maturimokei’s blog

俺たち妄想族

敵基地攻撃の欺瞞性

 ウクライナの市民が攻撃されている。敵地に攻め込むということはそういうことだ。日本は、アメリカによる日本本土無差別空爆により80万人が殺され、町は焦土と化した。原爆被爆死推計14万人はほぼ市民だ。旧日本軍もアジア各地で民間人を虐殺し、都市を破壊している。攻め込むということはそういうことなのだ。安倍は歴史を学ばなかったのか。現実から学べないのか。敵基地の施設だけ、兵士だけを攻撃できる、そんなことはあり得ない。遠距離ミサイルもいらない、戦闘機もいらない。そんな金があるなら、私たちが今考えるべきことは、いかに人的被害を少なくしながら守るか、いかに負傷者を救出する方法を準備するかだ。

国会議事堂前で考えたこと

国会議事堂前で考えたこと

 行ってよかった。思っていたのと違うこととの出会いこそ、そこに行く意味だろう。
 9月18日9時20分。国会議事堂前駅は雨だった。カッパに、姫路から来ました、と書きたくなった。見た東京の人が嬉しくなるかも知れないと思ったからだ。マジックインキを借りに改札口にもどった。断られるかも知れないと思ったのは杞憂で、駅員はあっさり貸してくださった。再び外に出て道を尋ねた。女性が指さそうとした方向と逆の右を指さした男性が「どっちでもいけますが、あっちならいつも集会していますよ」と言った。礼を言って歩いていくと突如木の切れ目から国会議事堂が姿を現した。裏だった。角を三回回って、やっと表に廻り、旗が見えてきた。地理がわかった今となっては、駅を出て左に行ったほうが3倍早かったようだ。でもおかげで、国立国会図書館も、りっぱな議員会館も見たし、国会議事堂の大きさもわかった。
 拍子抜けするほど人は少なかった。しかし、東京だけでなくほとんどの県名を染めた旗が立っているのには驚いた。「不殺生」のプラカードを掲げ、雨の中休むことなく南無妙法蓮華経を繰り返すお坊さんたちの横で、キリスト教の旗が揺れていた。兵庫県教組の旗もあったが、下には誰もいなかったのは寂しかった。憲法記念館で30円〜40円もなぜか安い自動販売機で飲料水を買い、12時前に通った時も兵庫県教組の旗の下に人はいなかった。この時間になると人も増えてきた。姫路では年寄りしかデモをしておらず、本当に東京では若者ががんばっているのか知りたい見たいという思いがあった。しかし、ここでもいるのも年寄りばかりだ。大阪からの人に尋ねると、仕事が終わる5時やSEALDsが来る7時30分を過ぎるともっと若い人が増えるということだった。みんな働いている、学校に行っているということに気付かなかったのは迂闊だった。
 国会前の交差点に行くと、辻元清美の話が終わりかけたときだった。さすが東京、目の前にいる。対角にテレビカメラが並んでいる。ここは特等席だ。ここに陣取ることにする。石田純一が話し出した。セーターは羽織っていたが靴下は履いていなかった。さすが東京、目の前にいる。終わってから朝日のインタビューを受けていたので、相づちを打つと、話しかけてくれた。ここにいるとテレビの中の人が普通の人になっていく。
 「総がかり行動」の主催者の挨拶があった。幸福実現党がこの集会の中に入ってきたので文字通りたたき出した、という話しをしだした。そんなものは暴力ではないのだ、と彼は言う。危険だと私が感じたまさにその時、横断幕を広げて幸福実現党の若者が目の前に現れた。一瞬数人が飛びかかり、もみ合いと周囲からの帰れの怒号が始まった。折しも右翼の街宣カーがスピーカーの音量を上げ、向こうの交差点から入ってきた。帰れコールはますます大きくなっていく。私も思わず叫びたくなる。叫んだかも知れない。同時に危険だという警鐘が心の中で鳴る。主催者の、これは私の演出ではありません、という言葉に怒号は笑いとなって収束する。ファッショだ、少なくとも似たものを感じる、力を結集させるためには心を一つにする中心が要る、それとファシズムはどこまで同じでどこから違うのか、おそらくコンサートではこのようなことは日常茶飯事的に行われているのだろう。心地よさと不安とが同居したこの気持ちは何なんだ。このあと、女性司会者の「私たちはどんな暴力も認めません」という言葉が、救いとなった。シュプレヒコールの後、感謝の言葉を彼女に伝えたときには、主催者の姿は見えなかった。主催者に先ほどの言葉を撤回してもらうよう、彼女に頼んだ。
 2時間〜1時間30分間隔で、集会が行われた。さすがに立ちっぱなしは疲れるので、座って休む。集会が終わるごとに飲料水を補給し、座る場所が変わる。すると隣の人との話がどちらからともなく始まる。最初は相模原、次の場所では茅ヶ崎、二ヶ所とも東京以外からきた人だった。相模原の女性は家のすぐ近くが米軍基地で、基地内で大爆発があって怖かった、それほど大きなニュースにならなかったのが不思議だ、戦闘機の騒音がひどいと話されていた。テレビで見た事故の目撃者がここにいる。
