maturimokei’s blog

俺たち妄想族

「羅生門論2」十八 右文書院 昭和五六年(1982年)〜

右文書院 昭和五六年(1982年)

 

 右文書院は昭和五七年から六十二年までと、平成六年から十八年まで採録する。

 

 [段落について]の項で、長谷川泉の文として

 

 (略)下人をしてある行動を決定させる契機をなしたものは、老婆の懐疑を越えた意志と行動とであり、老婆は自己の結論が触発する契機に基づく下人の行動によっていたく復讐されるのである。それは生きるためのエゴであった。生きるためのエゴが、人為的な道徳を蹴飛ばす残酷な世界が展開されている。個人道徳は生きることの支えとならない時に弊履のごとく棄てられる。そしてそれは道徳的な自省や懐疑も段階的に麻痺してゆくていのものである。(『近代名作鑑賞』至文堂)」

 

を紹介した後に、[主題について]の項で

 

その捉え方はいろいろで統一されたものはない。研究者もそれぞれの立場で意見を述べている。共通している点は、論拠がエゴイズムに触れるものであるか、通過したところにある。

 

としている。最後の文は意味がわかりにくい。「か」と言っているが「触れる」と「通過」するとは対となる概念ではない。「もの」と「ところ」もしかり。「とどまるかさらに進むか」「触れるか無視するか」の意味なのだろうか、よくわからない。「あるか」「ある」の呼応も変だ。エゴイズムを主題とする意見の「論拠」としてエゴイズムに触れるか否かというのは、「論拠」という言葉の使い方としても間違っている。この後、

 

⑴この下人の心理の推移を主題としあはせて生きんが為に、各人各様に特たざるを得ぬエゴイズムをあばいてゐるものである。思ふに彼が自らの恋愛に当って痛切に体験した養父母や彼自身のエゴイズムの醜さと醜いながらも、生きんが為には、それが如何ともすることの出来ない事実であるといふ実感が、この作をなした動機の一部であつたに相違ない。もし理想主義の作家であったならば下人が盗人とならうと思った心を嫗の醜い行為の前に翻然と忘れて義憤を発する所で巻をとぢるか、或はさうした悪心をすて去らしめて結局するであらう。しかし龍之介は却ってそこから下人にエゴイズムの合理性を自覚せしめてゐる。さうしたエゴイズムの醜さをのがれやうとすれば彼の生存を否定するよりほかはない。ここに龍之介の感じ且つ生きたモラルが見える。(吉田精一芥川竜之介』新潮社)

⑵ 一見して分ることは、作のテーマが生存のためのエゴイズムにあるということだ。下人の所行を悪として指弾するものも、彼と同じような立場におかれたなら、やはり、あのようにふるまうであろう。いや、すでに連日ふるまっている。食を得んがためには鶏から卵を奪い、職を得んがためには、同じ希望者を競争から蹴落して生きている。やむを得ない必要悪とこれをしもいうならば、人生とは苦汁に充ちた修羅場の異名にすぎないとなすペシミズムが、ここにはすでにのぞいている。(長野嘗一『古典と近代作家』有朋堂)

⑶ 作者は、人間とは或条件、或きっかけで正義の人となるが、また或条件、或きっかけで悪へも簡単に動くものであるとの人間認識を示しているように思う。少なくとも作者の視点は、人間のエゴイズムの側にのみでなく、善悪の両面をみつめていると思う。 (駒沢喜美)

⑷芥川の暗黒そのもの、人間が醜悪なエゴイズムを露出して生きることを肯定し、讃美したのではない。ブルジョア的俗物主義の社会的外面的な道徳や宗教が、人間生命を疎外して、自己=人間の醜悪さを隠蔽し、偽善と虚飾を誇示することに反発し、真実の人間的な救済を求めたのである。(伊豆利彦「文学」昭53・1月号)

 

という四つの説が紹介されている。前二人は主題をエゴイズムだとし、後二人はエゴイズムではなく他のものだとしている。以上から考えると、「共通している点はエゴイズムという言葉を使った点で」というのが正しい。つまり、自分の説を表明する場合に、エゴイズムに触れなければならないほど、エゴイズム論は浸透していたことがわかる。