maturimokei’s blog

俺たち妄想族

「羅生門論2」十一 教育出版「現代国語一」 昭和四八年

教育出版「現代国語一」 昭和四八年(1973)~五十年

 

 教育出版は昭和四八年に採録を始め、六三年まで続き、五年間休んだ後、平成六年から二五年まで連続で採録を続ける。

 主題は

「「下人の心理の推移を主題とし、あわせて生きんが為に、各人各様に持たざるを得ぬエゴイズムをあばいているものである」と、吉田精一氏(「芥川龍之介』(三省堂))は主題をとらえている。そして、さらに、のちには「熱烈な正義感に駆られるかと思うと、やがて冷いエゴイズムにとらわれる。前にも悪にも徹底し得ない不安定な人間の姿を、そこに見た。正義感とエゴイズムの葛藤のうちに、そのような人間の生き方がありとし、そこから下人のエゴイズムの合理性を自覚せしめている。ここにとらえられた下人の心の動きは、恐らく、芥川の眼に写った人間が人間である限り永遠なる本質であった。従って彼はこの人間性に対する最後的な救いや解決も与えていない。」と、のべている。

  羅生門の晩秋の雨の夕ぐれに、王朝末期の行きどころのない下人が、現代人的な心理と感覚をもって、こうした局面におかれたとすれば、どのように反応し行為するのであろうかという実験が、芥川的小宇宙で行なわれたとする見方もできるであろうし、「この雨の夜」と「この羅生門の上で」という条件がない限り進展しえない状況設定から、その状況下の人間の行為と心理を描きあげてみせたものととることもできるであろう。」(p391)

と書いている。前半が吉田氏の論の紹介で、後半が解説者の考えかと思われる。後半は芥川的小宇宙での「実験」という見方と、雨の夜の羅生門の上での人間の行為と心理という、主題の表現としてまとまりのないものが示されているが、これは後の「鑑賞」の章で説明が加えられている。

「(どの読者も)「この雨の夜に、この羅生門の上で、(死人の髪の毛を抜くということが)それだけですでに許すべからざる悪であった。」と、下人の立場から断定されると、それに引きこまれてしまうのである。「死人の髪の毛を抜く行為」が善悪であるのでなく、「この時」 「この場」が「許すべからざる悪」の断定の条件である。とすると、「きょうの空模様も少なからず、この平安朝の下人のSentimentalismeに影響した」と、作者自身が作中に顔を出して説明した意味が、単なる説明でないということになってくるのである。たしかに、時雨の宵というのは、下人のみならず誰でも愉快な気分にさせられるということは少ないであろうが、そうした天候季節を設定したことに、作者の意図、作為があったのである。こうした、時と場における人間の反応のしかたを描いてみせるところに、芥川の意図があったと考えられないことはない。それは、善や悪といった人間の倫理観の問題ではなく、この作中にもある、「勇気」といったもののように、ある場合には、善にも働き、ある時には、悪にも働くといった人間行為の契機といったもののあり方を、ある状況下において際だたせてみせようとしたものであるかもしれない、ということである。」(p400、傍線筆者)

 とある。文中の「善や悪といった人間の倫理観の問題ではなく」というのは、文脈から「エゴイズムの問題ではなく」と理解するのは間違いだろうか。解説者は吉田説を示しながらも、疑問を持ち、控えめに自論を述べたのではなかろうか。善にも悪にも働く人間行為の契機といったもののありかたを主題と考えていると言っているように私には見える。「主題は、人は契機によって善にも悪にも働くということだ。」こう言っているのではないのか。そうならば私は全面的に彼を支持する。

 実際私は授業をしていて、門の下での下人の心理、楼上での心理変化、それらを辿るのにどうしても時間がかかり、最後のエゴイズムとの関係があるとも思えず、統一感が感じられずいつもスッキリしない思いを抱いていた。しかし、天気に、時刻に、場所に、相手の風貌に、相手の行動に、相手の言葉に、人は左右される、と考えると、素晴らしい構成だし、単に人の言葉に動かされるのではなく、自らの言葉が自らを追い詰めるというオチまで用意すれば、完璧ではないか。このオチがなく、老婆とともに死人の着物を剥いだのであれば作品は締まりのないものになってしまう。

 振り返ってみれば、筑摩、旺文社、光村、教育出版、それぞれがエゴイズム論以外のものを示している。しかし、それはどこも吉田説の紹介の後である。論として出版しているか否かは立場の差となっているのだ。

「羅生門論2」十二 第一学習社「高等学校現代国語一」 昭和四八年(1973年)

第一学習社「高等学校現代国語一」 昭和四八年(1973年)~五十年版

 

 第一学習社は四八年から三年間、六年後の昭和五七年から平成二十五年まで連続で採録している。 

「来年度から高校国語に新設される科目「現代の国語」用に、現行シェア三位以下の第一学習社広島市)が作った教科書が、全国シェア16・9%をとり、現行最大手の東京書籍版を抑えて最多だったことが問題になった。」(朝日新聞2021/12/9)

文科省は「小説の入る余地はない」と説明してきたにもかかわらず、第一学習社が『羅生門』『夢十夜』など近現代の文学作品を多数載せたからである。ライバルである他社から「言っていたことと違う」との批判が高まっている。」(毎日新聞2021/9/23) 

と、一躍有名になった第一学習社であるが、幸田国広氏によると、昭和四八年は「羅生門」が採録率40%を記録した第一のピークであり、その時から第一学習社採録を始めている老舗と言える。

 検定問題は図らずも検定の一面を教えることとなった。平成十五年には100%採録を記録した定番「羅生門」をなぜ、他の会社は採録を見送ったのかという問題だ。文科省の説明を聞き、検定を通れないと教科書会社は判断したのだ。つまり、検定を通らない可能性が高い教材は採録しない、逆に言えば通る可能性がある、例えば過去に通っている教材は採録しやすいということだ。では、文科省の言うことと違う教材がなぜ検定を通ったのか。過去に通しているからだろう。もしかすれば、文科省の文学軽視の新方針への現場の反旗なのかもしれない。惰性か反旗か、私にはわからないが、次回の検定から「羅生門」が増えるのではないだろうか。