 休憩から、集会に戻るたびに人が増えている。祭り状態になっている。もう特等席には戻れない。それどころか、警察が窓のない灰色のバスを、前後のバンバー同士をくっつけて視界の果てまで並べ始め、一車線は完全にふさがれ向こうが見えない。向こうの車線も同じ状態なのだろう。誰が演説しているのか、もうわからない。誰から誰を守っているのか、大勢の警察官が私たちの方を向いている。8月30日の12万人デモで道路に人があふれ車が通れなくなってからだと隣の男性が教えてくれた。毎日バリケードも丈夫になってきたそうだ。デモが車道を塞ぐことは、無関心層を敵に回すことになってしまう、それはまずいだろう、と私が言うと、歩行者天国にすればいいのに、迂回路なんていくらでもあるから、と彼は言った。
 一人の若者が、バスの間を抜けようとして、数人の警察にかかえられる。「過剰警備だ」と群衆の中から声が上がる。歩道に戻された若者は、派手な旗を振る友達と二人で、お前たちは何人逮捕すれば気がすむのかと、まだ警察に挑発を続ける。おそらくSEALDsではないのだろう。このバスは確かに不快だ。しかし、警察官は任務として行っている。決めた警視庁総監はここにいない。市民の怒りが決定した人間でなく、そこで実行しているという理由で、本来は味方であるべき警察官に向かっていく。この構図は正しいのか。若者の行動に私はいらいらしてきた。年配の女性が隣の人に「スピーチが聞こえない。向こうに行って欲しいわ。」と言っている。「この時間なら若者は働け。」ともう一人が応える。一人のお年寄りが、若者に話しかける。若者は「こんなところでじっとしていて何の役に立つ。国会に突っ込もう」と我々の目の前に来ていきり立つ。女性は「私たちは非暴力なのよ」と諭す。「みんな居るだけで何もしていないじゃないか」と彼は叫ぶ。目が据わっている。「こっちを指ささないで」女性が不快感を隠さない。「僕たちは学生運動から挑発はよくないと学んだんだ」と私が言うと、「あんたは学生運動をしてないだろ。年が若すぎるじゃないか」と言う。若干嬉しいような、でも学生運動にぎりぎり乗り遅れた世代で、学生運動の末路を見ていた世代としては、黙っていられなかった。内部から滅ぶことを私たちは知っている。結局は周囲の非難の声に押し出されて二人は去っていった。
 夕食から戻ると、様相は一変していた。歩道に人があふれて歩けない。スピーカーの声は若者に代わっていた。「安倍はやめろ」「安倍はやめろ」、「ア・べ・ハ・ヤ・メ・ロ」「ア・べ・ハ・ヤ・メ・ロ」が延々と繰り返される。スタカートで切るところが若者っぽい。応える声の大きさは昼間の比ではない。他にもいろいろ叫んだはずなのに、このフレーズしか今では頭に残っていない。耳のそばでスピーカーが叫んでいて耳が痛いがとにかく動けない。横断歩道をまたいで灰色バスが止まっている。駐車違反じゃないのか。バスの壁で、集団は完全に分断されている。スピーチが始まった。話している人は全く見えないが、小説家は穏やかにユーモアと皮肉を交え、女子大生は少し緊張して怒った声で話している。野党が、採決は日付を越えさせることに成功したと報告している。東京に就職した和田先生のアパートで一泊させてもらえるようメールで彼を誘導した。生徒の宿泊引率の帰りで疲れているのに気の毒なことをしたが、彼は快く受け入れてくれた。
 朝起きて、未明に参議院本会議で可決されたことをネットで知った。可決されたとき、国会前にはどれくらい人がいたのだろうか。報告を受けどんな状態になったのだろうか。今日は土曜日なので、サラリーマンも学生も朝から詰めかけるはずだ。「すごい人のはずです。気をつけてください」と和田先生に駅まで送ってもらい、再び国会議事堂前駅に着いた。昨日は夜で向こうは見えなかったが、今日は朝からだし、晴れている、どんなに壮観か、胸膨らませて行った。拍子抜けだった。旗もほとんどない。灰色のバスは一台もない。歩道を埋め尽くす怒れる群衆もいない。遅すぎたのだろうか。特等席の交差点では内輪で細々と集会が行われていた。シュプレヒコールが終わると、本日の集会はこれで終わります、と言っている。えっ、まだ10時だろ、これで終わり?次は木曜日だって?昨日は2時間置きにしたではないか、民衆の怒りってこんなものなのか、いや5時から集会していたのか、私が来るのが遅すぎたのか、それとも早すぎて別の集団が昼からするのか、いや警察はバリケードを分解し始めた。彼らの情報は確かだ。もうないのだ。私は一番大事なときにここにいなかったのだ。がっかりして、座っていると、東京新聞の記者から取材を受けた。彼は徹夜組を探していたようだ。期待に沿えなくて残念だった。でもしばらく私の話を聞いてくれた。言いたいことの資料を集めるだけの取材ではなく、現場で新しく発見していく取材であって欲しい。名前を載せてよいかと尋ねられ少しびびったが名前を教えた。姫路から来たのはポイントが高かったかも知れない。
