「怪物」著 佐野 晃 脚本 坂元裕二 宝島社
カンヌ国際映画祭のクィアパルム賞、脚本賞受賞の是枝裕和監督の映画「怪物」の小説化。素晴らしい。怖さと美しさが織りなされた作品だ。描写においてはやや物足りなさを最初感じていたが、冗漫な比喩を聞かされるより、淡々とした筋の叙述の方が、読む方のイメージ化の邪魔にならずこれで良い。幾多の伏線が徐々に明らかにされていく。芥川の「藪の中」は独白調だが、「怪物」は3部において同じ時系列で母親、教師、子供の行動と心理が語られる。こいつこそが怪物じゃないかと思われる人物が次々と現れてくるが、次の部を読むとその行動の理由がわかり、描かれた状況だけから憶測とも思わず、自分の経験から断定してしまっている、自分の中の怪物性に読者は途中から気づき始める。"怪物"の一人である校長の「誰でも手に入る物を幸せっていうの」という一見浅薄な言葉に作者の思いはあるのでないか。偏見と戦い勝利する世界ではなく、偏見がなくなった世界こそが幸せな世界なのだと。映画は見ていないが、ラストシーンの映像がはっきりと思い浮かぶ。
解釈変更 八と熊
八 熊さんよう。ちょっとわかんないことがあるんだ
熊 なんだい?
八 最近解釈の変更ってよく聞くんだけど、どういうこと?
熊 放送法が問題になってるな。放送法で定めた「政治的中立」が守られているかは、その局が放送する番組全体で判断するという長年の原則があった。それを2015年に、当時の高市総務相が、ひとつの番組だけで判断する場合があると国会で言ったんだ。
八 なんでそうなったの?
熊 安倍元首相の補佐官礒崎さんから強い求めがあったって言うんだ。番組名名指しで、安倍さんを批判する発言しか放送しないのはおかしいって。
八 安倍さんの「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」発言には、安倍さんを批判すれば価値の低い人にされてしまうから、安倍やめろなんて言っちゃダメって言うの?
熊 なかなか擁護しにくい発言が多かったな。
八 解釈って誰が変えるの?
熊 礒崎さんは、「俺の顔をつぶすようなことになれば、ただじゃあ済まないぞ。首が飛ぶぞ。」「この件は俺と総理が二人で決める話」と言ったらしい。
八 パワハラだね。今なら自分の首が飛ぶね。礒崎さんのゴマスリか安倍さんの提案ってこと?それだけで決まっちゃうの?
熊 当時の首相秘書官山田真貴子さんが、言論弾圧になると反論したらしい
八 山田さんって菅総理の息子が務める東北新社から接待受けて伊勢海老食べたって言って辞職した人だね。正直な人なんだ
熊 だからトカゲの尻尾にされた
八 でも首相秘書官で反対する人がいたって嬉しいね
熊 安倍さんは派閥がでかい。閣議決定すれば誰も反対しない。集団的自衛権の解釈変更も閣議決定した。
八 若者シールズがラップデモした時だね
熊 岸田内閣も原発の運用について解釈変更した
八 法律なんだから、変更は国会で決めなきゃ民主主義じゃないよね
熊 法律を変えるとなると国会で審議して採決を取らなければならない。イギリスやアメリカなら、党の中にも反対する人が必ずいるけど、日本にはいないから通るのは通るが時間がかかる。手っ取り早いのが解釈変更なんだ。法律を変えたわけじゃない。
八 ズルくないかい?他の国はどうなんだい?
熊 ロシアは外国の代理人の範囲を広げる法案や、領土割譲禁止法案を議会が提出してプーチンが署名した。これによって政府に不利なことを書く外国人の記者も捕まえられるし、北方領土もウクライナ5州も返還すると法律に違反することになる。キッチリ手続きは踏んでいるんだ。タリバンは勝手にイスラム教を偏った解釈して女子に学習させない。
八 どっちもどっちだなあ。ところで放送法ってどうしてできたの?
熊 それはね、日本が戦争に突き進んだのは、当時の放送が政府の言う通りに流し続けていたからなんだ
八 今のロシアと同じだね
熊 戦争に加担したという苦い反省のもとに、放送界が自らを規制するために作ったんだ
八 それを政府が自分に都合が悪いから変えるって本末転倒じゃない?