 本題の第一学習社の指導書に話を戻す。

 主題は、

 「一語で端的に表現するならば、「人間の持つエゴイズムの醜さ」と言うべきであろう。盗人になろうかと思っていたことも忘れて、老婆の嫌悪すべき行為に、激しい正義感を持つに至った下人ではあったが、生きるためにはしかたがないという老婆の言葉に、冷たいエゴイズムが首をもたげ、老婆の着物をはぎとってしまう下人の心理の推移を描きながら、生きるためのぎりぎりまで追いつめられた人間のあらわで、醜いエゴイズムの姿こそ、この作品の主題である。」(p100)

としている。吉田説である。「学習」に「四 作者は、「人間の心」をどのように考えているか、下人や老婆を中心に話し合ってみよう。」として、

  「この作品は老婆の悪業・告白に対する下人の心理の推移を主題とし、あわせて生きんがために、各人各様に侍たざるを得ぬエゴイズムをあばくのが主眼であろう。芥川はみずからの恋愛に当たって痛切に体験した、養父母や彼自身のエゴイズムの醜さと、しかし生きるためにはそれがいかんともしがたい事実であるという実感がこの作品を作らせた動機の一部であったに違いない。もし理想主義の作家であったら、下人が盗人になろうと思った心を、老婆の悪業の前に、翻然と忘れて義憤を感ずるところで結末とするか、あるいは悪心を捨て去らしめて終わりとするであろう。しかし作者は、激しい正義感に駆られるかと思うと、やがて冷たいエゴイズムにとらわれる、善悪いずれにも徹底し得ない不安定な人間の姿をそこにみたのである。正義感とエゴイズムの葛藤のうちに、人間の生き方がありと考え、下人のエゴイズムの合理性を自覚せしめている。彼がこの人間性に対する最後的な救いや解決を与えなかったのは、この下人の心の動きは、人間が人間である限り永遠なる本質であると考えていたからであろう。」(p109)

としている。吉田説そのものであるが、出典は書いていない。

 指導書のほとんどが、語句の解説に費やされ、鑑賞にはそれほど目を引くようなことは書かれていない。

 

「羅生門論2」十四 明治書院 昭和五一年(1976年)

明治書院 昭和五一年(1976年)〜五四年

 

 明治書院の教科書は、既に昭和三二年版を取り上げた。日本で最初の「羅生門」採用の教科書であり、吉田精一氏が選んだ高校生のレポートと、氏の批評も掲載されたものだった。教科書図書館に指導書が保存されていなかったが、吉田説が色濃いものであろうと想像していたが、五一年版を見ると想像は間違っていないと確信が持てた。明治書院三省堂とともに最も長く「羅生門」の採録を続けている。ちなみに吉田氏の「芥川竜之介」が昭和十七年に三省堂から出されたことはすでに述べた。

 参考文献には様々な人の名が見えるが、指導書の内容には反映していない。解説内容はほとんどが吉田説である。「「羅生門」の評価の変遷」と章立てしても(p144)、吉田氏と三好行雄氏の二人の説しか示されていない。他の教科書が、岩上説、宇野説、福田説、駒沢説、小堀説、などを紹介しているのに、たった二人は変遷といえる数ではない。しかも三好説は「この小説の主題が、下人の心理の推移を写しながら人間のエゴイズムの様態をあばくことにあった、という従来の指摘は正しいであろう。」とし、「生の我執は既に罪ではなく、人間存在のまぬがれがたい事実にほかならぬ」とエゴイズムは個人ではなく、人間存在の問題だとしているに過ぎない。変遷と呼べるものではない。

 教科書の【研究】の五の「作品の主題を二百字程度にまとめてみよう。」の解答例として、

 「人間は各自、利己主義者(エゴイスト)である。この場合で言えば、老婆は生きるために死人の毛を技いている。その髪の毛を抜かれている女も、蛇を切って干して、魚の干物だと言って売っていた。下人も盗人にならなければ飢え死にするので老婆の着物をはぎとってしまう。このように人間が極限状況に置かれると、ふだん隠れているエゴが露骨に出る。作者はそうした、各人の内に潜むエゴイズムをあばいてみせようとした。」

としている。さらに「参考として生徒に聞かせるのもよい。」として、吉田氏の根拠としている、「エゴイズムをはなれた愛があるかどうか。」から始まる例の書簡を示し、「芥川は大正三年夏、初恋を経験したが、芥川家の反対にあって、翌年四月ごろ破れた。それも関係しているので、生徒に話すと興味を持つと思われる。」としている。 

 最初から最後まで吉田説である。

「羅生門論2」十三 光村図書出版 昭和五一年(1976)~五三年

光村図書出版 昭和五一年(1976)~五三年

 

 光村は五七年から三年間、再度採用する。計六年間となる。これは他の会社と比較すると短い方になる。 

 

 主題として

 「生きるためには盗人となるよりしかたがないと思いながら、その決心もつかずにいる下人が、死人の髪を抜く老婆を見て、一時は斬って捨てようという義憤に燃えるが、これも生きるがためのしかたがない所業だという老婆の言を聞き、彼もまた決然とその老婆の衣服を剥ぎ取るに至る、この下人の心理の推移を追求しつつ、生きるためのエゴイズムの実態をあばくのが、この作品の主題となっている。」(p65)

としている。これは吉田精一の「この下人の心理の推移を主題とし、あはせて生きんが為に、各人各様に持たざるを得ぬエゴイズムをあばいてゐるものである。」を表現もほぼ踏襲したものだ。「心理の推移を主題とし」はわかりにくい。心理は推移するものだ、という意味なら、小説は心理の推移を描いた物が圧倒的に多く果たして「羅生門」の主題と言えるのか疑問が生まれる。むしろ意志を変えない人物こそ主題になりうるが、揺れ動く心理が物語を支えるのは言うまでもない。

鑑賞として、

 「所々に青年らしいペダンチックな言辞を振りまきつつ、少しシニカルで、ニヒリステックなポーズをとることによって、当世風な味つけとするが、眼目は様式美であることを片時も忘れていない。」

