maturimokei’s blog

俺たち妄想族

国会議事堂前で考えたこと

国会議事堂前で考えたこと

 行ってよかった。思っていたのと違うこととの出会いこそ、そこに行く意味だろう。
 9月18日9時20分。国会議事堂前駅は雨だった。カッパに、姫路から来ました、と書きたくなった。見た東京の人が嬉しくなるかも知れないと思ったからだ。マジックインキを借りに改札口にもどった。断られるかも知れないと思ったのは杞憂で、駅員はあっさり貸してくださった。再び外に出て道を尋ねた。女性が指さそうとした方向と逆の右を指さした男性が「どっちでもいけますが、あっちならいつも集会していますよ」と言った。礼を言って歩いていくと突如木の切れ目から国会議事堂が姿を現した。裏だった。角を三回回って、やっと表に廻り、旗が見えてきた。地理がわかった今となっては、駅を出て左に行ったほうが3倍早かったようだ。でもおかげで、国立国会図書館も、りっぱな議員会館も見たし、国会議事堂の大きさもわかった。
 拍子抜けするほど人は少なかった。しかし、東京だけでなくほとんどの県名を染めた旗が立っているのには驚いた。「不殺生」のプラカードを掲げ、雨の中休むことなく南無妙法蓮華経を繰り返すお坊さんたちの横で、キリスト教の旗が揺れていた。兵庫県教組の旗もあったが、下には誰もいなかったのは寂しかった。憲法記念館で30円〜40円もなぜか安い自動販売機で飲料水を買い、12時前に通った時も兵庫県教組の旗の下に人はいなかった。この時間になると人も増えてきた。姫路では年寄りしかデモをしておらず、本当に東京では若者ががんばっているのか知りたい見たいという思いがあった。しかし、ここでもいるのも年寄りばかりだ。大阪からの人に尋ねると、仕事が終わる5時やSEALDsが来る7時30分を過ぎるともっと若い人が増えるということだった。みんな働いている、学校に行っているということに気付かなかったのは迂闊だった。
 国会前の交差点に行くと、辻元清美の話が終わりかけたときだった。さすが東京、目の前にいる。対角にテレビカメラが並んでいる。ここは特等席だ。ここに陣取ることにする。石田純一が話し出した。セーターは羽織っていたが靴下は履いていなかった。さすが東京、目の前にいる。終わってから朝日のインタビューを受けていたので、相づちを打つと、話しかけてくれた。ここにいるとテレビの中の人が普通の人になっていく。
 「総がかり行動」の主催者の挨拶があった。幸福実現党がこの集会の中に入ってきたので文字通りたたき出した、という話しをしだした。そんなものは暴力ではないのだ、と彼は言う。危険だと私が感じたまさにその時、横断幕を広げて幸福実現党の若者が目の前に現れた。一瞬数人が飛びかかり、もみ合いと周囲からの帰れの怒号が始まった。折しも右翼の街宣カーがスピーカーの音量を上げ、向こうの交差点から入ってきた。帰れコールはますます大きくなっていく。私も思わず叫びたくなる。叫んだかも知れない。同時に危険だという警鐘が心の中で鳴る。主催者の、これは私の演出ではありません、という言葉に怒号は笑いとなって収束する。ファッショだ、少なくとも似たものを感じる、力を結集させるためには心を一つにする中心が要る、それとファシズムはどこまで同じでどこから違うのか、おそらくコンサートではこのようなことは日常茶飯事的に行われているのだろう。心地よさと不安とが同居したこの気持ちは何なんだ。このあと、女性司会者の「私たちはどんな暴力も認めません」という言葉が、救いとなった。シュプレヒコールの後、感謝の言葉を彼女に伝えたときには、主催者の姿は見えなかった。主催者に先ほどの言葉を撤回してもらうよう、彼女に頼んだ。