熊 政府の御用聞きにならないための放送法だもんな。政府がとやかくいうのはおかしい。
八 菅さんは学術会議のメンバーに文句を言ったね
熊 学術会議も政府の御用聞きにならないためのもの。両方とも戦争を繰り返させないためのものなんだ
八 ところで、どうして「首が飛ぶぞ」みたいな細かいことまでわかったのかなあ?あ、そうか、暴露ユーチューバーガーシー議員がすっぱ抜いたんだっ
熊 ガーシーではなく、立憲の小西さん。ガーシーは名誉棄損罪、常習的脅迫罪で指名手配中で外国に逃げてる。でももう議員手当2000万円貰ってる
八 ええっ?取り戻せないの
熊 無理だな。元々ガーシーは国会に出ないと公約していたわけだから、彼に投票した人は、税金を逃亡費か遊興費として与えるために投票したことになる
八 何とか解釈変更で取り戻してよ。岸田さん
熊 お前なんもわかってないな
(2023年3月20日)
「羅生門論2」十五 尚学図書 昭和五一年(1976年)〜
尚学図書 昭和五一年(1976年)〜
尚学図書は昭和五一年から採録を始め、平成五年まで、その後四年途絶えて、平成十年から五年間採録する。
主題については、
「追いつめられた極限状況のもとで、人間が露呈するエゴイズムの心理を描こうとした作品である。魚と称して蛇を切り売りする女、その女の死骸から髪の毛を抜く老婆。その老婆の着衣をはぎとる下人。彼らは生きるためにはしかたのない悪として、お互いの悪を許し合った。人間の名において人間のモラルを否定した、救済のない世界。このような状況においての生への執着は、既に罪ではなく、人間存在のまぬがれがたい事実であるかもしれない。そういう極限の人間心理をこの作品は鋭く描き出している。最後の「外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。下人の行方は、だれも知らない。」という有名な結びが、このような無明の闇を象徴的に表現している。」
としている。これは三好行雄説だと思われる。「悪を許し合った」や「無明」は彼の表現だ。エゴイズム論である。ところで「許し合った」はどこから来るのだろう。老婆の言う通り蛇売り女が老婆を許していると取るのが正しい解釈なのか、老婆は下人に着物を剥がれるときに抵抗しなかったと読むのが正しい読みなのか、私にはとてもそう思えない。「許し合った」は互いが許したという意味であり、相手の同意もなく、一方的に自分が許されるという連鎖を、「許し合う」とは私は言わない。一方、指導書は鑑賞にかなりの字数を費やし、項目立てて多くの研究者の意見を載せていて、とても参考になる。
「芸術上の開眼期」の項目では、「羅生門」成立までの習作にふれ、「習作をふまえて、作家「芥川龍之介」が確立された作品といってよい。」とし、「別稿・あの頃の自分の事」を紹介し、
「「愉快な小説」であるかどうかには議論のあるところだが、現状とかけ離れて、昔話に材を取った物語という点を、そのように表現したものであろう。それよりも駒尺喜美氏もいうとおり「羅生門」を書いたころの芥川が一つの高揚期、いわば芸術上の開眼期にあったことのほうを、われわれは重視すべきであろう。「……今までのぼくの傾向とは反対なものが興味をひき出した。ぼくはこのごろラッフでも力のあるものがおもしろくなった。……とにかくぼくは少し風むきが変った。変りたてだから、まだ余裕がない。ぼくはぼくの見解以外に立つ芸術は、ことごとく邪道のような気がする。そんなものをこしらえるやつは、大ばかのような気がする。だからたいがいの芸術家は小手さきの器用なバフーンのような気がする。」(大正三・一一・三〇、恒藤恭宛書翰)ここにははっきり、これから目ざそうとする芸術への自信が読みとれる。」
と指摘している。これは今までの指導書になかった記述である。
「歴史小説」の項目では、「今昔物語」「方丈記」の指摘をしながら
「歴史的事象に近代的な解釈を加えたものである。これは「羅生門」に限らず、初期に多い芥川の歴史ものに共通の特色である。」
とする。「澄江堂雑記」から、有名な「今ぼくがあるテーマを」から「不自然の障碍を避けるために舞台を昔に求めたのである。」までの、芥川が昔に舞台を求める理由を抜粋した後、