と、主題よりも様式に「羅生門」の特徴があると述べているのは注目に値する。また、日本文学研究資料叢書中の「芥川龍之介の出発」という論文の中の小堀桂一郎氏の説を紹介し

「鷗外訳の諸国物語中の『橋の下』の主題が換骨奪胎されてこの作品に埋め込まれているもようである。」

と指摘している。『橋の下』との関連については、後で資料を添えて検証されている。また解説者は、ロダンの『地獄の門』の一部として制作された「考える人」と石段の上に腰をおろした下人のポーズとの共通点、さらに『羅生門』という題名にダンテの神曲の地獄の入り口の「この門を過ぐる者、一切の望みを捨てよ」の一節を見ている。言われてみれば、面白い指摘だと私も思う。パロディーは芥川が当時書こうとした「愉快な小説」に矛盾しないからである。

 『あの頃の自分のこと』については

「問題は恋愛や気の沈みになく、「愉快な小説」にある。『羅生門』がなぜ愉快な小説かと問う者には、知性の職人としての芥川の心意気がわからないということになる。こんな短い小説にこれだけの内容を盛り込み、しかもどこにも破綻を見せないできばえなのだから、書く間は大いに愉快であったにちがいない。いうなれば読者の鼻をあかす楽しみであり、山東京伝なら「一々御見物にはわかりかねます。」とただし書きをつけて悦に入るところなのだろう。」(p66)

と、様式美との関わりで述べている。しかも読者に「わかりかねる」ことを目論んでいたと言うのである。傾聴すべき意見だ。

「引き抜いた生肝を読者にぶつけることをもって迫力とする類の文学とは、つまるところ境を異にするところで芥川の文学は発生していたのだと思わざるを得ない。文学にもいろいろあって、楽しみ方もいろいろあるという時代に、今がなりつつあるのかどうかはさだかでないが、時間の経過に耐えて、文学作品が生き延びる一つの要素として、様式美があることを芥川の作品が示しているのではあるまいか。」

文学史からのアプローチでは、時代とは「境を異にする」と、吉田氏とは違う見解を示している。

 老婆の理屈について

「体験に根ざした確かさ、強靭さがあり、その点で説得力がある。それが下人を決定的に動かしたのである。」(p72)

として、下人が老婆の考えに同調したとしている。

「下人の心に起こる是非善悪の判断は、自己の主体的な、論理的または倫理的基準によるのではなく、外部からの刺激、他人の論理によってどうにでも変わり得るものとして描かれている。ここで下人の置かれている状況は一種の極限状況であるにもかかわらず、奇怪な老婆の言動に触発されないかぎりは、生と死、善と悪いずれを選ぶ勇気も決断力もわいてこない。下人を黒洞々たる闇の中に追い立てた勇気は、老婆のもつ論理に動かされて生じたものである。だから、盗人となった下人の行く手に何が待ち構えているかによって、彼の勇気は容易に変質したり消滅したりすることが予想される。」(p75)

としている。私は、他者に動かされる人間という把握に同意するが、解説者が勇気を文字通り勇気ととったことには同意しかねる。芥川が勇気という言葉に皮肉を込めて使う例が「羅生門」発表時期に他に見受けられる(拙著「羅生門論」勇気について参照)からである。また、「羅生門」が「そういう問題はすべて捨象されたところに設定されているのであるが」という条件付きで、

「社会の最下層にあって、上層階級の権力や財力に全面的に隷属することを強いられて生きてきた人間の悲しさがそこにはある。」

と付け加えている。

 

 「羅生門」を鷗外訳の「橋の下」と比較して、

「その内面的構成を深く「橋の下」に負うている事情は明らかに看取できよう。」

と、場所が一定して移動しない、時間が数刻で終わる、筋が単一である、登場人物が二人で無名で、危機に立つ人物と示唆を与える人物である、という点を挙げている。また、結果が「橋の下」と「羅生門」とでは逆転していることをパロディー性と見ている。付け加えるなら、私は「橋の下」では、一本腕の最後の「いずれ四文もしないガラス玉か何かだろう。」(青空文庫より)の言葉がキーだと思っている。「世界に二つとない正真正銘の青金剛石」だという爺さんの言葉の真偽はわからない。おそらくガラス玉なのだろう。しかし、万に一つブルーダイヤモンドである可能性を残すところにこの作品の面白さがある。自分を納得させる合理化は、真実とは別のところでなされる。もし、芥川が「橋の下」から影響を受けたというなら、下人の「では、己が引剥をしようと恨むまいな。」も合理化であり、真実とは別のところでなされたと見るべきなのだ。

 

「読者は時間と空間とを超越した地点、たとえてみれば神の高みに立って小説世界の中をのぞきこむ。このような「安全」な地点こそ、実は本来的に小説読者のための視点であろう。これは小説が素朴実在論的なリアリズム文学の平面に立って作られているかぎり到達することのできない、物語というものに特有の視点である。青年作家芥川龍之介は「橋の下」の一篇を読んだ時、その炯眼を以てこのような物語の構造を見抜いたのではなかろうか。明治四十年代に文学の「本道」として確立したいわゆる風俗小説とは全然別の小説の方法がそこにあることを直観的にさとったのではなかろうか。」(p78)

「彼は「橋の下」を完全に消化し、その小説作法を自家薬龍中のものとした」

と、前時代の小説とは違う小説の方法で書かれた可能性を示している。

 

 以上まとめると、主題としては最初吉田説を踏襲したものを示すが、「鷗外訳の諸国物語中の『橋の下』の主題が換骨奪胎されてこの作品に埋め込まれているもようである。」という小堀氏の説の引用は明らかに矛盾している。『橋の下』は、行動を起こさない理由の合理化が主題だろうが、エゴイズムに関係しているとは全く思えないからだ。この解説には吉田説を理解しようと努めた形跡も見られない。吉田精一の名は、参考文献には出てくるが、解説文中には出てこない。出てくるのは小堀桂一郎氏の名であり、むしろ解説の大半は、様式美に力が注がれる。そして時代とは「境を異にする」小説だったとしている。「ここでは、テーマもまたストーリー展開のうえの〃相対的な要素〃以上のものではない。」というのが、解説者の真に言いたいことだろう。傾聴に値すべきだ。

