家の反対にあって、翌年四月ごろ破れた。それも関係しているので、生徒に話すと興味を持つと思われる。」としている。 

 最初から最後まで吉田説である。