「もっとも若い芥川がミステリアスな世界を好んだことは事実で、それは「MYSTERIOUSな話があったら教えてくれたまえ。」(明治四五・七・一五、恒藤恭宛)という書翰のことばにも現れている。「今昔物語」を熱心に読んだのには、怪異談に対する興味がはたらいていたこともあったにちがいない。しかし、「羅生門」のモチーフを単に怪奇好みとしてだけ理解するのはもちろん誤りで、前記「今までのぼくの傾向とは反対なものが興味をひき出した。ぼくはこのごろラッフでも力のあるものがおもしろくなった。」という大正三年の時点における芥川のことばを重視すべきことは、いうまでもない。」
としている。
「新理知派・新技巧派」の項目では、
「もっとも芥川自身は「しばしば自分の頂戴する新理知派といい、新技巧派という名称のごときは、いずれも自分にとってはむしろ迷惑な貼り札たるにすぎない。それらの名称によって概括されるほど、自分の作品の特色が鮮明で単純だとは、とうてい自信する勇気がないからである。」(短編集『羅生門』あとがき)といってこの呼称を忌避しているが。」
と付け加えている。これは芥川の「勇気」の使い方に、皮肉の意味が込められているときがあることを、拙著「羅生門論」で指摘した時に使った文例でもある。
「知性の文学」の項目では、
「「羅生門」に示された芥川の短編小説の特徴は、機知に富む発想、様式上の多彩な試み、趣向をこらした構成、均整のとれた文体などという評語で要約される性質のものである。もともと意識的なはからいをまったく欠いた文学作品などというものは存在するはずがなく、特に人生の断面を凝縮した形で描く短編小説の湯合、作者の態度に高度の知的操作を必要とすることは当然のはずである。その意味で、芥川の作品に一貫してつきまとう評価ー芥川の文学を一種の「知恵のあそび」とする評価は、酷なように思う。私小説主流の当時の文壇では、芥川の「虚構」はやはり異端であった。」
「芥川はこのように、その作品の価値だけではなく、その生涯の劇的な意味によって、注目され読まれているのである。・・・・芥川の作品は『知性』と『死』という二つの極から光をあてることによって、鮮やかな像を結ぶように思われる。」(中央公論社『目本の文学』29解説)
という言葉を紹介している。
「表現の特徴」の項目では、浮橋康彦氏のまとめに従って『国語教材研究講座』(有精堂)から
⑴同一・類似・発展のくり返し。
⑵装飾的な寸景描写。
⑶「もちろん」型。
⑷ある種の謎解き型。
を特徴として、各々例を挙げて説明している。
「主題をめぐって」の項目では、
「「羅生門」の主題については、だいたい諸家の意見は一致している。芥川がこの作品で描こうとしたものが、追いつめられた、ぎりぎりの状況のなかで人間が露呈するエゴイズムの心理であることは、まちがいあるまい。」
とし、以下に諸家の説が続く。少し長いがそのまま引用する。
「「下人の心理の推移を主題とし、あわせて生きんがために各人各様に持たざるを得ぬエゴイズムをあばいているものである。」(吉田精一氏)
「平安朝末期の庶民生活を借りて、人間のエゴイズムを剔出するのをテーマとしている。これはほぼ漱石の態度であるから、かれの文学がまず漱石によって認められたのは、偶然ではない。このテーマは、飢饉に際して、魚と称して蛇を売る女、その女の死体から髪の毛を抜く老婆、その老婆から衣服を剥ぎ取る失業下人という三段階構成によってまとめられている。・・・二十四歳の青年とは思えない安定性を持っているのである。」(大岡昇平氏)
「同じ人間の心の中に、善と悪の両方面に動く心理を作者は描出している。人間とは善人とか悪人とか画然と別れるものではない、同一人の中に両方面への衝動を併せ持つものである、との人間観をかなり意識的に作者は示していると思う。下人は『合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった』にもかかわらず、正義観に燃え、また老婆の弁解をきいているうちに、悪の勇気が生まれるのである。『おれもそうしなければ、飢え死にをする体なのだ』というのは、下人の捨てゼリフであって、生きるためのエゴイズムを論理的に肯定しているわけではない。作者は、人間とはある条件、あるきっかけで正義の人となるが、またある条件、あるきっかけで悪へも簡単に動くものであるとの人間認識を示しているように思う。少くとも作者の視点は、人間のエゴイズムの側にのみでなく、善悪の両面を見つめていると思う。」(駒尺喜美氏)