 小説は「引き抜いた生肝を読者にぶつけること」を目的とすると固定的に考えるから、「極限状況におけるエゴイズム」などの言葉が出てきたのでは無かろうか。自死からの逆算もあったように思う。今ならナンセンスなどは当時の尺度で測れない価値観だろう。生まれるのが早すぎたために、誤解されて貼られた「羅生門」のレッテル。それがエゴイズムだと私は思う。

 では、相対的な要素に過ぎないエゴズムではなく、ストーリー展開によって生まれてくる意味は「羅生門」に存在するのか。パラドクスを扱うことが多い芥川が、主人公を下人から内供、五位、カンダタ、良秀に変えたのは意味がある。なぜなら、為手より受手にこそパラドクスの切れ味はあるからだ。受け手であるから、論理という個人を超えたものからの支配が強く迫る。下人は為手である。そして、受け手を支配する為手の論理が

moral”(at least, “moral of philistine")is the production of occasional feeling or emotion which is also the production of occasional situation.」(「defence for “rasho-mon”芥川龍之介全集』第二十三巻

だと芥川は言っているのである。

「羅生門論2」十 旺文社昭和四八年(1973)

「高等学校現代国語1」旺文社昭和四八年(1973)~五〇年

 旺文社は昭和四八年から平成五年(1993)まで二十年間連続して採用する。最初の指導書を見てみよう。

 「投網」と「羅生門」を取り上げた「単元の構成」の中で、

「(「投網」との※筆者注)共通性に注意してほしい。それは青年の生き方の問題を提起しているという点である。「羅生門」の、右のほおに大きなにきびをもった下人は、まさしく青年であり、この下人は現代の青年に共通するエゴイズムの大問題を、身にあまる重さでかかえこんでいる。」(p67)

と、「羅生門」は、青年の生き方の問題を提起しているとし、エゴイズムが現代の青年に共通するとしている。

 主題については、

平安時代の一時期の荒廃した都を象徴する羅生門を舞台に、職を失った若い下人が示す人間としての極限の心理の推移と、それによって表わされたひとつの生の軌跡が主題。」(p78)

だとしている。吉田精一の「この下人の心理の推移を主題とし、あわせて生きんがために、各人各様に持たざるを得ぬエゴイズムをあばいているものである。」を踏襲していると思われるが、「極限の心理の推移」と「生の軌跡」というような、多くの小説に言える、抽象的な表現で果たして良いのか、私は疑問に思う。その解説として、

「生きるか死ぬかという極限の世界で、人間として当然の正義感も否定され、悪を行なう以外には生きる方法がない。そういう状況で露呈される人間の生の暗さを背景に、ひとつの生の選択がなされる経緯をおさえたい。また主人公が青年固有の心情によって彩られていることにも注目したい。なお、「羅生門」の魅力はこうした主題だけにあるのではなく、羅生門という舞台のもつ怪奇な雰囲気の描写にあることにも注意したい。(p78)」

としている。人間の生の暗さと、青年固有の心情として説明し、舞台の怪奇な雰囲気は主題ではないが魅力の要素であるというのだ。

 また「下人の心理」の項に、

「そういう知的な構成は、吉田精一著『近代文学鑑賞講座・芥川龍之介』の当該項で静と動の対比として説かれている」(p88)」

と指摘している。この表現では吉田精一の説のように見えるが、「静と動の対比」は、「レポートの書き方」(至文堂1952)の高校生のレポート中にあったものである。確認すると、「近代文学鑑賞講座11」(角川書店1958p40)に「私が、以前ある著書に紹介した一学生のきわめてすぐれたレポートがあるので、その一部を引用して考察に代えたい。」とあった。指導書は続けて、

「より重要なのは、この部分で明示されているように、人間そのものの持つエゴイズム、存在の暗さなのであろう。(この点で、あとで触れる老婆の論理は彼の中にも潜んでいるのである)今、一つの点は、この下人の心理の推移自体が問題なのではなくて、そうした揺れ動く心理の背後に、人間というものが人の思い込んでいるほど確固たる存在なのではなく、きわめて不安定な存在だという作者の感覚が浮かびあがってくることである。」(p88)

と、エゴイズムが明示され、人間というものがきわめて不安定な存在だという芥川の感覚があると指摘している。後者の読みを私も支持するが、「不安定な存在」論はこの後姿を消し、類型的な「青年論」と、「エゴイズム論」およびその内在する結果への葛藤に傾いていく。私にはこの解説者が、吉田精一のエゴイズム論を自分なりに理解しようとして苦慮しているように思える。

「もう一つ押えておきたいのは、下人の心理が、人間固有の不安定さを示すとともに、青年特有の、言うならば独善的なロマンティシズムを示していることである。下人は老婆の醜行を目撃して、「老婆に対する激しい憎悪」を覚えていくが、それがいつしか「あらゆる悪に対する反感」にすり変わっていく。この場合の「あらゆる悪」は、きわめて不分明な措定で、下人自身それについて問いつめられれば、おそらく答えに窮するであろう。だが、彼の中には、「あらゆる悪」ということばで呼んでみたい、壮大な悪、実体的な悪そのものへの怖い期待が存在する。それは、その対極に位する(と夢想される)至高な善美への期待と表裏をなす。このようなきわめて主観的で感性的な善感への仰望は、人間の人生へかける夢の大きさに比例し、そういう夢は、まさに青年の特権であろう。」

