maturimokei’s blog

俺たち妄想族

「羅生門論2」二十一 桐原書店 教授資料 平成九年度版

 桐原書店は平成十年に採録を始め、二六年まで連続で採録を続ける。以降は確認できていない。

 

 吉田エゴイズム説に真っ向から反論した教授資料と言える。平岡敏夫氏の意見も引用しながら、かなりの字数を使い解説者の意見を述べている。表現を細かく読み取っていくのは平岡敏夫氏編集の筑摩書房の教授資料に近い印象を受けるが、より細かく読み取り、吉田説の矛盾をついている。しかし、結論には同意しかねる。

 

「鑑賞」の項より

 

「(略)小説の読解は、詮ずるところ主題把握ということになろう。が、その「羅生門」の主題すら、いまだに新しいものが出現しているのが現状である。

 では、そうした現状の秘密はいったい奈辺にあるのか。例えば「人間が生きるためには持たざるをえないエゴイズム」を説く吉田精一氏を見てみよう。下人がもし「明日にも」「飢え死に」しそうな、いわゆる「極限状況」にあるとすれば、下人が老婆を自らの生存の犠牲としたところで、その行為は法的にも許されている。これを「エゴイズム」とは言えるものではない。「カルネアデスの舟板」を思い浮かべてみれば、これは自明のことである。まして下人は老婆の着物を引剥いだにすぎず、命まで奪ったわけではない。秋の終わりの肌寒い夜とはいえ、老婆には周囲の死骸からその着衣を剥ぎ取る自由が残されている。(P19)」

 

 文学を法律論で切るのはいかがなものかと思う。「こころ」の先生は全く無罪だから。

 

「 さらには、下人は「極限状況」におかれてはいない、と、平岡敏夫氏の早くからの反論がある。「右の頬」の「赤く大きなうみを持ったにきび」からは、下人が持つ生命力が十二分にうかがえるし、何よりも、ほんの少し頭を働かせてみれば、「盗人」以外にも生きるすべはいくつも見つけられるはずである。「羅生門」の作中に、少なくとも二つはその具体例が示されている。(P19)」

 

 にきびが青年期に多いことは私も認める。しかしにきびの原因は①ホルモンバランスの崩れによる皮脂過多②不衛生による菌の増殖③ストレスということなので、脂分の多い食生活の面のみ考え、生命力ととるのはいかがなものだろうか。私は「うみを持ったにきび」から不衛生を感じ、野宿を繰り返し薄汚れた下人像が浮かぶ。

 下人のとれる盗人以外の道として鬘と干魚を解説者は指摘するが、「今昔物語集」に奇譚として紹介されているということは常人は思いつかないということではないのか。事実私は思いつかなかった。また、「今昔物語集」によると、蛇魚売りは三条天皇東宮の時(1000年ごろ)なので、都はまだ疲弊していない。また、「盗ミセムガ為ニ京ニ上リケル男」は老婆から鬘も奪うが、それは京にまだ余裕がある時代だと思われる。その例を、貨幣経済が破綻し人心の荒廃した時代に当てはめることに問題はなかろうか。解雇され既に下人でなくなった男を下人と呼ぶ時点で、彼は下人として規定されたのであり、作者の設定をとやかくいうのは間違っている。盗みを悪と考え悩む普通人で良いのである。

 女や老婆のようにしなかったのは、「下人の境遇と性格による。」と解説者はする。すぐに暇を出されなかったところから「彼は誠実で、陰ひなたなくよく働く下人だったと推測される。」「物心ついたころから屋敷勤めをしていたと推測される。したがって屋敷うちのことしか知らず、いわゆる広い世聞知はなかった」とする。「「下人」としての生き方しか知らない彼は、」再就職も断られ、「「盗人になるよりほかにしかたがない」と思い込み、飢え死に間近だという下人の思い込みを読者もそのまま思い込んだと解説者は指摘する。吉田エゴイズム論の条件部分である「極限状況」の否定であるが、私は「極限状況」を否定する必要はないと思う。「極限状況」と限定することで、本来主題が持つべき一般性を放棄して、及び腰の迫力のない表現になっただけだからだ。解説者が指摘した下人像をもって読む必然性が私にはよくわからない。想像力を逞しくするのは良いことだが、すぐに暇を出さなかったのは主人が面倒見が良かったからかもしれないし、その主人が一番最初に暇を出したのが下人だったかもしれない。問題は芥川が、飢え死にを下人の単なる思い込みとして、意識して描いていたかということだ。私は単純に四、五日飯を食わなかったら、かなり参るだろうなと思うだけだ。暇を出されたのが、二、三日でも、六、七日前でもない、絶妙の日数だと思う。しかし、次の指摘は私も解説者に大いに共感する。