「小説の主題は暗い。蛇を切り売りした女と、その女の髪を抜く老婆と、その老婆の着衣をはぐ下人と、かれらは生きるためにはしかたのない悪のなかで、お互いの悪を許し合った。それは人間の名において人間のモラルを否定し、あるいは否定することを許容した世界である。エゴイズムをこのような形でとらえるかぎり、それはいかなる救済も拒絶する。なぜなら、精神の裸形とでも呼ばねばならぬ生の我執はすでに罪ではなく、人間存在のまぬがれがたい事実に外ならぬからである。芥川がこの小説で書こうとしたのは、追いつめられた限界状況に露呈する人間悪であり、いわば存在そのものの負わねばならぬ苦痛であった。」(明治書院「現代日本文学大事典」)
「平岡敏夫氏のように、芥川の情緒の世界の質を重視する立場から、羅生門という舞台に包括される耽美的、情緒的な世界そのものがこの作品の主題であるとする説もある。」
と、五人の説を紹介している。四番目の「現代日本文学大辞典」の説はおそらく三好行雄氏のものと思われるが、氏名は書かれていない。駒尺氏の説は明らかにエゴイズム論ではないが、そのような説明はなく、平岡氏の説の取り扱い方と大きく違い、「だいたい諸家の意見は一致している。」に吸収された扱いになっている。
「無明の世界」の項目で、
「「羅生門」の世界は、けっして明るいものではない。特に「外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。下人の行方は、だれも知らない。」という結末には、絶望的な人間認識の深淵をのぞき込ませるようなおもむきがある。「あそこで描かれているのは、悪が悪の名において許し合う世界、それ以外に人間のタブーを突き抜けて生きていく道がないという認識は、それは確かにエゴイズムかもしれないけれども、エゴイズムをそういうものとしてとらえてしまえば、救済はないでしょう。絶対悪ですから。そしてそのときに、それを守ってくれるものもないわけですよ。法もなければ神もないでしょう。ぼくはそれを″無明″と呼ぶのですけれど、あの闇は無明の闇だろうと思うのです。その無明の闇に下人を駆け抜けさせたところに、ぼくはむしろ、龍之介の人間認識における虚無的なものを見るわけです。」(三好行雄、『国文学』昭和五〇年二月号、シンポジウム「芥川龍之介の志向したもの」)
と、三好行雄氏の言葉を載せている。
「四 鑑賞」の後は「五 作者」として、生い立ちから死まで、詳しく紹介されている。「私生児説もあるが、信憑性に乏しい。」と記されている。このことは今までの指導書で触れられなかったと思う。
右のシンポジウムは、この指導書が検定を受けた年であり、できるだけ最新の説を取り入れようとする姿勢が見られる。また、1965年刊の「現代日本文学大事典」(明治書院)を参考にしていることが見受けられるが、執筆者一覧に、平岡敏夫、三好行雄、吉田精一の名は見えるが、駒尺喜美の名はない。したがって、主題に関しては三好行雄説を色濃く反映していると言える。
「羅生門論2」十一 教育出版「現代国語一」 昭和四八年
教育出版「現代国語一」 昭和四八年(1973)~五十年
教育出版は昭和四八年に採録を始め、六三年まで続き、五年間休んだ後、平成六年から二五年まで連続で採録を続ける。
主題は
「「下人の心理の推移を主題とし、あわせて生きんが為に、各人各様に持たざるを得ぬエゴイズムをあばいているものである」と、吉田精一氏(「芥川龍之介』(三省堂))は主題をとらえている。そして、さらに、のちには「熱烈な正義感に駆られるかと思うと、やがて冷いエゴイズムにとらわれる。前にも悪にも徹底し得ない不安定な人間の姿を、そこに見た。正義感とエゴイズムの葛藤のうちに、そのような人間の生き方がありとし、そこから下人のエゴイズムの合理性を自覚せしめている。ここにとらえられた下人の心の動きは、恐らく、芥川の眼に写った人間が人間である限り永遠なる本質であった。従って彼はこの人間性に対する最後的な救いや解決も与えていない。」と、のべている。
羅生門の晩秋の雨の夕ぐれに、王朝末期の行きどころのない下人が、現代人的な心理と感覚をもって、こうした局面におかれたとすれば、どのように反応し行為するのであろうかという実験が、芥川的小宇宙で行なわれたとする見方もできるであろうし、「この雨の夜」と「この羅生門の上で」という条件がない限り進展しえない状況設定から、その状況下の人間の行為と心理を描きあげてみせたものととることもできるであろう。」(p391)
と書いている。前半が吉田氏の論の紹介で、後半が解説者の考えかと思われる。後半は芥川的小宇宙での「実験」という見方と、雨の夜の羅生門の上での人間の行為と心理という、主題の表現としてまとまりのないものが示されているが、これは後の「鑑賞」の章で説明が加えられている。