 2時間〜1時間30分間隔で、集会が行われた。さすがに立ちっぱなしは疲れるので、座って休む。集会が終わるごとに飲料水を補給し、座る場所が変わる。すると隣の人との話がどちらからともなく始まる。最初は相模原、次の場所では茅ヶ崎、二ヶ所とも東京以外からきた人だった。相模原の女性は家のすぐ近くが米軍基地で、基地内で大爆発があって怖かった、それほど大きなニュースにならなかったのが不思議だ、戦闘機の騒音がひどいと話されていた。テレビで見た事故の目撃者がここにいる。
 休憩から、集会に戻るたびに人が増えている。祭り状態になっている。もう特等席には戻れない。それどころか、警察が窓のない灰色のバスを、前後のバンバー同士をくっつけて視界の果てまで並べ始め、一車線は完全にふさがれ向こうが見えない。向こうの車線も同じ状態なのだろう。誰が演説しているのか、もうわからない。誰から誰を守っているのか、大勢の警察官が私たちの方を向いている。8月30日の12万人デモで道路に人があふれ車が通れなくなってからだと隣の男性が教えてくれた。毎日バリケードも丈夫になってきたそうだ。デモが車道を塞ぐことは、無関心層を敵に回すことになってしまう、それはまずいだろう、と私が言うと、歩行者天国にすればいいのに、迂回路なんていくらでもあるから、と彼は言った。
 一人の若者が、バスの間を抜けようとして、数人の警察にかかえられる。「過剰警備だ」と群衆の中から声が上がる。歩道に戻された若者は、派手な旗を振る友達と二人で、お前たちは何人逮捕すれば気がすむのかと、まだ警察に挑発を続ける。おそらくSEALDsではないのだろう。このバスは確かに不快だ。しかし、警察官は任務として行っている。決めた警視庁総監はここにいない。市民の怒りが決定した人間でなく、そこで実行しているという理由で、本来は味方であるべき警察官に向かっていく。この構図は正しいのか。若者の行動に私はいらいらしてきた。年配の女性が隣の人に「スピーチが聞こえない。向こうに行って欲しいわ。」と言っている。「この時間なら若者は働け。」ともう一人が応える。一人のお年寄りが、若者に話しかける。若者は「こんなところでじっとしていて何の役に立つ。国会に突っ込もう」と我々の目の前に来ていきり立つ。女性は「私たちは非暴力なのよ」と諭す。「みんな居るだけで何もしていないじゃないか」と彼は叫ぶ。目が据わっている。「こっちを指ささないで」女性が不快感を隠さない。「僕たちは学生運動から挑発はよくないと学んだんだ」と私が言うと、「あんたは学生運動をしてないだろ。年が若すぎるじゃないか」と言う。若干嬉しいような、でも学生運動にぎりぎり乗り遅れた世代で、学生運動の末路を見ていた世代としては、黙っていられなかった。内部から滅ぶことを私たちは知っている。結局は周囲の非難の声に押し出されて二人は去っていった。
 夕食から戻ると、様相は一変していた。歩道に人があふれて歩けない。スピーカーの声は若者に代わっていた。「安倍はやめろ」「安倍はやめろ」、「ア・べ・ハ・ヤ・メ・ロ」「ア・べ・ハ・ヤ・メ・ロ」が延々と繰り返される。スタカートで切るところが若者っぽい。応える声の大きさは昼間の比ではない。他にもいろいろ叫んだはずなのに、このフレーズしか今では頭に残っていない。耳のそばでスピーカーが叫んでいて耳が痛いがとにかく動けない。横断歩道をまたいで灰色バスが止まっている。駐車違反じゃないのか。バスの壁で、集団は完全に分断されている。スピーチが始まった。話している人は全く見えないが、小説家は穏やかにユーモアと皮肉を交え、女子大生は少し緊張して怒った声で話している。野党が、採決は日付を越えさせることに成功したと報告している。東京に就職した和田先生のアパートで一泊させてもらえるようメールで彼を誘導した。生徒の宿泊引率の帰りで疲れているのに気の毒なことをしたが、彼は快く受け入れてくれた。
