maturimokei’s blog

俺たち妄想族

『羅生門』論1 この名作は、五十年間誤解され続けた。今も誤解されているかも知れない。

 羅生門』論

 

 

 『羅生門』は高校国語の教材として定番である。ウィキペディアで『羅生門」を調べると、「生きるための悪という人間のエゴイズムを克明に描き出し」とある。教科書会社の通信雑誌に「エゴイズムと戦う下人像を描いた『羅生門』」とある。また、現在使っている教科書会社準拠の問題集にはエゴイズムを正解とする問題が出されている。何人かの国語の教員に話しを聞くと、エゴイズムとしては扱っていないという人も多数いるが、教員になりたての時期に指導書に書いてあったエゴイズムの見方に今も影響を受けている人もいる。ここでは、『羅生門』の中で私に違和感があったものを中心に、まず表現の特徴を明らかにし、次に「エゴイズム」論はどのようにして生まれたのかを探り、それがいかに間違いであるか、さらに『羅生門』とはどのような作品なのかを述べてみたい。

 

第一章 表現

 

一 直喩について

 

 『羅生門』における直喩の使用は、それまでの芥川の作品と比較して異例だと言える。資料1は最初の作品から『羅生門』発表一年後までの作品を比較したものである。

 『羅生門』の直喩の使用率の高さは群を抜いている。直喩数が多い作品に『クラリモンド』がある。合計64例使われ、群を抜いている。が、文字数が約32000で『羅生門』6000文字の5倍以上あり、しかもこれは翻訳であり、純粋に芥川の文体ではない。『バルタザール』も同様翻訳であるので対象から外したい。芥川の作品としては、処女作『老年』の三例、『羅生門』の直前の発表である「ひょっとこ」の五例、『鼻』の七例使われているのに対し、『羅生門』は十五例であり際立って多い。

 また、直喩の質にも違いがある。『クラリモンド』には「千年に一度花の咲く蘆薈のやうに」とか、「最後の審判の喇叭《ラッパ》のやうに」(以下文中の抜粋は『青空文庫』による。引用文に歴史的仮名遣いと現代仮名遣いが混在している)というように、比喩が句の形をとったものが十例以上見受けられる。句による比喩は、象徴性を持たせたり、作品の世界を情緒的に作り上げたりするのにより効果がある。作家の連想力や力量をより問われる修辞だと思う。ところが『羅生門』では主述の関係を持つのは三例のみで、単語を使った単純な比喩がほとんどである。『羅生門』は『クラリモンド』翻訳後の作品なので、句による比喩の効果を、芥川は十分理解していたはずである。

 芥川に技量がなかったのか。否。書簡に「同人中最文の下手なるは僕なり 甚だしく不快なり」(大正三・一・二一)とは書いているが、決して『クラリモンド』や『老年』が下手だと私は思わない。自然な文だと思う。彼に力量はあった。彼の目指したものは別にある。共通するイメージの単語で統一するという方法である。「犬のように」、「猫のように」、「やもりのように」、「這うように」、「人形のように」、「猿のような」、「猿の親が猿の子の虱をとるように」、「鶏の脚のような」、「肉食鳥のような」、「鴉の啼くような」、「蟇《ひき》のつぶやくような」地べたを這う、気味悪がられている生き物達。まさに、羅生門にふさわしい生き物である。そして、それらが、価値の低いものを形容する言葉であることに注意しなければならない。比喩は、その対象への語り部の思いを反映するからである。つまり、語り部は、老婆も下人も軽蔑しているのだ。しかし、数も多すぎると目立ってくる。自然さは失われる。目に余る技巧として鼻につく。下手だ、笑ってしまうという人も出てくるだろう。実は、これこそが芥川の狙いではなかったか。戯画的に、真実味より笑いを求めたのが、『羅生門』の直喩ではないのか。繰り返しは笑いの基本的な方法なのだ。ただ、『羅生門』の笑いは決して明るいものではない。一段高いところからの嘲笑である。

 思わず自らの孤独を吐露してしまった『孤独地獄』には、直喩は皆無だ。直喩は、技巧であり、余裕であり、思いに沈むときにはふさわしくないからである。ちなみに漱石の『こころ』でも、Kを語る部分では、私(先生)は自らに直喩を使うが、Kの死後、私(先生)が、自らの死を考える部分から、直喩は姿を消す。