「(どの読者も)「この雨の夜に、この羅生門の上で、(死人の髪の毛を抜くということが)それだけですでに許すべからざる悪であった。」と、下人の立場から断定されると、それに引きこまれてしまうのである。「死人の髪の毛を抜く行為」が善悪であるのでなく、「この時」 「この場」が「許すべからざる悪」の断定の条件である。とすると、「きょうの空模様も少なからず、この平安朝の下人のSentimentalismeに影響した」と、作者自身が作中に顔を出して説明した意味が、単なる説明でないということになってくるのである。たしかに、時雨の宵というのは、下人のみならず誰でも愉快な気分にさせられるということは少ないであろうが、そうした天候季節を設定したことに、作者の意図、作為があったのである。こうした、時と場における人間の反応のしかたを描いてみせるところに、芥川の意図があったと考えられないことはない。それは、善や悪といった人間の倫理観の問題ではなく、この作中にもある、「勇気」といったもののように、ある場合には、善にも働き、ある時には、悪にも働くといった人間行為の契機といったもののあり方を、ある状況下において際だたせてみせようとしたものであるかもしれない、ということである。」(p400、傍線筆者)
とある。文中の「善や悪といった人間の倫理観の問題ではなく」というのは、文脈から「エゴイズムの問題ではなく」と理解するのは間違いだろうか。解説者は吉田説を示しながらも、疑問を持ち、控えめに自論を述べたのではなかろうか。善にも悪にも働く人間行為の契機といったもののありかたを主題と考えていると言っているように私には見える。「主題は、人は契機によって善にも悪にも働くということだ。」こう言っているのではないのか。そうならば私は全面的に彼を支持する。
実際私は授業をしていて、門の下での下人の心理、楼上での心理変化、それらを辿るのにどうしても時間がかかり、最後のエゴイズムとの関係があるとも思えず、統一感が感じられずいつもスッキリしない思いを抱いていた。しかし、天気に、時刻に、場所に、相手の風貌に、相手の行動に、相手の言葉に、人は左右される、と考えると、素晴らしい構成だし、単に人の言葉に動かされるのではなく、自らの言葉が自らを追い詰めるというオチまで用意すれば、完璧ではないか。このオチがなく、老婆とともに死人の着物を剥いだのであれば作品は締まりのないものになってしまう。
振り返ってみれば、筑摩、旺文社、光村、教育出版、それぞれがエゴイズム論以外のものを示している。しかし、それはどこも吉田説の紹介の後である。論として出版しているか否かは立場の差となっているのだ。
「羅生門論2」十二 第一学習社「高等学校現代国語一」 昭和四八年(1973年)
第一学習社「高等学校現代国語一」 昭和四八年(1973年)~五十年版
第一学習社は四八年から三年間、六年後の昭和五七年から平成二十五年まで連続で採録している。
「来年度から高校国語に新設される科目「現代の国語」用に、現行シェア三位以下の第一学習社(広島市)が作った教科書が、全国シェア16・9%をとり、現行最大手の東京書籍版を抑えて最多だったことが問題になった。」(朝日新聞2021/12/9)
「文科省は「小説の入る余地はない」と説明してきたにもかかわらず、第一学習社が『羅生門』『夢十夜』など近現代の文学作品を多数載せたからである。ライバルである他社から「言っていたことと違う」との批判が高まっている。」(毎日新聞2021/9/23)
と、一躍有名になった第一学習社であるが、幸田国広氏によると、昭和四八年は「羅生門」が採録率40%を記録した第一のピークであり、その時から第一学習社は採録を始めている老舗と言える。
検定問題は図らずも検定の一面を教えることとなった。平成十五年には100%採録を記録した定番「羅生門」をなぜ、他の会社は採録を見送ったのかという問題だ。文科省の説明を聞き、検定を通れないと教科書会社は判断したのだ。つまり、検定を通らない可能性が高い教材は採録しない、逆に言えば通る可能性がある、例えば過去に通っている教材は採録しやすいということだ。では、文科省の言うことと違う教材がなぜ検定を通ったのか。過去に通しているからだろう。もしかすれば、文科省の文学軽視の新方針への現場の反旗なのかもしれない。惰性か反旗か、私にはわからないが、次回の検定から「羅生門」が増えるのではないだろうか。