 その取材が終わった後、隣に座っていた人が私に話しかけてきた。私が教員であることを取材を聞いていて知ったからだった。クレヨンを作っている彼はこの旅行で最も私が長く話をした人となる。今朝、群馬県桐生から出てきた彼は、行かないと自分に悔いが残る気がするから来た、と言った。こんな法案を俺らの世代で通して次の世代の者にすまねえ、あんな立派な議員会館を建てる奴等には決して何もわかんねえ、徹夜なんて仕事してれば当たりまえだ、本当は一人より多いほうがよい、でも人を誘うのは気が引ける、だれの子供も殺させないというママの会のメッセージが素敵だ、クリックで世界を動かすマネー経済に腹が立つ、いろいろ考えていると宗教的なものを感じる、父が死んで自分を責めるのはみんな同じだろう、鳥人間や自動車、絵の具を食べる話、不思議なほど同じことを考えていた。かわるがわるに相手の思っていることを語っているような不思議な時間だった。私は、つながることが大切なのではなく、すでにつながっていることを感じることが大切なのだと思ってきた。まさに彼は、それに確信を持たせる人物だった。全てはすでにつながっている。学ぶことは全てその人の発想のもととなり、することは過去から影響を受けていて、未来に影響を与える、同じことを考えている見ず知らずの人間が必ずどこかにいる。彼はデモに遅れてきたけれど、私もタイミングを失したけれど、その結果私たちは出会った。おそらくもう出会うことはないだろうが、ある種の確信を我々は与えあった。それだけでも、東京に来た甲斐があった。
 主催者の集会は解散したが、数人のグループがまだ抗議を続けていた。それは昨夜の攻撃的なものではなく、マイクも使わず踊りながらアドリブでだれからともなく叫ぶものだった。「ソーカー学会何してる」と誰かが言うと、同じグループのもう一人が、近くにいた学会員を見つけて「頑張ってーるソカ学会もいるぞ」と言う。ほほ笑ましいものを感じた。暴力的に大声でがなるのではない、理性を保ったままの反対運動。ふと、「友よ」のメロディーが頭の中を流れた。「 友よ 夜明け前の闇の中に 友よ 戦いの炎を燃やせ 夜明けは近い 夜明けは近い 」反戦歌、これこそが、暴力的なシュプレヒコールのアンチテーゼとして生まれたものではないか。理性的に、心に沁み入るように訴えていく、国会議事堂を歌声が囲むそんな日を私は見てみたい。
 全ての不信任案は議長が続けて審議を進めるのに、特別委員会議長不信任案が出されたとき、鴻池は佐藤に替わった。議長不信任案だけは、議長が審議できないからである。元自衛官であり、この法案の発案に最も近いところにいて、NHK国会中継で映る確率の最も高い席に陣取っていた彼を、結果として議長席に座らせ、その姿を全国津々浦々放映させたことが、野党の作戦の結果として妥当なものだったのか。私が待てなかったように、国会前の人が減る未明まで野党が採決を延ばしたことは、暴動を防ぐという意味で正しかったかも知れないが、果たして作戦として妥当なものだったのだろうか。国会前の人が減ることは与党の望むことでもあったはずだ。相手は巧妙である。王手を仕掛けられたのは我々だった。
 この闘いは、無個性対個性の闘いでもあった。たまに中谷防衛大臣が言い間違える以外、安倍首相に従う人々は、個を殺し皆が同じことを言った。今思い出した。違和感があったシュプレヒコールの一つ。「へ理屈言うな」。それは言論の封殺だ。理屈を理屈で説得していく、そこに民主主義の可能性がある。「まともに答えろ」というべきなのだ。与党の言っているのは、現実の脅威のみだった。それに対して、野党は、海外での武器使用の違法性、立憲主義の崩壊、世論の反対、アメリカの戦争に巻き込まれる危険性、報復テロによる危機の増大、自衛隊員のリスク増大、湾岸戦争PKO派遣の総括の不備、権力の横暴、そして殺し殺されあう関係になることへの恐れなど、法の内容論、運営論、議事の運営論、さまざまな視点から異を唱えた。それらの質疑に対して与党は全て、現実の脅威のみで答えた。困れば、そうは思わない、そういう事実は確認していない、それのみであった。
 国会議事堂前にも様々な人がいる。無関心な人、嘘を教える人、誠実な人、遅れてくる人、飽きっぽい人、小泉の悪行をみんなの前で全部暴いてやると言う少しずれた人、自らの行動が敵に利用され運動を窮地に陥れることに気付かない人、私も含めそれぞれが自分は正しいと思って行動している。反対勢力はそれら個性的な人々を一つにまとめあげて票という形にしていかなければならない。今回皮肉なことに政権が我々に目覚めさせた政治意識を、日常化させることができるのかを突きつけられているのだ。
 帰りに寄った銀座4丁目交差点は歩行者天国だった。昨夜の国会議事堂前交差点の風景が浮かんでくる。3時を告げる鐘が響く銀座も、国会前で見た人波に匹敵する人が歩いている。しかしここでは歩行者が優先され、歩行者は車道を自由に歩き、簡単な柵が国会前とは90度違う方向にまばらに置いてあるだけで、警察官は見えない。まして灰色の窓のないバスは見えない。これが普通の姿なのだ。銀座のシンボルである時計店の中に入ると、入り口に飾ってあった200万円の時計が、安い部類であることを知った。文字盤がダイヤで光って時間が読みづらい。外に出ると暑かった。持ってきたジャケットは邪魔になっただけで、東京はまだ夏だった。群馬から来た彼が、館林の暑さは東京のヒートアイランド現象のとばっちりなのだと言っていたのを思い出す。
 来てみてわかることがある。新しく知り、気付き、考える。私がしていることは、すでにどこかにつながっている。誰かにつながっている。それが、群馬の彼が言ったように、自分と家族と人々の幸せにつながることを祈る。