「悪への反感から一挙に正義派に転身するありようは、また、青年客気の然らしむるところと理解できるし、同時にこれは、芥川の関心の所在を鋭く示す徴表でもあろう。ほどなく下人は、自らのとりひしいだ悪が、きわめて貧しげで下世話な所業にすぎず、自らが行きつもどりつした課題に隣りあったものであることを知り、幻滅に追い込まれる。下人の興奮は、一場のひとり相撲にすぎなかったのであり、下人のこの経験は、彼を大人の世界へいざなう一階梯となる。「羅生門」にこのような、人生へかけた夢の幻滅、青春への幻滅の主題を読む論調は従来ないが、同時期に書かれた「老年」「ひょっとこ」などに共通する幻滅の主題を思うとき、「羅生門」にこのような理解を加えるのは失当でないと思われる。」(p89)

というように、青年と大人が別物のような理解のもとに「人生へかけた夢の幻滅、青春への幻滅」といった独自の論が進められている。解説者は、青年というものは理想主義で、下人も青年だから理想主義なのだと考えているように私には思える。また、「老年」「ひょっとこ」が幻滅の主題だというのは誤読だ。「老年」は一生を放蕩と遊芸とに費した老人の話で、彼「房さん」は身上を潰しても人生になんの悔いも感じていない。一人部屋で、猫相手に謡をする。「雪はやむけしきもない。」の最後の言葉が示すように、好きな芸事をやめるとは思えない。どこに幻滅があるのか。「ひょっとこ」は飲んでいつものように踊っていて脳溢血で死ぬ男の話だ。彼は酒によって人格が変わる。どちらの自分が本当の自分かわからない。これは「羅生門」に通ずるものがあると私は思う。しかしどこに幻滅があるのか。したがって、演繹すれば「羅生門」が幻滅であるわけがない。

 この後老婆の論理について、

「岩上順一に興味深い説がある」

「簡単に言いなおせば、生きるためにはすべてが許される、ということにほかならない。」

「老婆の論理はわれわれに決して無縁ではない。われわれは同じ論理を暗々にでも選択して生きている場合が多いのである。」(p90)

とする。岩上順一の論は、吉田精一平岡敏夫も相手にしていない考えで、私も「羅生門」とは無関係だと思う。ただ岩上を擁護すれば、彼は「かかるアナルヒスムは、それ自身の論理によってそれ自らを否定せざるを得ないではないかと芥川は考えた。」(「歴史文学論」中央公論、昭和17)とまで書いている。その資料を巻末に載せているのに、ここでは前半だけしか抜粋しない指導書の解説者は抜粋の客観性を欠くし、その結果この後、解説者自らが混乱を続けていく。比喩について川崎寿彦著『分析批評入門』を引き、

「老婆の生が、人間というよりは動物の境涯と同じ地点にまで落ちてしまっていることが、あるいはここに暗示されているのかもしれない。ともかく、老婆の論理にわれわれは従いたくない」(p90)

と、急に老婆と「われわれ」は距離を置く。再び川崎寿彦氏の指摘を引き、

「老婆は自身の論理によって敗れ、破滅する。」

再び、

「我々が生きることは、けっして悪と無関係ではありえない。我々はからすやさると同様に生命を与えられ、それを損ねずに守りとおして行こうとする本能を賦与されている。我々のエゴイズムの根源はそこにあり、時として人間が動物と同じ境遇に堕ちるのも、生きるものの宿命として止むをえぬことであろう。」

と言うかと思えば、

「といって、我々の社会がまったく悪に支配されているということもできない。」

と言い、下人のように同じところを何度もぐるぐる低徊した挙句、最終的に、

「人間社会が、異常時に、その実相をさらけ出す。若さゆえに、純朴な理想主義を抱懐する下人は、いまようやく、その夢想から醒める時を迎えたのである。言うならば、作者に一歩おくれて、人生行路をたどっていた下人が、老婆の論理にふれて、はじめて作者と並び立つところに到違したのである。」

「こういう暗い世界、虚無の潜む世界で、芥川は自分に生きよと言いきかせたかったのかもしれない。」(p91)

とやっと主題を表明したかと思うと

「そのようにして生きていった果てに一体何があるのか。」

とたじろぐ。それでは社会のためにはならないと解説者が思ったからだろう。ならば、なぜこんなアナーキーな作品を「青年の生き方の問題を提起している」として、高校一年生に学習させるのか、そこをこそ問うべきであった。現実を知ることは、未来を変える可能性を持つのであるが、現実の分析と理想の探究は次元の違うものであり、分けて考えるべきなのだ。だからこそ、まず目の前の作品の分析を虚心坦懐に行わなければならないのである。しかし、指導書の文体が示すように、解説者は自分の持つロマンチズムを芥川と下人に投影しているに過ぎない。

 

テスト問題の例が載っている。以下に示す。

〔三〕 発展問題(記述・論述式問題を含む) 〈計 25点〉

  次の文は、吉田精一氏の「羅生門」鑑賞の一部で、その著「芥川龍之介の人と作品」より抄出したものである。よく読んで後の設問に答えよ。

 

 作者(龍之介)は単純な原文の筋に、近代的な味を加え、盗人の代りに、主家から暇を出されて生活難に苦しむ下人を主人公にした。

 (中略)この下人のAを主題とし、あわせて、生きんがために各人各様に持たざるを得ぬBをあばくのがこの作の主眼であったのだろう。思うに、彼がみずからの恋愛に当たって痛切に体験した、養父母や彼自身のBの醜さと、醜いながらも生きんがためにはそれがいかんともすることのできない事実であるという実感がこの作をなした動機の一部であったに相違ない。もし理想主義の作家であったならば、下人が盗人となろうと思った心を、嫗の醜い行為の前に、翻然と忘れて義憤を発する所で巻をとじるか、あるいはそうした悪心を捨て去らしめて結論するであろう。しかし龍之介はかえって熱烈な正義感に駆られるかと思うと、やがて冷いBにとらわれる、善にも悪にも徹底し得ない不安定な人間の姿を、そこに見た。正義感とBの葛藤のうちに、そのような人間の生き方がありとし、そこから下人のエゴイズムの合理性を自覚せしめている。ここにとらえられた下人の心理の推移は、恐らく芥川の眼に写った人間が人間である限り永遠なる本質であった。したがって彼はこの人間性に対する最終的な救いや解決も与えていない。一番最後に「下人の行方は、誰も知らない」と言っているだけである。(初めて発表された時には、最後の一行はこれとちがい、「下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった。」とあった。)この人間に対するC感が、やがて後年の彼を自殺に導いたと見られないこともない。