本題の第一学習社の指導書に話を戻す。
主題は、
「一語で端的に表現するならば、「人間の持つエゴイズムの醜さ」と言うべきであろう。盗人になろうかと思っていたことも忘れて、老婆の嫌悪すべき行為に、激しい正義感を持つに至った下人ではあったが、生きるためにはしかたがないという老婆の言葉に、冷たいエゴイズムが首をもたげ、老婆の着物をはぎとってしまう下人の心理の推移を描きながら、生きるためのぎりぎりまで追いつめられた人間のあらわで、醜いエゴイズムの姿こそ、この作品の主題である。」(p100)
としている。吉田説である。「学習」に「四 作者は、「人間の心」をどのように考えているか、下人や老婆を中心に話し合ってみよう。」として、
「この作品は老婆の悪業・告白に対する下人の心理の推移を主題とし、あわせて生きんがために、各人各様に侍たざるを得ぬエゴイズムをあばくのが主眼であろう。芥川はみずからの恋愛に当たって痛切に体験した、養父母や彼自身のエゴイズムの醜さと、しかし生きるためにはそれがいかんともしがたい事実であるという実感がこの作品を作らせた動機の一部であったに違いない。もし理想主義の作家であったら、下人が盗人になろうと思った心を、老婆の悪業の前に、翻然と忘れて義憤を感ずるところで結末とするか、あるいは悪心を捨て去らしめて終わりとするであろう。しかし作者は、激しい正義感に駆られるかと思うと、やがて冷たいエゴイズムにとらわれる、善悪いずれにも徹底し得ない不安定な人間の姿をそこにみたのである。正義感とエゴイズムの葛藤のうちに、人間の生き方がありと考え、下人のエゴイズムの合理性を自覚せしめている。彼がこの人間性に対する最後的な救いや解決を与えなかったのは、この下人の心の動きは、人間が人間である限り永遠なる本質であると考えていたからであろう。」(p109)
としている。吉田説そのものであるが、出典は書いていない。
指導書のほとんどが、語句の解説に費やされ、鑑賞にはそれほど目を引くようなことは書かれていない。
「羅生門論2」十四 明治書院 昭和五一年(1976年)
明治書院 昭和五一年(1976年)〜五四年
明治書院の教科書は、既に昭和三二年版を取り上げた。日本で最初の「羅生門」採用の教科書であり、吉田精一氏が選んだ高校生のレポートと、氏の批評も掲載されたものだった。教科書図書館に指導書が保存されていなかったが、吉田説が色濃いものであろうと想像していたが、五一年版を見ると想像は間違っていないと確信が持てた。明治書院は三省堂とともに最も長く「羅生門」の採録を続けている。ちなみに吉田氏の「芥川竜之介」が昭和十七年に三省堂から出されたことはすでに述べた。
参考文献には様々な人の名が見えるが、指導書の内容には反映していない。解説内容はほとんどが吉田説である。「「羅生門」の評価の変遷」と章立てしても(p144)、吉田氏と三好行雄氏の二人の説しか示されていない。他の教科書が、岩上説、宇野説、福田説、駒沢説、小堀説、などを紹介しているのに、たった二人は変遷といえる数ではない。しかも三好説は「この小説の主題が、下人の心理の推移を写しながら人間のエゴイズムの様態をあばくことにあった、という従来の指摘は正しいであろう。」とし、「生の我執は既に罪ではなく、人間存在のまぬがれがたい事実にほかならぬ」とエゴイズムは個人ではなく、人間存在の問題だとしているに過ぎない。変遷と呼べるものではない。
教科書の【研究】の五の「作品の主題を二百字程度にまとめてみよう。」の解答例として、
「人間は各自、利己主義者(エゴイスト)である。この場合で言えば、老婆は生きるために死人の毛を技いている。その髪の毛を抜かれている女も、蛇を切って干して、魚の干物だと言って売っていた。下人も盗人にならなければ飢え死にするので老婆の着物をはぎとってしまう。このように人間が極限状況に置かれると、ふだん隠れているエゴが露骨に出る。作者はそうした、各人の内に潜むエゴイズムをあばいてみせようとした。」
としている。さらに「参考として生徒に聞かせるのもよい。」として、吉田氏の根拠としている、「エゴイズムをはなれた愛があるかどうか。」から始まる例の書簡を示し、「芥川は大正三年夏、初恋を経験したが、芥川家の反対にあって、翌年四月ごろ破れた。それも関係しているので、生徒に話すと興味を持つと思われる。」としている。
最初から最後まで吉田説である。