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資料1 「羅生門」と前後の作品との直喩使用頻度の比率

(データ集計小林、字数は青空文庫をもとにパソコンで字数計算、直喩か技巧でない一般的な用法かの判断は小林による。)

 

二 勇気について

 

 「勇気」の使い方にも違和感があった。

盗人ぬすびとになるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。」

これを聞いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。

 子供にとっては高いところから飛び降りることでも勇気であろうが、いい大人である下人が盗人となることを「勇気」と言うだろうか。勇気とは単に思い切って行動をすることではない、悪いことをする時は勇気ではない、勇気は善を志向すると言われて私は育ってきた。芥川はそうではなかったのか。

 私がデータをとった初期十五作品の内、四作品に「勇気」の使用例があった。

以下、資料2は「勇気」の使用例を「青空文庫」より抜粋したものである。作品により新旧仮名遣いの違いがある。

 

資料2

1 勇士のやうに戦ふがよい。さうすれば必ずお前は悪魔に勝つ事が出来るだらう。徳行は、誘惑によつて試みられなければならない。黄金は試金者の手を経て一層純な物になる。恐れぬがよい、勇気を落さぬやうにするがよい。最も忠実な、最も篤信な人々は、屡々このやうな誘惑を受けるものぢや。祈祷をしろ、断食をしろ、黙想に耽れ、さうすれば悪魔は自ら離れるだらう。(クラリモンド)

2 「あいつかい。あいつはロンドン乞食さ。」こう云う能勢の声がした。皆が一時にふき出したのは、云うまでもない。中にはわざわざ反り身になって、懐中時計を出しながら、能勢の父親の姿を真似て見る者さえある。自分は、思わず下を向いた。その時の能勢の顔を見るだけの勇気が、自分には欠けていたからである。(父)

3 臆病な五位は、これまで何かに同情を寄せる事があつても、あたりへ気を兼ねて、まだ一度もそれを行為に現はしたことがない。が、この時だけは相手が子供だと云ふので、幾分か勇気が出た。そこで出来るだけ、笑顔をつくりながら、年かさらしい子供の肩を叩いて、「もう、堪忍してやりなされ。犬も打たれれば、痛いでのう」と声をかけた。(芋粥

4 この頃は、往来の旅人が、盗賊の為に殺されたと云ふ噂さへ、諸方にある。――五位は歎願するやうに、利仁の顔を見た。「それは又、滅相な、(略)――敦賀とは、滅相な。」五位は、殆どべそを掻かないばかりになつて、呟いた。もし「芋粥に飽かむ」事が、彼の勇気を鼓舞しなかつたとしたら、彼は恐らく、そこから別れて、京都へ独り帰つて来た事であらう。(芋粥

 

 以上、悪魔に打ち勝つ、子供が犬をいじめるのをやめさせる、盗賊に殺された噂のある道を旅する、という時に使われている。これらの使い方では、芥川の感覚と私の感覚は同じものである。「父」中の、自らの父を笑いものにしている友の顔を見る勇気には、複雑な要素を感じる。一つは痛々しいもの、無惨なものをあえて見るときの心のあり方であり、もう一つは見ることで咎める意味を表す心の状態である。前者として意味の方が強いように私は感じるが、ともに罪を犯す行動ではない。

盗人になるという『羅生門』の「勇気」だけが、他の芥川作品の「勇気」と違う気がする。と言うのは、思い切って行動することではあるが、本当の勇気ではない、皮肉の意味を込めた「勇気」の気がするからである。

 そういう用例は、芥川の文章にあるのだろうか。参考になる文がある。『羅生門の後に』という大正六年五月五日の芥川の文である。

 「屡々自分の頂戴する新理智派と云い、新技巧派と云う名称の如きは、何れも自分にとっては寧ろ迷惑な貼札たるに過ぎない。それらの名称によって概括される程、自分の作品の特色が鮮明で単純だとは、到底自信する勇気がないからである。」

 自分の評価者に対する強烈な皮肉である。自分の作品は一括りにされるような単純なものではないと言っているのだ。芥川は、明確に一般的な勇気と皮肉の勇気を使い分けている。しかも『羅生門』では繰り返し五回も使っている。この頻度も突出している。直喩同様、ここでも繰り返しがある。皮肉であることを、「勇気」の語に値することではないことを、強調しているのである。

 

次回は「低徊」と「Sentimentalisme」について述べたい。