        2015年9月20日

 

 多様性は大切だ。しかし、弱い。個々の価値観が違い、まとまり切れないからだ。独裁は強い。みんなが同じことを言うからだ。私が七年前に国会議事堂前で感じたことが、今世界で起こっている。独裁プーチンにどう立ち向かうのか。プーチンと同じことを言う軍隊やロシア国民とどう戦うのか。ウクライナを救うために、未来の世界のために、我々は小さな力を集結しなければならない。

やすらかに 美しく 油断していた

挨拶  原爆の写真によせて

     石垣りん

あ、この焼けただれた顔は 1945年8月6日 
その時広島にいた人 25万人の焼けただれの一つ
すでに此の世にないもの とはいえ 友よ 向き合った互いの顔を も一度見直そう
戦火の跡もとどめぬ すこやかな今日の顔 すがすがしい朝の顔を
その顔の中に明日の表情をさがすとき 私はりつぜんとするのだ
地球が原爆を数百個所持して 生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに あなたは美しいのか
しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある
午前8時15分は 毎朝やってくる
1945年8月6日の朝 一瞬にして死んだ25万人の人すべて
いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた  

                       (1952・8)

 

ウクライナ危機

 武力を先に使った人間が、襲われた人に非武装を要求している。都市をより破壊するために「人道回廊」という名で、ロシアのコマーシャルに使うための人質をよこせと言っている。7年前にプーチンがシリアでやったことを考えると、「人道回廊」の到着先はアウシュビッツにしか見えない。プーチンを許すことはできない。

