maturimokei’s blog

俺たち妄想族

『羅生門論2』その1

 私は『羅生門論』でエゴイズム論に疑問を呈した。「おれもそうしなければ、飢え死にをする体なのだ。」をエゴイズム論の根拠にするならば、老婆の登場の意味がなくなる。極限状況はすでに物語の前提にあるからだ。私は、助からんがための老婆の言い訳が老婆を被害者にするというパラドックスと、執筆当時の日本を揺るがせたシーメンス事件の判決と共通する、悪いことをした者に悪いことをしても大目に見られるという老婆およびそれを踏襲する下人の論理に対する皮肉が『羅生門』の核心ではないかと述べた。その後、芥川の「ノート」に書かれた「defence for “rasho-mon”」に私は出会うが、そこにはこう記されている。

defence for “rasho-mon”
 “Rasho-mon” is a short story in which I wished to “verkörpern” a part of my Lebensanschauung-if I have some Lebensanschauung,--゛but not a piece produced merely out of “asobi-mood”. It is “moral” that I wished to handle. According to my opinion, “moral”(at least, “moral of philistine")is the production of occasional feeling or emotion which is also the production of occasional situation.
 『羅生門』は私の人生観—もし私に人生観があるとしたら—の一部を描こうとした小説である。しかし、単に「遊びムード」から制作された作品だというのではない。これこそ私が扱いたかったモラルなのだ。私の考えとは、「モラル」(少なくとも凡人のモラル)は、その時々の状況で生まれるその時々の印象や感情の産物だということなのだ。    (小林訳)

と矛盾するものではなかった。「その時々の印象や感情」は、例の「Sentimentalisme」で物語の冒頭ですでに仄めかされていたのだった。悪を巡る目まぐるしい心の変化も全て「Sentimentalisme」なのだ。「では、おれが引剥をしようと恨むまいな。おれもそうしなければ、飢え死にをする体なのだ。」も「Sentimentalisme」の結果なのだ。老婆の言に触発されたのにすぎない。『ひょっとこ』のMetronome、『虱』のPre'curseur、Pharisienに見られたように、小説における芥川の原語使用は、主題と関連がある。モラルはその時々の状況で生まれるその時々の印象や感情の産物だということが『羅生門』の執筆意図だったのだ。
 そうした目で、『羅生門』と発表の近い『虱』『鼻』を眺め直すと腑に落ちる。『羅生門』はモラルの基準を他者に依存する二者、『虱』は自身の基準を決して変えようとしない二者、『鼻』は変わる多数の他者の基準に依存する個人、という比較ができないか。芥川はそれぞれに冷笑を浴びせている。大正四年十一月から翌年五月にかけて半年の間に発表されたこれら三作を、「モラル三部作」と私は呼びたい。一作目ではモラルの流動を、二作目では固定したモラルの対立を、三作目では流動するにもかかわらず多数であることで得るモラルの優位を描く。
 それらの今日的な意味に私は驚きを禁じ得ない。『羅生門』の、自身の基準を持たず、「みんながしているから」という無責任な理由づけを私たちは何回耳にしたことだろう。『虱』の、自己のモラルが理に反していても変えようとしない姿勢が戦争につながることを私たちは経験した。『鼻』の、原因を解消することでさらに多数から攻撃の対象とされるいじめを私たちは悲しいことに知っている。芥川は未来が予言できたのか。そうではない。世の中は百年前と同じなのだ。
 三作でモラルについて多角的に描こうとしていたと考えると、やはり『羅生門』は極限状況におけるエゴイズムを言ったのではない。そうではなく、「皆がしている」という正当化が、極限状況においても残っていたモラルさえ破壊するということを言ったのである。

 『羅生門』は今もなお高校現場で人気のようだ。
 今年三月に公表された高校の国語教科書の検定結果をめぐり、各教科書会社が文部科学省を批判する異例の事態が続いている。発端は、ある一社の教科書が検定に合格したこと。その後、この教科書が全国の多くの高校で採用されることになり、各社の不満がさらに高まっている。(略)来年度から高校国語に新設される科目「現代の国語」用に、現行シェア三位以下の第一学習社広島市)が作った教科書が、全国シェア16・9%をとり、現行最大手の東京書籍版を抑えて最多だったことが問題になった。(朝日新聞2021/12/9)文科省は「小説の入る余地はない」と説明してきたにもかかわらず、第一学習社が『羅生門』『夢十夜』など近現代の文学作品を多数載せたからである。ライバルである他社から「言っていたことと違う」との批判が高まっている。

毎日新聞2021/9/23)       (一部抜粋小林)

 
 幸田国広氏の研究がある。「定番教材」の誕生 : 「羅生門」教材史研究の空隙 - J-Stagehttps://www.jstage.jst.go.jp › kokugoka › _article › -charによると、昭和32年にはじめて3社に採録されてから平成25年版まで、全19社192種の教科書に採録されている。採録しなかった教科書会社がないほどの人気である。『羅生門論2』では、そうした定番の『羅生門』が、どのように教えられていたのかを遡る。