 

「この飢え死にしないためには盗人になるしかない、との思い込みは、下人の性格によってさらに激しいものとなる。作品中まず第一に目につく表現はフランス語「Sentimentalisme」であろう。このいささか変わった表現は単に鷗外からの借り物であったばかりではない。「今日の空模様も少なからず、この平安朝の下人のSentimentalismeに影響した」に始まる数多くの下人に関する描写は、下人の感傷癖を証するものである。フランス語表記は、下人のこの性格を特筆するものなのである。(p20)」

 

 フランス語表記については、今まで各論あったが、「性格を特筆するもの」という指摘は初めてである。同感である。「ひょっとこ」「虱」でもこの手法を芥川は使っている。

 

「 下人は「冷然として」老婆の語りを聞き、話が終わると「あざけるような声で念を押」し、老婆の着物を引剥ぐ。この行為を大げさに「悪」と呼び、老婆の行為に対する反感を同様に「善」と呼んで、「人間存在は善と悪という矛盾を共存させている」とテーマをとらえるのは大仰すぎよう。つまりは感傷癖のなす仕業にすぎないのだから。(p20)」

 

駒尺喜美説を大仰すぎると退けている。引剥ぎを「感傷癖のなす仕業」としているのは違和感を持つ読者もいらっしゃるかもしれないが、Sentimentalismeを感傷癖と訳するから変なので、「Sentimentalismeみたいな、外的作用に左右される内面」というふうに理解したい。続けて解説者は

 

「だいたいが、下人の引剥ぎは、老婆のふてぶてしい世聞知に対する反発だったのだから。金に換えうる抜いた髪の毛・死骸の着物には目もくれなかった事実はこのことの証拠といえよう。」

 

と続ける。出典であろう「今昔物語集」巻第二十九「羅城門登上層見死人盗人語第十八」で盗人は「死人ノ着タル衣ト嫗ノ着タル衣ト抜取リテアル髪トヲ奪取リ」と書いてある。芥川が、奪うものを老婆の着物に限定した意図を考えることに私も同意する。しかし解説者の分析には一考を要する。老婆の「世間知に対する反発」と解説者はするが、これは最初に書いた下人に「世間知はなかった」と呼応するものであろう。が、果たして芥川は世間知がない人物として下人像を登場させたのであろうか。解説者が世間知にこだわるのは次の説明と関わっている。

 

羅生門」執筆の動機を、吉田弥生との失恋に見ることは今では定説となっている。彼女との結婚の願いは、芥川家の、特に芥川を育てた伯母フキの涙ながらの反対が強く、断念するに至ったとされる。こうした心の鬱屈をふっ切るために書いたとすれば、主人公に着物を剥ぎ取られたあげく、蹴倒される老婆は、その伯母を仮託したものともいえるかもしれない。芥川を育てた伯母だが、そして芥川自身も「伯母がいなければ今の私はない」と感謝してもいるが、逆に全き信頼を裏切った彼女への激しい怒りが、こういうフィクションの形をとったともいえよう。老婆のデフォルメされた造型もその証であろうか。(p21)」

 