 経済的制裁をロシアに与えれば、世界中が不況に苦しむことになると言う人がいる。それがどうした。人民はパンがないなら、ケーキを食べれば良いと言ったマリーアントワネットではなく、小麦が高騰し、パンが食べられなくなれば、米を食べればよい。日本は米を増産して世界中に送れば良い。贅沢に捨てていた食べ物を残らず食べれば良い。自転車を使い、早く寝て、太陽とともに生活をして、原油天然ガスの消費を減らそう。それらの輸出に経済の半分近くを頼っているロシアに打撃を与え、ロシア中に反プーチンの嵐が吹くのを待とう。ロシア人であることの誇りを持っている人はたくさんいる。今の状況に耐えられないロシアの方はたくさんいる。「ロシアの春」はきっと訪れる。ウクライナの方々の苦難を思えば、我々の生活の物価高なんて贅沢を捨てれば何でもない。商店は自分たちだけで被らず、遠慮なく値上げすれば良い。日本人の全員が、プーチンに腹を立てることが大切だ。

 エネルギー消費を抑えることは、地球温暖化やマイクロプラスチックによる大気汚染を遅らせることにもつながるが、そうではなく、これはすでに起こってしまった危機への対応である。我々は今世界史のターニングポイントにいる。この暴挙を記す教科書を未来に存在させるために、我々は今すべきことをしなければならない。

小説ワリエワ

 

 私には二つの選択肢があった。一つは音楽が鳴ってもリンクに立ち尽くすことである。しかし、それは同時に抗議の意味を含み、私の本意ではなかった。もう一つは転倒である。それは誰にも証明できずに目的を果たせる。私の目的は一つ。三位以内に入賞しないことである。入賞すれば、大会中の表彰はなくなり、シェルバコワを初め他のオリンピアンに申し訳ないことになってしまう。
 ドーピング検査で陽性と判定された時、信じられなかった。一瞬、いつも飲んでいるナピータクが頭によぎった。スポーツ選手なら誰でも自分専用のドリンクを持っている。ドリンクを共有しないのは、コロナウィルスが流行するずっと前からだ。大会に出場する者にとっては常識だ。会場で誰かが薬物を混入させる危険性があるからだ。練習用のナピータクも、私たち一人一人の体脂肪率や酸素吸収率に合ったものを、個々用に作られているから、絶対に他人の物を飲まないようにと、トゥトベリーゼコーチから注意されていた。私たちの食べ物は全て管理されている。私のナピータクにだけ入れられていたのだろうか、いや、そんなことはない、これは何かの間違いだ。検査の前日に私が不注意で口にしたものがたまたま検出されたのだ。そう信じたい。そう自分に言い聞かせて練習を続けてきた。
 拍手が響く。シェルバコワが終わった。次は最終滑走、私の番だ。バッシングを受けたが、私はショートプログラムを一位通過した。それは私のプライドをかけた滑りだった。不覚にも演技が終わった瞬間、涙を流してしまった。ショートで泣く選手なんていない。私のオリンピックへの挑戦はもう終わっている。今から起こることは決して誰にも言わない。それが私のもう一つのプライドだからだ。
 ボレロが低く始まった。私は静かに滑り出す。四回転サルコウ。見てほしい。私の最後のジャンプ。踏み切る。良い回転だ。着氷。決まった。一番勇気がいるのは最初のジャンプだ。多くのスケーターが最初のジャンプで躓く。ここで成功すれば乗っていける。体調は悪くない。でも、惜しいけれど、これで終わったのだ。あとは、転倒するだけだ。新しい技を始めると転倒はつきものだ。怪我をしない転倒の練習もしてきた。転ぶのはお手の物だ。こんな時に役に立つなんて。次のトリプルアクセルは余裕だからステップアウトしよう。手を着く。コンビネーションの二回目の転びがぎこちなかった。わざとらしかった。もっと上手に転ばなきゃ。コーチにはばれたかな。でも、これで良いのだ。転んで、そして立ち上がる。

 私を映すドローンが飛んでいる。私は何回スピンしても眼球が揺れることはない。時速20マイルで滑走しながら審査員の表情を読み取ることができる。今日は審査員の目に動揺が見られる。そうやって滑っている私を右斜め上からもう一人の私が見ている。いつもと同じだ。