「羅生門論2」十三 光村図書出版 昭和五一年(1976)~五三年
光村図書出版 昭和五一年(1976)~五三年
光村は五七年から三年間、再度採用する。計六年間となる。これは他の会社と比較すると短い方になる。
主題として
「生きるためには盗人となるよりしかたがないと思いながら、その決心もつかずにいる下人が、死人の髪を抜く老婆を見て、一時は斬って捨てようという義憤に燃えるが、これも生きるがためのしかたがない所業だという老婆の言を聞き、彼もまた決然とその老婆の衣服を剥ぎ取るに至る、この下人の心理の推移を追求しつつ、生きるためのエゴイズムの実態をあばくのが、この作品の主題となっている。」(p65)
としている。これは吉田精一の「この下人の心理の推移を主題とし、あはせて生きんが為に、各人各様に持たざるを得ぬエゴイズムをあばいてゐるものである。」を表現もほぼ踏襲したものだ。「心理の推移を主題とし」はわかりにくい。心理は推移するものだ、という意味なら、小説は心理の推移を描いた物が圧倒的に多く果たして「羅生門」の主題と言えるのか疑問が生まれる。むしろ意志を変えない人物こそ主題になりうるが、揺れ動く心理が物語を支えるのは言うまでもない。
鑑賞として、
「所々に青年らしいペダンチックな言辞を振りまきつつ、少しシニカルで、ニヒリステックなポーズをとることによって、当世風な味つけとするが、眼目は様式美であることを片時も忘れていない。」
と、主題よりも様式に「羅生門」の特徴があると述べているのは注目に値する。また、日本文学研究資料叢書中の「芥川龍之介の出発」という論文の中の小堀桂一郎氏の説を紹介し
「鷗外訳の諸国物語中の『橋の下』の主題が換骨奪胎されてこの作品に埋め込まれているもようである。」
と指摘している。『橋の下』との関連については、後で資料を添えて検証されている。また解説者は、ロダンの『地獄の門』の一部として制作された「考える人」と石段の上に腰をおろした下人のポーズとの共通点、さらに『羅生門』という題名にダンテの神曲の地獄の入り口の「この門を過ぐる者、一切の望みを捨てよ」の一節を見ている。言われてみれば、面白い指摘だと私も思う。パロディーは芥川が当時書こうとした「愉快な小説」に矛盾しないからである。
『あの頃の自分のこと』については
「問題は恋愛や気の沈みになく、「愉快な小説」にある。『羅生門』がなぜ愉快な小説かと問う者には、知性の職人としての芥川の心意気がわからないということになる。こんな短い小説にこれだけの内容を盛り込み、しかもどこにも破綻を見せないできばえなのだから、書く間は大いに愉快であったにちがいない。いうなれば読者の鼻をあかす楽しみであり、山東京伝なら「一々御見物にはわかりかねます。」とただし書きをつけて悦に入るところなのだろう。」(p66)
と、様式美との関わりで述べている。しかも読者に「わかりかねる」ことを目論んでいたと言うのである。傾聴すべき意見だ。
「引き抜いた生肝を読者にぶつけることをもって迫力とする類の文学とは、つまるところ境を異にするところで芥川の文学は発生していたのだと思わざるを得ない。文学にもいろいろあって、楽しみ方もいろいろあるという時代に、今がなりつつあるのかどうかはさだかでないが、時間の経過に耐えて、文学作品が生き延びる一つの要素として、様式美があることを芥川の作品が示しているのではあるまいか。」
文学史からのアプローチでは、時代とは「境を異にする」と、吉田氏とは違う見解を示している。
老婆の理屈について
「体験に根ざした確かさ、強靭さがあり、その点で説得力がある。それが下人を決定的に動かしたのである。」(p72)
として、下人が老婆の考えに同調したとしている。
「下人の心に起こる是非善悪の判断は、自己の主体的な、論理的または倫理的基準によるのではなく、外部からの刺激、他人の論理によってどうにでも変わり得るものとして描かれている。ここで下人の置かれている状況は一種の極限状況であるにもかかわらず、奇怪な老婆の言動に触発されないかぎりは、生と死、善と悪いずれを選ぶ勇気も決断力もわいてこない。下人を黒洞々たる闇の中に追い立てた勇気は、老婆のもつ論理に動かされて生じたものである。だから、盗人となった下人の行く手に何が待ち構えているかによって、彼の勇気は容易に変質したり消滅したりすることが予想される。」(p75)