 この文脈から言うと、結婚に反対する伯母は「世間知」の人なのだろうが、フィクションの中で伯母をひどい目に合わせるというようなやり方で「心の鬱屈をふっ切る」ことができるのだろうか。「芋粥」「鼻」「地獄変」「蜘蛛の糸」など芥川の作品にひどい目に遭う人物はたくさん出てくるが、彼らはささやかな欲望を自分の言葉でパラドキシカルに奪われている。むしろ芥川の悲しそうな視線を感じる。この辺は私の主観が出ていて分析的な反論にはなっていないのでここで止める。ただ一つ「心の鬱屈をふっ切る」というのは、芥川が「自分は半年ばかり前から悪くこだはつた恋愛問題の影響で、独りになると気が沈んだから、その反対になる可く現状を懸け離れた、なる可く愉快な小説が書きたかった。」(『あの頃の自分の事』大正八年一月)からくるのだと思うが、伯母の化身を登場させることが「現状とかけ離れた」ことになるのかという疑問を呈しておく。

 

「 さらには、下人が行為に走ったのは楼の上においてである。門の下では彼は迷っていた。「夜の底へ駆け下りた」下人は、そこでは再び迷いに陥らないだろうか。

 しかし、作者芥川が認識の人であり優柔不断な自己を仮託した下人を、悪に力強く踏み込む行為に走らせようとする意図は明らかである。「この老婆を捕らえたときの勇気(=悪に対する反感)とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気」との説明に示されるし、何よりも「黒洞々」という「字眼」(小林英夫氏)に如実に現れている。このように、「羅生門」という作品にはモチーフと表現とに乖離が見受けられる。このズレが「羅生門」読解の多様性を導く結果となっているのは疑いのない事実であろう。(p21)」

 

 モチーフと表現との乖離が読解の多様性を導くという結論になっている。「このように」で挙げられたものを整理すると、1極限状況なら法的に許されるのに問題にしている 2極限状況だと言いながら描かれている状況は違う 3伯母への怒りが執筆の動機である 4場所と行為の関係が下人において一致しない となろうか。問題は「モチーフ」が何を意味しているのかだ。

 1では主題のように思える。主題エゴイズムを描くのに着物を剥ぐだけでは表現不足だということだろう。エゴイズムを前提にしているので、主客転倒である。主題をエゴイズムと決めつけてからの表現批判となっている。

 2では話題のように思える。「極限状況」は吉田氏の表現であり、1と同様に主客転倒で、主題を決めてから表現を批判している。「にきび」は平安時代と現代とをつなぐ表現として私は評価する。宇野浩二は「上手の手から水がこぼれた」と、失敗としているが、くどい表現は拙著「羅生門論」で指摘した戯画的な滑稽表現の一つなのかもしれない。

 3では動機の意味である。「デフォルメ」と言っているが、乖離しているとは言っていないので、解説者がこの項に挙げるのは適切でなかった。解説者はこの後「ただ単に、伯母への憎しみを、この小説を書くことで解消して喜んでいるだけならば、この後の多数の傑作をものにすることなどできなかったであろう。」という言葉で鑑賞の項を終えている。伯母への憎しみだけではないと言うが、伯母への憎しみは事実なのだろうか。「不愉快な気まづい日が何日もつゞいた」(恒藤恭宛書簡)から憎しみを読み取ることが私にはできない。女性に婚約が決まったことで初めて自分の恋心に気づき婚約破棄を迫ろうとする芥川を一夜泣きながら止めた伯母に、翌朝結婚を諦めると言った芥川は憎しみを持ったのだろうか。

 4では「悪に力強く踏み込む行為に走らせようとする意図は明らかである。」としているが、「下人は、既に雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった」という初稿より、「下人の行方は、誰も知らない。」という定稿を元に鑑賞すべきである。解説者が指摘した通り楼上での「Sentimentalisme」なのだから、下に降りれば「誰も知らない」のである。全く乖離していない。

 以上、モチーフと表現との乖離が読解の多様性を導くという結論は論拠において既に破綻している。続けて解説者は

 

「下人に芥川は自分自身を仮託した、と既に書いた。迷いに居て踏み切れない下人、はしごからのぞき見る下人。見るとは「行為」より、むしろ「認識」に近い。したがって近代知識人の典型、芥川にきわめて近く造型された下人なのである。

 その下人が行動に走るのだが、それは老婆の弁明を待たねばならなかった。(略)

 「なるほどな、死人の髪の毛を抜くということは、なんぼう悪いことかもしれぬ」という、弁明の初めの言葉は、下人に必死に身を添わせた方便であった。生活者老婆に、善とか悪の基準が日常的なものとして存在していたとは考えにくい。