 朝起きて、未明に参議院本会議で可決されたことをネットで知った。可決されたとき、国会前にはどれくらい人がいたのだろうか。報告を受けどんな状態になったのだろうか。今日は土曜日なので、サラリーマンも学生も朝から詰めかけるはずだ。「すごい人のはずです。気をつけてください」と和田先生に駅まで送ってもらい、再び国会議事堂前駅に着いた。昨日は夜で向こうは見えなかったが、今日は朝からだし、晴れている、どんなに壮観か、胸膨らませて行った。拍子抜けだった。旗もほとんどない。灰色のバスは一台もない。歩道を埋め尽くす怒れる群衆もいない。遅すぎたのだろうか。特等席の交差点では内輪で細々と集会が行われていた。シュプレヒコールが終わると、本日の集会はこれで終わります、と言っている。えっ、まだ10時だろ、これで終わり?次は木曜日だって?昨日は2時間置きにしたではないか、民衆の怒りってこんなものなのか、いや5時から集会していたのか、私が来るのが遅すぎたのか、それとも早すぎて別の集団が昼からするのか、いや警察はバリケードを分解し始めた。彼らの情報は確かだ。もうないのだ。私は一番大事なときにここにいなかったのだ。がっかりして、座っていると、東京新聞の記者から取材を受けた。彼は徹夜組を探していたようだ。期待に沿えなくて残念だった。でもしばらく私の話を聞いてくれた。言いたいことの資料を集めるだけの取材ではなく、現場で新しく発見していく取材であって欲しい。名前を載せてよいかと尋ねられ少しびびったが名前を教えた。姫路から来たのはポイントが高かったかも知れない。
 その取材が終わった後、隣に座っていた人が私に話しかけてきた。私が教員であることを取材を聞いていて知ったからだった。クレヨンを作っている彼はこの旅行で最も私が長く話をした人となる。今朝、群馬県桐生から出てきた彼は、行かないと自分に悔いが残る気がするから来た、と言った。こんな法案を俺らの世代で通して次の世代の者にすまねえ、あんな立派な議員会館を建てる奴等には決して何もわかんねえ、徹夜なんて仕事してれば当たりまえだ、本当は一人より多いほうがよい、でも人を誘うのは気が引ける、だれの子供も殺させないというママの会のメッセージが素敵だ、クリックで世界を動かすマネー経済に腹が立つ、いろいろ考えていると宗教的なものを感じる、父が死んで自分を責めるのはみんな同じだろう、鳥人間や自動車、絵の具を食べる話、不思議なほど同じことを考えていた。かわるがわるに相手の思っていることを語っているような不思議な時間だった。私は、つながることが大切なのではなく、すでにつながっていることを感じることが大切なのだと思ってきた。まさに彼は、それに確信を持たせる人物だった。全てはすでにつながっている。学ぶことは全てその人の発想のもととなり、することは過去から影響を受けていて、未来に影響を与える、同じことを考えている見ず知らずの人間が必ずどこかにいる。彼はデモに遅れてきたけれど、私もタイミングを失したけれど、その結果私たちは出会った。おそらくもう出会うことはないだろうが、ある種の確信を我々は与えあった。それだけでも、東京に来た甲斐があった。
 主催者の集会は解散したが、数人のグループがまだ抗議を続けていた。それは昨夜の攻撃的なものではなく、マイクも使わず踊りながらアドリブでだれからともなく叫ぶものだった。「ソーカー学会何してる」と誰かが言うと、同じグループのもう一人が、近くにいた学会員を見つけて「頑張ってーるソカ学会もいるぞ」と言う。ほほ笑ましいものを感じた。暴力的に大声でがなるのではない、理性を保ったままの反対運動。ふと、「友よ」のメロディーが頭の中を流れた。「 友よ 夜明け前の闇の中に 友よ 戦いの炎を燃やせ 夜明けは近い 夜明けは近い 」反戦歌、これこそが、暴力的なシュプレヒコールのアンチテーゼとして生まれたものではないか。理性的に、心に沁み入るように訴えていく、国会議事堂を歌声が囲むそんな日を私は見てみたい。