としている。私は、他者に動かされる人間という把握に同意するが、解説者が勇気を文字通り勇気ととったことには同意しかねる。芥川が勇気という言葉に皮肉を込めて使う例が「羅生門」発表時期に他に見受けられる(拙著「羅生門論」勇気について参照)からである。また、「羅生門」が「そういう問題はすべて捨象されたところに設定されているのであるが」という条件付きで、
「社会の最下層にあって、上層階級の権力や財力に全面的に隷属することを強いられて生きてきた人間の悲しさがそこにはある。」
と付け加えている。
「羅生門」を鷗外訳の「橋の下」と比較して、
「その内面的構成を深く「橋の下」に負うている事情は明らかに看取できよう。」
と、場所が一定して移動しない、時間が数刻で終わる、筋が単一である、登場人物が二人で無名で、危機に立つ人物と示唆を与える人物である、という点を挙げている。また、結果が「橋の下」と「羅生門」とでは逆転していることをパロディー性と見ている。付け加えるなら、私は「橋の下」では、一本腕の最後の「いずれ四文もしないガラス玉か何かだろう。」(青空文庫より)の言葉がキーだと思っている。「世界に二つとない正真正銘の青金剛石」だという爺さんの言葉の真偽はわからない。おそらくガラス玉なのだろう。しかし、万に一つブルーダイヤモンドである可能性を残すところにこの作品の面白さがある。自分を納得させる合理化は、真実とは別のところでなされる。もし、芥川が「橋の下」から影響を受けたというなら、下人の「では、己が引剥をしようと恨むまいな。」も合理化であり、真実とは別のところでなされたと見るべきなのだ。
「読者は時間と空間とを超越した地点、たとえてみれば神の高みに立って小説世界の中をのぞきこむ。このような「安全」な地点こそ、実は本来的に小説読者のための視点であろう。これは小説が素朴実在論的なリアリズム文学の平面に立って作られているかぎり到達することのできない、物語というものに特有の視点である。青年作家芥川龍之介は「橋の下」の一篇を読んだ時、その炯眼を以てこのような物語の構造を見抜いたのではなかろうか。明治四十年代に文学の「本道」として確立したいわゆる風俗小説とは全然別の小説の方法がそこにあることを直観的にさとったのではなかろうか。」(p78)
「彼は「橋の下」を完全に消化し、その小説作法を自家薬龍中のものとした」
と、前時代の小説とは違う小説の方法で書かれた可能性を示している。
以上まとめると、主題としては最初吉田説を踏襲したものを示すが、「鷗外訳の諸国物語中の『橋の下』の主題が換骨奪胎されてこの作品に埋め込まれているもようである。」という小堀氏の説の引用は明らかに矛盾している。『橋の下』は、行動を起こさない理由の合理化が主題だろうが、エゴイズムに関係しているとは全く思えないからだ。この解説には吉田説を理解しようと努めた形跡も見られない。吉田精一の名は、参考文献には出てくるが、解説文中には出てこない。出てくるのは小堀桂一郎氏の名であり、むしろ解説の大半は、様式美に力が注がれる。そして時代とは「境を異にする」小説だったとしている。「ここでは、テーマもまたストーリー展開のうえの〃相対的な要素〃以上のものではない。」というのが、解説者の真に言いたいことだろう。傾聴に値すべきだ。
小説は「引き抜いた生肝を読者にぶつけること」を目的とすると固定的に考えるから、「極限状況におけるエゴイズム」などの言葉が出てきたのでは無かろうか。自死からの逆算もあったように思う。今ならナンセンスなどは当時の尺度で測れない価値観だろう。生まれるのが早すぎたために、誤解されて貼られた「羅生門」のレッテル。それがエゴイズムだと私は思う。
では、相対的な要素に過ぎないエゴズムではなく、ストーリー展開によって生まれてくる意味は「羅生門」に存在するのか。パラドクスを扱うことが多い芥川が、主人公を下人から内供、五位、カンダタ、良秀に変えたのは意味がある。なぜなら、為手より受手にこそパラドクスの切れ味はあるからだ。受け手であるから、論理という個人を超えたものからの支配が強く迫る。下人は為手である。そして、受け手を支配する為手の論理が
「moral”(at least, “moral of philistine")is the production of occasional feeling or emotion which is also the production of occasional situation.」(「defence for “rasho-mon”」『芥川龍之介全集』第二十三巻)
だと芥川は言っているのである。