 善・悪は認識者下人に近い概念である。「わしのしていたことも悪いこととは思わぬ」という言葉を、下人は「悪全般」と概念的に受け止めたのである。このことはのぞき見の場面で、「老婆に対する激しい憎悪」と表現してたちまち「あらゆる悪に対する反感」と言い換えている点でも明らかである。

 下人は、生活者老婆の世聞知を、そしてそれから来る具体的方策を、なぜそれが必要か、なぜそう弁明しなければならなかったのか、等について理解が及ばず、自らの特質に近づけて、「生きるためには悪全般は許される」と思い込んでしまったのである。(P21)」

 

 「特質」が何を指すのか分かりにくい。「特質」を解説者はここで使っただけで他の箇所に用例はない。「特質」の辞書的意味から、内在するものとすると、解説者の言う「思い込み」だろうか。でも「特質に近づけて」「思い込んでしまった」は意味をなさなくなる。では文脈から考えれば「飢え死にしそうな状況」だろうか。多分「自らの置かれた飢え死にしそうな状況に近づけて」と言うつもりなのだろう。解説者は続ける。

 

「このように、作者は自己仮託した下人その人を批評している。言い換えれば、老婆を引剥ぎ蹴倒す「愉快な」小説を書いている作者自身のありようを客観的に見据えている、ということなのである。

 この点に、「羅生門」という作品が容易に「読み尽くされない」最大の理由が見いだされる。そしてここにこそまさしく認識の人芥川の真骨頂がある、といえる。ただ単に、伯母への憎しみを、この小説を書くことで解消して喜んでいるだけならば、この後の多数の傑作をものにすることなどできなかったであろう。(p21)」

 

 解説は以上であるが、実在人物を登場人物に仮託して復讐する小説を書く筆者自身を批評し客観視していることが多様な解釈を生んでいる、ということになろうか。全体として「世間知に対する反発」という結論を前提にした積み上げのように思える。そしてモチーフと表現の乖離と言う。それはそうだろう。間違った結論から遡れば、表現との一体性が破綻するのは当然だ。吉田精一説を批判しながらも、吉田説と同じ失恋問題から出発してしまったのが悔やまれる。しかし、他の会社とは違った視点で細かく分析を試みているのには好感が持てる。参考資料も豊富で、怪異趣味、吉田弥生との恋愛、恒藤恭宛書簡、歴史小説について、「羅生門」の原典、をA4三枚に渡り掲載している。他の指導書を圧倒する量だ。が、その三分の二は芥川の失恋に関してのものだ。最も私が驚いたのは、最後に

 

⑦「羅生門」の主題

 "Rasho‐mon"is a short story in which l wished to"verkorpern"a part of my Lebens anschauung if l have some Lebens anschauung,but not a piece produced merely out of “asobi-mode".It is "moral" that l wished to handle.According to my opinion“moral"(at least"moral of philistine")is the production of occasional feeling or emotion which is also the production of occasional situation.

 

とあったことだ。教授資料に「Defendence for “Rasho-mon”」が登場したのだ。しかも「主題」としている。が、訳を全く載せず、資料の一番最後にひっそりと置いてあるのは不思議で残念だ。主題という以上、英文の内容を理解しているはずだ。主題というならなぜこの英文から遡らないのか。不思議だ。私も、岩波書店芥川龍之介全集でこの資料を見つけた時、本当に芥川の自筆なのだろうかという疑問を持った。この信憑性を判断する力は私にないが、芥川が書いたのなら無視はできないと思う。そして拙著羅生門論」でも既に書いたように、「羅生門」は英文評のように読める。仮にこの英文の作者が芥川でなくても、「羅生門」の主題を明確に簡潔に言い得ていると私は思う。私が確認した教科書図書館にあった指導書の中では桐原書店のものが唯一であったが、平成十年頃には他の会社も掲載していたかもしれない。残念ながら確認していない。これは私として迂闊だった。尤もこの「羅生門論2」はエゴイズム論がどのように広がっていったか、その原因を探るのが目的だったのでどうしても各社の最初の指導書に注目してしまったのだ。次の東京行きまで待たねばならない。