 私がコーチから特別育成選手に指名された時のトルソワの目を思い出す。指名されなかった彼女が悔しがると私は思っていた。でも、そうではなかった。彼女の目の中にある、私を憐れむ色がずっと気になっていた。私は子供で嬉しさばかりだったけれど、彼女はすでに知っていたのだ。今になればわかる。コーチは私たちに言った。あなた達はライバルではない。あなた達は自分の役割を演じるのだと。私の役割をトルソワはその時知っていたのだ。
 ボレロに打楽器が加わった。音量が上がる。リズムがはっきりしてくる。後半だ。フィギュア団体で金を取った時、唯一失敗した四回転トゥーループ。これは成功させたい気持ちもあった。ああ、この失敗はやはり悔しい。あっ、コンビネーションジャンプを成功させてしまった。得意技だから体が覚えている。気持ちに反して、体があらがう。ゆっくり、ゆっくり、もっと技のキレを無くさないと。でも、音楽が鳴ると、氷の削れる音がすると、体が、体が、動く。動く。シンコペーションに体が反応してしまう。レイバックスピンから足換えのスピンへ。回転が上がっていく。速すぎる。でも回る。回る。ああこのまま回っていたい。私はスケートが好きだ。大好きだ。

 演技が終わった。でもこの手は何だろう。最後の音と同時に突き上げた拳。全く今の私の気持ちに似つかわしくない。これほど気持ちと動作とがちぐはぐなものがあろうか。この突き上げる拳も演技の一部として私の体に条件づけられたもの。毎日毎日体に覚えさせたもの。ちょっと笑ってしまう。

 私は氷の感触を確かめながらリンクの出口に向かう。明日からどんな日々が始まるのだろう。わからない。私は何のために滑ってきたのだろう。オリンピックって何のためにあるのだろう。わからない。ただ一つわかっているのは、私はスケートが好き、体がスケートを全力でしたがっているということだ。今日は眠ろう。明日目が覚めれば、リンクに立ちたい。そして思いっきり自由に滑ってみたい。いつまでも滑っていたい。

 

 これは2022年冬季オリンピックフィギュアスケート女子決勝最終演技者の予選決勝における中継放送の彼女の行動と表情、および彼女に関する報道をもととしたフィクションである。

 

(参考報道)

2019年12月9日 世界反ドーピング機関(WADA)は、ロシアの国家ぐるみのドーピング不正にまつわるデータ改ざんに関して、ロシア選手団を4年間、オリンピックを含む国際的な主要大会から除外すると決定した。なお、個人の参加は認める。
2021年11月27日
 カミラ・ワリエワ(ロシア15歳)がフィギュアスケート女子で世界歴代最高得点272・71点を記録し、GPシリーズにおいて2連勝。
2022年2月7日 
 北京五輪女子団体戦において、ワリエワはフリーで2位に30点以上の差をつけ、ロシアオリンピック委員会が首位に立つ。
2月8日 
 スウェーデンの検査機関が、21年12月25日に行われたロシア選手権でワリエワの検体から禁止薬物のトリメタジジンが検出されたことを報告。前日行われたフィギュア女子団体のメダル授与式が中止になる。
2月14日 スポーツ仲裁裁判所がワリエワが16歳未満の要保護者であることを理由に、五輪出場を認める裁定を下す一方、彼女がメダルを獲得した場合、女子のメダル授与式は行わないことに決定。
2月15日 
 女子ショートプログラムでワリエワが首位に立つ。
2月17日19時
 女子フリー開始。トルソワ(ROC)は、演技後ハグをしようとしたエテリ・トゥトベリーゼコーチに「身をよじって避け「嫌よ。みんな知ってるのよ。」と厳しい言葉を浴びせて、その場を立ち去った。」(2.18スポーツ報知)
 ワリエワはジャンンプで何度も転倒。演技終了直後、欧米メディアによると、トゥトベリーゼコーチは「演技を終えたワリエワに「説明しなさい。なぜ諦めたの?」などと詰問した。」(2.18日本経済新聞

金=シェルベコワ、銀=トルソワ、銅=坂本花織、4位=ワリエワ

2月20日 北京五輪閉幕。

2月21日 ワリエワ練習開始。自身のインスタグラムに投稿。「アスリート人生で最も重要なイベントに導いてくれた方々に感謝したい。私を強くしてくれてありがとう」(時事通信「あなた(=コーチ)はあなたがすることに関する限り絶対的なマスターだ。あなたは単純にトレーニングだけでなく自身を克服する方法を教える。これはスポーツだけでなく人生を生きていくのに役立つ助言」「ファン、家族、友達、コーチ、ロシアオリンピック委員会、チーム全体、祖国、全世界の人々に感謝する。ありがとう。私は永遠に感謝する。私はこれを常に記憶し感謝しながらあなたのためにスケートをするだろう」(2.23中央日報

2月24日 ウクライナ外務省は24日、同国内の複数の都市が攻撃を受けたと発表した。首都キエフがミサイル攻撃を受けているという。ロイター通信が伝えた。ウォールストリート・ジャーナル紙(電子版)などの米メディアは日本時間の同日午後、ロシア軍がウクライナ東部へ攻撃を開始したと報じた。

