maturimokei’s blog

俺たち妄想族

「羅生門論2」十六 現代文学鑑賞大事典より

現代文学鑑賞大事典 明治書院 昭和四十年(1965)

 

 尚学図書の指導書に、 出典を「現代文学鑑賞大事典」とする記載があったので調べてみた。

 

芥川龍之介」より

「【羅生門】短編小説。大正四・九月に執筆され、同年一一月の『帝国文学』に掲載。署名は柳川隆之介(目次に柳川隆之助とあるのは誤植だろう)。後に第一短編集『羅生門(阿蘭陀書房、大六・五、大八・八新潮社より再販に収録。これには初出および初版と現行全集とのあいだに、本文中に若干の、だが重要な異同がある。小説の骨子は「今昔物語」巻二九所収の〈羅城門登上層見死人盗人語〉に材をあおぎ、一部に同巻三一 〈大刀帯陣売魚嫗語〉の挿話が用いられている。時は平安朝末期、舞台は京都。ある目の暮れがた、ひとりの下入が羅生門の下で雨やみを待っていた。主人から暇をだされ、途方にくれていたのである。火事・つむじ風・飢饉などが相ついで、洛中のさびれかたはひととおりではない。羅生門の楼上には餓死者の死体が散乱していた。下人はその楼上で、死んだ女の髪を抜く老婆を見た。髪を抜いて鬘にする、と老婆はいった。そうしなければわしが飢え死ぬ、この女だっておなじようなことをしてきたのだ。〈「きっと、さうか」老婆の話が完ると、下人は嘲るやうな声で念を岬した〉。彼はすばやく、老婆の着服をはぎとった。こうしなければ己も餓死する体なのだ。彼は〈黒洞々たる夜〉のなかに駆けさっていった。〈下人の行方は、誰も知らない〉(この最後の一行が、初出では〈下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった〉となっていた)。作者が二四歳の時の作で、その資質と可能性が自己の方向をはじめて確保した記念碑でもある。吉田精一の指摘もあるように、全体の構成は静・動のあざやかな対照で統一され、(傍線は筆者)周到な計算がゆきとどいている。原典の素朴で簡略な記述から場面を再現する想像力と描写力もみごとで、また、たとえば下人の頬の〈大きな面飽〉などの小道具の効果にも、短編作家としてのすぐれた才能が見られる。しかし小説の主題は暗い。へびを切り売りした女と、その女の髪をぬく老婆と、その老婆の着衣をはぐ下人と、彼らは生きるためには仕方のない悪のなかでおたがいの悪をゆるしあった。それは人間の名において人間のモラルを否定し、あるいは否定することを許容した世界である。エゴイズムをこのような形でとらえるかぎり、それはいかなる救済も拒絶する。なぜなら、精神の裸形とでも呼ばねばならぬ生の我執はすでに罪ではなく、人間存在のまぬがれがたい事実にほかならぬからである。芥川がこの小説で書こうとしたのは、追いつめられた限界状況に露呈する人間悪であり、いわば存在そのものの負わねばならぬ苦痛であった。老婆のさかさまの白髪と、黒洞々たる夜と、行くえも知らずかけさった下人とこの一幅の構図のなかに、若い芥川がいかに絶望的な人間認識にたどりついていたかが語られている。同時に、そうした陰鬱な主題のこの小説が、一面では構成上のみごとなバランスを保ちえている事実にも注意しておく必要がある。小説の世界は作家の現実と次元を異にした場所で、自己を閉ざしている。『羅生門』は芥川の虚無の所在を明らかにすると同時に、彼がその暗い部分をそれ自体として完結した短編的世界に閉鎖しうる、すぐれた才能に恵まれた作家であることも明らかにする。そして、思想と方法のバランスが崩れたとき、後年の悲劇が胚胎する。その意味でも、これは芥川竜之介の文字どおりの処女作であった。」

 

 文中に「吉田精一の指摘もあるように、全体の構成は静・動の鮮やかな対照で統一され」とあるが、「レポートの書き方」(至文堂1952)によると「静・動説」は高校生の説であったはずだ。執筆者一覧に、平岡敏夫三好行雄吉田精一の名が見える以上、吉田氏は当然この項目の編纂に関わっているはずで、吉田氏自身が「レポートの書き方」(至文堂1952)で高校生のレポートを紹介した後、

参考資料をあげていないことが惜しい。「羅生門のテーマは普通エゴイズムであるといわれている。」というのが、その「普通いわれている。」のは、だれがどこでいっているか、こういうためには、そういう書物を見ていなければならないのだから、それをあげるべきである。

と書き、明治書院の教科書では

参考書を剽窃したり、資料の孫引きをしたり、ダイジェスト版をでっちあげるなど、一口でいえば、他人の意見を自分の意見らしく見せかけようとするもの、また自己の結論のつごうのよいように資料をゆがめたと思われるものなどの類は、もっともいとわしい。

と書いているのだから、「現代文学鑑賞大事典」においても、吉田氏指摘ではなく、高校生の指摘であると書くべきであった。「静動説」が吉田氏の説なら、「レポートの書き方」に紹介された高校生のレポートの存在自体が疑われてしまうのだから。