 問一 文中の  ABに、文中に用いられた語句を選んで、各々適切に補え。                  〈4点〉

問二 文中の  Cに適切な漢字二字の語を入れよ。〈2点〉

問三 、問四 (略)

問五 ―線3「そのような人間の生き方」とは、前のどういうことをさすか。                  〈4点〉

問六(略)

  

とある。吉田氏の論を答えさせるものだ。しかし、よく見ると生きんがためにはそれがいかんともすることのできない事実であるという実感がこの作をなした動機の一部」(傍線筆者)と控えめにしか吉田氏は言っていない。さらに、吉田氏は芥川の『あの頃の自分のこと』に、

「自分は半年ばかり前から悪くこだはつた恋愛問題の影響で、独りになると気が沈んだから、その反対になる可く現状を懸け離れた、なる可く愉快な小説が書きたかった。そこでとりあへず先、今昔物語から材料を取つて、この二つの短編を書いた。書いたと云つても発表したのは「羅生門」だけで」

「この作の作意は、前にあげたやうに、失恋の気分を転換する意味で「現状とかけ離れた、なるべく愉快な小説」といふにあつたらう。しかし、舞台を現代に仰がずに平安朝の古にとつたことは、元来の彼の性情なり趣味なりにもとづくものであって、失恋による現実嫌悪や逃避の要求は、本来の気持ちを一層強く、一層直接に動かしたにすぎない」(「芥川竜之介三省堂1942p68)

と書いている。ここで言う「本来の気持ち」とは、文脈を辿れば「元来の彼の性情なり趣味」となる。失恋の気分を転換する思いが、彼が本来求めている異常な物語を書かせた、と言っているにすぎない。これが、エゴイズムが主題である証明だと、とても私には読めないのである。ではどこからエゴイズムは出てきたのか。吉田氏は芥川が新進作家として世に出た時代を、

「もつと人生の複雑性を認識し、単純な善悪観念を再認識して、個人の意識や生活をそれぞれその特性に即して理解することを、自由主義のより徹底した、しかしより限定された思想を、次の世代は希求したのである。龍之介等の出発した思想的地盤はこのやうなものであった。」(芥川龍之介研究・河出書房1942p25)

「個性に徹して、その底に個々人それぞれの自我主義、利己主義をつかまうとする彼らの方向は、同じ場所に普遍的人間性を見ようとする前時代の思想と正に反対の方角を指すものだつたのである。」(同)

と書いている。「彼ら」に注目したい。生い立ち、時代背景、交友関係を元に作家を理解しようとしている。それはその時代の普通のことだったろうし、もちろんそれらが重要な資料になることを私は否定しない。しかし、人はその内部に多様なものを抱えている。それを「彼ら」と、一つの法則で割り切って良いものでない。白樺派の理想主義に飽きたらぬからと言って、常に利己主義の話を書くとは限らないのだ。「おれもそうしなければ、飢え死にをする体なのだ。」確かにこれだけ見れば利己的な言葉だ。しかし言葉はどのような文脈で発せられたのかを考えるべきだ。直前に「きっとそうか。ならば恨むまいな」がある。条件付きなのだ。文脈を無視して意味は存在しない。

 

 

テスト問題が生徒に与える影響は大きい。生徒にとって正解は真理だからである。

ロシア軍と連続強盗事件実行犯

彼らに共通点は多い。まず、指示役がいること。情報収集、兵站、蛮行部隊に別れていること。報酬が保証され、逃げれば家族に危害が及ぶこと。彼らは、指示されたことをしただけだから、罪の意識は薄い。自分が考えたことではないのだ。そのようにするしか仕方がなかったのだ。

指示されたことをするのは悪ではない。だから、書類を捨てることや、改竄することなんて、人を殺すのではないから、もっと簡単だ。

兵士や実行犯は私たちの周りにたくさんいる。

 

 

「羅生門論2」九 昭和45年筑摩書房

現代国語Ⅰ 二訂版 教授資料」(筑摩書房) 昭和四五(1970)年~四七年(1972)

 

 筑摩書房は昭和四二年の改訂版から五九年まで十八年間に渡り「羅生門」を採用している。二訂版の「羅生門」の指導書は平岡敏夫氏によるものである。おそらく改訂版から使われ、筑摩書房の「羅生門」の最初のものと思われる。氏は、ウィキペディアによると1956年に東京教育大学大学院入学、吉田精一に師事、1982年に筑波大学文学博士号を取得している。エゴイズムについて吉田精一氏の論を紹介しているが、平岡氏は主題をエゴイズムとする考えに疑問を呈している。宇野浩二福田恒存三好行雄駒尺喜美の説をひき、最後に平岡氏の意見を述べている。また、「羅生門」の表現に関しても両手をあげて絶賛するのではなく、批評を加えている。以下抜粋する。

 

(面皰について)描写をいきいきしたリアルなものにしている」(『近代文学註釈体系芥川龍之介』)にせよ、昨日や今日ではなく、四、五日前に暇を出され、飢え死にをするか盗人になるかというぎりぎりの選択をせまられている下人であってみれぱ、このような精力的な感じのするイメージでは困るのではないか、という疑問も生じよう。宇野浩二ではないが、それこそ「上手の手から水が漏る」ということにもなる。さきの「きりぎりす」にしても、技巧を凝らしてのことであることはむろんだが、そのために一種のそらぞらしさが感じられてくるとしたらマイナスということになろう。(p82)

 