2月25日 ウクライナのシュミハリ首相は24日、北部にあるチェルノブイリ原子力発電所が戦闘の末、ロシア軍に占拠されたと明らかにした。(NHK

3月3日 サポリージャ原発、ロシア軍の攻撃を受け火災。(NHK

3月4日 プーチン大統領は、ロシア軍に関する「偽情報」を広めた場合に最長で禁錮15年の刑を科すなどとした法案に署名し、同法は成立した。(時事ドットコム

4月26日 大統領府クレムリンで、プーチン大統領がオリンピックのメダリストを集め勲章を授与。ワリエワ選手について「スポーツを芸術の頂点に引き上げた。これは追加の手段を借りて不正に達成できるものではない」と功績をたたえた。一方、シェルバコワ選手や3つの金メダルを獲得したアレクサンドル・ボルシュノフ選手らが欠席した。(テレ朝ニュース)

モスラの復活2

  クチバシを作る。実はモスラをもう一体買ってしまった。確かモスラは双子だったはずだ。もう一体いてもいいだろう。こっちにはクチバシがついている。それをオス型にしてお湯溶けプラスチックでメス型を作る。本来はクチバシが開閉できるが通常はバネで閉まってる。メス型は口を閉じた状態で作ることになる。このままメス型に流し込んだ。物足らないし、糸の代わりに出す光線を通す空間がない。小さな穴を開けて光線を通すのは難しい。口は開けた方が見た目が良いし、光線を出しやすい。やや開いた状態で固定したものを作ることにする。そのために四分割でクチバシの部品を作り直す。

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下左がクチバシのメス型、下中央は土台のメス型

 

 四つのパーツを再びお湯で温めて合体させる。あとは塗装するだけだ。

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 レーザーは、ゴジラ用のレーザーで、コンパクト化のために不要になったものを使う。大きめだが、モスラの頭に空間はたっぷりあるし、ゴジラを赤レーザーにしたので、青レーザーはモスラに似合っている。糸吐き用のスイッチが余っているので、モーターへの配線を分岐して、糸吐きも可能な状態を残しておく。写真は仮に入れてみたのだが、このままでもいけそうだ。

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 ちなみに、前回真鍮に変えたミニ四駆用のピニオンギアは小さかったが、部品採りした中国メーカーの4輪駆動車のモーターのプラスチックギアは、モスラ用と同じ大きさだったので交換することにする。やはり隙間が大きいとギアを削る可能性は大きくなる。プラスチックギアはペンチと釘で抜けるが、真鍮ギアもうまく抜けるだろうか。まあ、やってみよう。

ゴジラの復活6

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1 電磁スイッチの製作
 エナメル線が来た。噴煙装置を回路に繋ぐと、電圧か電流が落ち込み、回転が上がらない問題を解決するために、噴煙装置電源を別に設け、回路を通さず流すことにした。問題は、どうやってオンオフするかである。そこで、リモコンで電磁石を操作し、磁石鉄芯と、引きつけられる薄い鉄片の離合を噴煙装置のスイッチにしようと考えた。いいアイデアだ。
 ゴジラの気道用に100均で買った曲げストローの切った残りがあるので、巻きつける。規則正しく輪を描くエナメル線が金色に光って美しい。何回巻いていいか分からないので、100回巻くことにする。実験電源を使って試してみる。ストローの中に入れた釘が飛び出たのでびっくりしたが、悪くはない、明らかに反応があるということだ。釘を固定すると、置いた鉄ネジが引き寄せられた。成功。ところが、アッチ!。小指が電磁石に触れたら、無茶苦茶熱いのだ。考えてみれば、ニクロム線と同じ格好をしている。熱いはずだ。これはまずい。ゴジラが内部崩壊してしまう。カバーをつけても、中のストローがもたないだろう。短い時間ならいいか?とりあえずはこの問題は置いて、回路実験に進むことにしよう。