 全ての不信任案は議長が続けて審議を進めるのに、特別委員会議長不信任案が出されたとき、鴻池は佐藤に替わった。議長不信任案だけは、議長が審議できないからである。元自衛官であり、この法案の発案に最も近いところにいて、NHK国会中継で映る確率の最も高い席に陣取っていた彼を、結果として議長席に座らせ、その姿を全国津々浦々放映させたことが、野党の作戦の結果として妥当なものだったのか。私が待てなかったように、国会前の人が減る未明まで野党が採決を延ばしたことは、暴動を防ぐという意味で正しかったかも知れないが、果たして作戦として妥当なものだったのだろうか。国会前の人が減ることは与党の望むことでもあったはずだ。相手は巧妙である。王手を仕掛けられたのは我々だった。
 この闘いは、無個性対個性の闘いでもあった。たまに中谷防衛大臣が言い間違える以外、安倍首相に従う人々は、個を殺し皆が同じことを言った。今思い出した。違和感があったシュプレヒコールの一つ。「へ理屈言うな」。それは言論の封殺だ。理屈を理屈で説得していく、そこに民主主義の可能性がある。「まともに答えろ」というべきなのだ。与党の言っているのは、現実の脅威のみだった。それに対して、野党は、海外での武器使用の違法性、立憲主義の崩壊、世論の反対、アメリカの戦争に巻き込まれる危険性、報復テロによる危機の増大、自衛隊員のリスク増大、湾岸戦争PKO派遣の総括の不備、権力の横暴、そして殺し殺されあう関係になることへの恐れなど、法の内容論、運営論、議事の運営論、さまざまな視点から異を唱えた。それらの質疑に対して与党は全て、現実の脅威のみで答えた。困れば、そうは思わない、そういう事実は確認していない、それのみであった。
 国会議事堂前にも様々な人がいる。無関心な人、嘘を教える人、誠実な人、遅れてくる人、飽きっぽい人、小泉の悪行をみんなの前で全部暴いてやると言う少しずれた人、自らの行動が敵に利用され運動を窮地に陥れることに気付かない人、私も含めそれぞれが自分は正しいと思って行動している。反対勢力はそれら個性的な人々を一つにまとめあげて票という形にしていかなければならない。今回皮肉なことに政権が我々に目覚めさせた政治意識を、日常化させることができるのかを突きつけられているのだ。
 帰りに寄った銀座4丁目交差点は歩行者天国だった。昨夜の国会議事堂前交差点の風景が浮かんでくる。3時を告げる鐘が響く銀座も、国会前で見た人波に匹敵する人が歩いている。しかしここでは歩行者が優先され、歩行者は車道を自由に歩き、簡単な柵が国会前とは90度違う方向にまばらに置いてあるだけで、警察官は見えない。まして灰色の窓のないバスは見えない。これが普通の姿なのだ。銀座のシンボルである時計店の中に入ると、入り口に飾ってあった200万円の時計が、安い部類であることを知った。文字盤がダイヤで光って時間が読みづらい。外に出ると暑かった。持ってきたジャケットは邪魔になっただけで、東京はまだ夏だった。群馬から来た彼が、館林の暑さは東京のヒートアイランド現象のとばっちりなのだと言っていたのを思い出す。
 来てみてわかることがある。新しく知り、気付き、考える。私がしていることは、すでにどこかにつながっている。誰かにつながっている。それが、群馬の彼が言ったように、自分と家族と人々の幸せにつながることを祈る。

        2015年9月20日

 

 多様性は大切だ。しかし、弱い。個々の価値観が違い、まとまり切れないからだ。独裁は強い。みんなが同じことを言うからだ。私が七年前に国会議事堂前で感じたことが、今世界で起こっている。独裁プーチンにどう立ち向かうのか。プーチンと同じことを言う軍隊やロシア国民とどう戦うのか。ウクライナを救うために、未来の世界のために、我々は小さな力を集結しなければならない。