しかし、老婆が髪の毛を抜きはじめるにしたがって、下人の心には老婆に対する憎悪・反感が生じてきた。作者は、この「老婆に対する憎悪」を「あらゆる悪に対する反感」というふうに一般化してしまい、「なんの未練もなく、飢え死にを選んだことであろう。」(四一13)とする。さすがに「やや強引である」(前掲『近代文学註釈体系芥川龍之介』)とされるが、いかにもこれは極端である。今まで述べられてきた極限状況における下人にあっては、老婆が死人の髪の毛を抜くということに対して、これほどの「悪を憎む心」を持ち得るか、正義感・人間主義を抱き得るかは大いに疑問だろう。ここには明らかに意識的になされた誇張があるように思う。下人の場合、気分的、情緒的である上に、一貫した信念に基づいているのでもないから、極端から極端にうつり変わることになりやすい。「誇張」はそのためではないか。「下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くということが、それだけですでに許すべからざる悪であった。」(同・17)と言う。「なぜ老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。したがって、合理的には、それらを善悪のいずれにかたづけてよいか知らなかった。」(同16)のであれば、「許すべからざる悪」だと断定するのは合理的判断ではなく、気分的、情緒的なものであり、「この雨の夜に、この羅生門の上で、」という条件が付加されていた理由もわかるのである。「下人の sentimentalismに影響した」(三八・2)と言ってもよい。(p84)

 

そしてその失望と同時に、またさきの憎悪が侮蔑とともに生じてくるのだが、失望がなければそうならないはずで、下人の「悪を憎む心」が気分的、情緒的なものに基づくことはここでも明らかである。(p85)

 

たしかに老婆の論理をさか手にとったわけだが、それは下人の内部においては何ら論理性を有してはいない。老婆の平凡な答えに失望して憎悪と侮蔑を生じるということがなければ、この老婆の論理をさか手にとるということはしなかったかも知れないのである。下人は、老婆の論理をただちに自己の論理としなければならぬ理由はなかった。ただ、相手の論理を逆用することで引剥の口実としたのみである。(p85)

 

作品の主題 

 ここでこの小説の主題をめぐって二、三の意見をあげておきたい。「この下人の心理の推移を主題とし、あはせて生きんが為に、各人各様に持たざるを得ぬエゴイズムをあばいてゐるものである。」というのが昭和十七年の『芥川龍之介』(三省堂)以来変わらぬ吉田精一氏の把握であり、スタンダードなものとされている。主題は「下人の心理の推移」であり、それを通して人間の持つエゴイズムをあばいたというのである。宇野浩二は、筋だけ抜き出せば実にはっきりしたテーマ小説であるとし、「それで、当時の或る批評家は、この小説を『生きんがためのエゴイズムの無慈悲』を刳り出したものである、と云ひ、『生きんがための悲哀』を描いたものである、などと評してゐる。しかし、これは、唯物論にかぶれた評論家と概念的な見方しか出来ない批評家の云ふことであって、私などは、この小説をよんで、さういふ考へは殆んど全く浮かばなかった。」と言う。芥川の小説からテーマを概念的に抽き出す傾向については福田恒存氏も次のように警告している。

 「初期の作品を見てもすぐわかることは、人間の善良さとその醜悪さとを両方同時に見てとる作者の眼であります。ぼくが読者諸君にお願ひするのは、さういふ龍之介の心を味っていただきたいといふ一事につきます。『羅生門』や『偸盗』に人間のエゴイズムを読みとつてみてもはじまりません。(中略)多くの芥川龍之介解説は作品からこの種の主題の抽出をおこなって能事をはれりとする。さういふ感心のしかたをするからこそ、また逆に龍之介の文学を、浅薄な理知主義あるひは懐疑主義として軽蔑するひとたちも出てくるのです」(「芥川龍之介」)。(p86)

 

さきの吉田説を発展させたものと見られる三好行雄氏の見解では、この点がすっきりしていて、「彼ら(下人・老婆)は生きるためには仕方のない悪のなかでおたがいの悪をゆるしあった。それは人間の名において人間のモラルを否定し、あるいは否定することを許容した世界である。エゴイズムをこのような形でとらえるかぎり、それはいかなる救済も拒絶する。」(『現代日本文学大事典』)とあり、エゴイズム=悪、「人間に対する絶望感」としぼられて明快である。しかし、下人の「善」のほうはどうなるのか。吉田氏が「善にも悪にも徹底し得ない不安定な人間」というのは善をも意識しているからだが、それなら「エゴイズムの合理性の自覚」という点、つまり「悪」のほうにのみしぼってしまうことはできまい。「人間の善良さとその醜悪さとを両方同時に見てとる作者の眼」(福田)、「『善にも悪にも徹底し得ない不安定な人間の姿』を見ているのではなく、善と悪とを同時に併存させているところの矛盾体である人間」(駒尺喜美芥川龍之介論」)という見方とはどう違うか。(p87)

 

芥川は、「自分は半年ばかり前から悪くこだはつた恋愛問題の影響で、独りになると気が沈んだから、その反対になる可く現状を懸け娘れた、なる可く愉快な小説が書きたかった。」(別稿『あの頃の自分の事』)と言っており、これを引きつつ駒尺氏は、「徹底し得ないとか、不安定とかいう彼の胸の淋しさや、暗い眼つきはない」「当時の心の痛みや心情とはかけはなれたもの」「いささか得意でもあった、人間内部における矛盾の併存という命題によってかかれている」と主張する。エゴイズムの合理性を「愉快」になど書けるはずはなかったというわけである。(P87)

 

下人の行為に大正初年のアナーキズムの論理を見出し、経済的困窮を理由にして、暴力的に、非合法的に、他人からその所有物を強奪しようとする、その論理は、論理的に破滅せざるを得ない、という主題をひき出した岩上順一の見解(『歴史文学論』)もあるが、もはやそれにはふれまい。(P87)

 