2 実験回路
 実は、どうやらゴジラの一つの回路を壊したような気がする。噴煙装置を繋いで、おかしい、煙が出ないとしつこく回し続けると、突然暴発をはじめ、スイッチを切っても回り続け、次からは何を繋いでも反応しなくなった。ごめん。そこで、負荷を心置きなくかけられる実験用の回路を作ることにした。といっても私は回路を組めない。他のラジコンおもちゃの回路を取り出して使うのだ。昔、我が子用という名目で買った私用の、チャーGという自動車ラジコンがある。1チャンネルで前進後退のみである。これを使おうかと思いながら、今回、アマゾンを物色していて驚いた。あれは何というのか、高専ロボコンで使われる、スライド走行が可能なように斜めにローラーをつけたタイヤを履いている4輪駆動車を発見。ということは4チャンネルではないのか。モーターが4つ、充電池も3つ、LEDがついてコントローラーがついて、なんだこの値段は?ゴジラは6チャンネルと謳っているが、正確には5チャンネルだと私は思っている。つまり、モーターを逆転させて方向転換しているのでこれは2ではなく1と数えるべきだ。オモチャに4チャンネル。しかも、エネループと同じ大きさで3倍高電圧の充電電池。即買った。中国の技術の進歩は凄まじい。我が東大は、私の出身校という意味ではなく、私の母国のという意味だが、ロボコンアジア大会では最近中国に負け続けている。むべなるかな。
 話は逸れるが、このおもちゃ、未来の自動車社会を先取りしている。4輪別々にモーターを制御するので、その場回転ができる。道路にセンサーを埋め込めば、直に電気でモーター制御なので自動運転技術の簡単さはエンジンの比ではない。真横へのスライド走行は乗り心地、ブレーキの効き、道路の傷みを考えると現実的ではないから、ローラータイヤの採用はないが、タイヤを動かす装置としてのハンドルはなくなる。デフもなくなる。加速は4モーター、巡航は1モーターというように四つのモーターを使い分ければミッションも要らなくなるのではないか。機械部品製造技術精度のハードルは下がった。アップル、ソニー自動車産業に参戦するのは当然である。しかし、モーターを動かす電気をどうやって得るか世界はまだ解決していない。私としては、日本は島国だから、潮の満ち干を利用するのが良いと思うがどうだろう。

3 中国製品の傾向
 商品が届いた。リモコンの電池の蓋を開けるのがとても難しい。スライドさせよとの説明があるが、びくともしない。15分やっても無理。シリコンスプレーをかけ滑りやすくしても動かない。中でカラカラ音がするのも嫌な予感がする。よく見ると、電源スイッチが邪魔になってスライドできない構造になっている。部品採りだから壊れるのも覚悟でドライバーでこじ開けた。中を見ると、スライドではなく、単なるハメ入れ、ドライバーこじ開けが正しい。訳のわからない折れた部品が入っていたが、内部に損傷はない。説明書ではAA(単3電池)が指示してあるが、中を開けると AAA(単4電池)と書いてあり、実際に単4電池の大きさだ。操作は簡単で思い通り直感的に動かせる。とても面白い。ただ、リモコンの電源を切るのが難しい。びくともしない。コツをマスターするのに15分かかる。中国製品は発想の面白さ、電子部品を含むコンパクトさでコスパは高い。しかし、スイッチにおいて雑なのが多い。接触不良は当たり前、異様に細い導線、グラグラのハンダ付け、スイッチの筐体の組み合わせ精度の低さ、まるで4、50年前のおもちゃのようで、最先端のオートメーションで作られる部品の精度の高さと極端なほどアンバランスでいつも苦笑してしまう。

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不必要に抜けにくいコネクター。針を2本刺して抜け留めを押し上げてから抜く。

 

 私は、必要な部品がでると、まず今まで使った材料の残りから調達する。ないときは家の中を見回す。利用できるものがなさそうなら、100均やホームセンターで代用品を探す。代用品が見つからないとAmazonで買うが、部品を買うより製品を買う方が安いことの方が多い。不思議だ。しかも、部品採りした残りは他のことに利用できることも多い。例えばLEDが欲しくて買って、切り離して不要になった電源ボックスは、実験用に使える。だが、前述通りスイッチが甘いから、前述のプラマイ逆問題で動かないからといって必ずしも私の配線が悪かったのではなく、実験用電池ボックスがダメだったという、地獄のような日々を送った。というわけで下は、4つ100円のミニタッパに収めた、4チャンネルレシーバーと電池。実に小さい。

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左が実験用4チャンネル回路(3,7ボルト電源内臓)
右が単3四本入り4,8ボルト電源ボックス

 残念ながら、電磁スイッチのエナメルコイルを入れると、レーザーの照度が極端に下がる。下がるだけでなく、電磁石の力も弱い。回路から電流の制限を受けている。失敗だ。考えてみれば、モーターも電磁コイルだった。電磁石スイッチもモーターも結局同じものだ。何と迂闊な。ため息が出る。振り出しに戻った。


 いや、私にはまだ、次の一手がある。