昔や異常な事件はあるテーマ表現のための手段ばかりでなく、この「異常なる物」自体への興味、「昔其ものの美しさ」自体への傾倒としても意味を持っているのである。作品の主題を、悪にしぼりエゴイズムをひき出すか、あるいは人間における善悪矛盾の併存を見出すか、いずれにしてもこういう主題をうち出すために「異常な事件」そして「昔」が必要であるとせねばならぬほどに、芥川にとっては「昔」「異常な事件」が魅力的なものだったのである。諸家が抽出する主題なるものは、作者の概念的思考、平易に言えば理屈であって、それは作者の全存在をかけた深刻なものと見ることはできず、作者はむしろ失恋の傷手をいやすべく、「なる可く現状を懸け離れた、なる可く愉快な小説」の世界、言い換えれば、救いとして求めた情緒・雰囲気の世界の形象に自己をうちこんでいるというべきである。読者は、飢え死にをするか盗人になるかという、真にぎりぎりの極限に置かれた人間を、下人に見出す、あるいは自己自身も立たせられる、というふうにはいかない。これは、極限に下人を置くとしながらも、作者自身にその真の自覚はないからで、だから、下人は、読者をして他人事と思わせぬほどの必死さを持たず、老婆に対する反感が気分・情緒に支配され、「なんの未練もなく、飢え死にを選んだことであろう。」などと「やや強引である」どころか、四、五日食うや食わずにいたぎりぎりの人間としてのリアリティーを持たぬ心理に終始し、にきびなどをつぶしたりしているのである。作者がやや得意になってうち出した下人の心理の推移―老婆の論理を遂に自己の論理とするなどの心理は、枠組みであって、これが作者が全存在をかけて言いたかったこと、あるいは読者をして感動せしめることではあるまい。この作品の魅力は、この平凡な、どこか憎めない、しかも雨の夜の羅生門という舞台がその“sentimentalism " に影響するような男を視点に、髪を抜く妖しい老婆や死体を配しての、羅生門がかもし出す、王朝的、というよりかなりエキゾチックな雰囲気の世界それ自体にあると言えるのではないか。ここではむしろ羅生門が主役であろう。題名が「羅生門」となっているのもゆえなきことではない。(p90)

 

付記 以上試みた作品鑑賞は、その一例であって、生徒の主体的鑑賞を、具体的な文脈・場面をおさえることで成立せしめるための一参考にすぎないことは言うまでもない。(平岡敏夫

 

 平岡氏は、下人を善と悪とを同時に併存させているものとして捉える読み方を支持している。エゴイズムという悪のほうにのみしぼってしまうことはできまいと言うのだ。私もその通りだと思う。このことは、私が拙著「羅生門論」で指摘した、「自分は善と悪とが相反的にならず相関的になってゐるやうな気がす 性癖と教育との為なるべし(略)ボオドレエルの散文詩を読んで最もなつかしきは、悪の讃美にあらず 彼の善に対する憧憬なり 遠慮なく云へば善悪一如のものを自分は見ているような気がする也」と、書簡で芥川が善悪の相関を「性癖」と「教育」の為と書き、内在するものとして認めているのを、吉田は「負はされてゐる罪を通じてしか、神を認識しえない近代人の心情の懺悔であつた。醜を愛し罪を愛する心は、神への切ない愛慕であつた。しかも、常に悪との対話を試みることによつて、超自然の光明を欣求したのである。龍之介が呼んで善悪一如のものといつたのは、この間の消息を看破したものであつたらう」と、芥川が悪を感じることでしか善が認識できないと言っていると解釈したのと似ている。

 平岡氏は、制作時期から、芥川の「なる可く愉快な小説」の一つではないかと考え、それもエゴイズムを否定する論拠としている。平岡氏は、下人の行動が「一貫した信念に基づいているのでもないから、極端から極端にうつり変わることになりやすい。「誇張」はそのためではないか。」としているが、私は「誇張」は「愉快な小説」の技巧ではないかと考えている。

 もう一つ、「異常なる物自体への興味」を平岡氏はあげているが、主題とするかに関しては言葉を濁した感がある。おそらく概念として、「人間における善悪矛盾の併存」は新しさがあり、哲学的であるが、「異常なる物自体への興味」は、やや軽薄な響きがあり、主題としての物足りなさを説き伏せるまでに至らなかったのだろう。ただ、「異常なる物自体への興味」ならば、老婆の屍人の髪を抜く理由は異常であってほしい。髪の毛を鬘にするという当たり前の利用法に失望を感じたのは、芥川ではなかったかと私は思う。楽しんでいた「今昔物語」の異常な話への期待を、「羅城門ノ上ノ層ニ登リテ死人ヲ見タル盗人ノ語」で、見事裏切られたことこそが、創作のきっかけになったのだ。しかも、王道である死人の髪の異常な利用法に変えるのではなく、鬘のまま読者をあっと言わせる、その部分に芥川は力を注いだのではなかろうか。それが「主題」と言えるものかはともかく、小説の大切な要素であることは間違いない。

 昭和29年の東宝ゴジラ」の主題は核開発における科学者の責任の取り方だと私は理解している。まさにロシアの暴挙を目の前にした今、そのテーマは普遍的なものとして、私たちに迫っている。しかし、それで映画「ゴジラ」を語ったことになるのか。当時の日本において画期的だった特撮技術を抜いて「ゴジラ」は語れない。平岡氏が言わんとするのも、そういうことではないのか。主題至上主義と言おうか、主題を明らかにすることが小説を読むことだとする教育現場へ物足りなさではなかったのか。

 異常な世界を描くのに「未来はまれであろう」とした芥川をはるかに凌ぎ、CGを駆使した映像は、私たちに未来を見せてくれる。が、その映像に必要なのは細部なのだ。ティラノザウルスの瞳に人の姿が映ったとき、私たちは息を呑む。そうしたプログラムを組むのは「愉快」なことではなかろうか。芥川は想像を逞しくして異常な世界のリアルさを示そうとした。特殊な中に普遍を見出す、それこそが、評論ではなく、小説のできることではないのか。そうした視点で「羅生門」を振り返ってみた時、私はその映像美に感嘆せざるを得ない。

 「羅生門」が高校教材として定番化する前に、平岡氏が多角的に考え、正しい読みを提唱していたことに、私は大いに敬意を表する。吉田精一氏は「技巧とか構成とかいうことは、作者の精神や情熱や主題と離れてあり得ない。便宜上はなして考える場合にも、常にこの両面をにらみ、連絡させて考えなければならない。それが今日の文学批評や鑑賞の態度である。」と「レポートの書き方」で述べた。まさに、平岡氏は表現から主題を辿っているのである。